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小説家に思想は必要?

小説には、小説家の思想が反映されるといわれます。
作者によっては、自己の考えを主張するために、自分の思想を柱に小説を書く人もいます。
小説家も人間ですから、生きていればなんらかの思想をまとい、それが小説に投影されることはあるでしょう。
それは別に悪いことではないと思います。小説に限らず、文章を書いて公開することは、他人に伝える行為ですので、強い思想かどうかは別にして、筆者が抱くなんらかの主義主張が文中に入りこむのは自然なことです。

ただ、僕は自分の小説に思想みたいなものを入れようと思ったことはありません。もちろん、長年生きてきたので、なんらかの主義主張ぐらいは僕にもあります。
でも、それを小説に反映させるかどうかは別の話です。
強い思想が小説の前面に出てしまうと、読者は少したじろぐような気がします。その思想に同意できても反対でも、自身の思想と照らし合わせて読者は考えてしまいます。
思索に耽ると、読者は物語の世界から抜け出てしまい、小説に集中できない気がします。
できれば、読者には物語の中で過ごして楽しんでほしいです。僕が優先したいのは、読者を楽しませることなので、それ以外の要素はできるだけ排除したいです。

僕は「小説のテーマは、最後の文の後に来る」という言葉が好きです(だれの言葉でしたっけ)。
小説のテーマというものは、作中に出てくるのではなく、読者が読み終えたあとに、なんとなく感じるものだという意味だと解釈しています。
小説家の思想も同様で、物語を読んでいるときはただ楽しめて、本を閉じたあと、日常のふとした瞬間にその小説で語られていたことが蘇るぐらいの思いが健全な気がします。

思想を反映させた小説を否定しているわけではありません、別に。小説は多種多様です。どれが正しく間違っているということはないと思います。小説で主張したい人はすればいいし、したくない人はしなければいい。
さまざまな形態の小説があって、読者はその中から自分が好む作品を選ぶだけですから。

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