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創造ばかりの人生

小説を書きはじめたのは、小学校の授業で、文章をほめられたのがきっかけだと以前の記事にも書きました。
物語を創作するのが小説ですが、小説以外にもさまざまな創作をしてきました。

子供の頃、鬼ごっこや缶蹴り以外にも、新しい遊びを考えてみんなで楽しみました。
今でも覚えている遊びのひとつが、「まる鬼」です。地面に棒で描いた丸の中にいれば鬼に捕まらないという遊びです。ひとつの丸の中にいられる時間には制限があるので、鬼の目を盗んで、新しい丸を描いて移動しないといけません。
それ以外にも、「ジャングルジム・ドッヂボール」もやりました。ジャングルジムの中にいる子に外から鬼がボールで当てる遊びです。今だと怒られそうな遊びですね。
ただのドッヂボールではなく、鬼のボールを両手でキャッチしたら5点、片手なら10点と点数を競う遊びでした。
小学生の僕が考えて、クラスに広めました。

小学生の頃は、マンガクラブで漫画を描いていました。絵が下手すぎて漫画家になるのを断念しましたが。
中学生になると、登場したばかりのパソコン(昔はマイコン)でゲームをプログラミングしていました。アクションゲームやアドベンチャーゲームを作って、友達に遊んでもらいました。
紙のシミュレーションゲームを作ったり、テーブルトークRPGのシナリオを書いたりもしましたね。

創作癖は、社会人になっても変わりませんでした。先輩や上司から言われたまま仕事をするのが苦手で、自分で考えてやり方を変えてしまいました。
中学の頃にかじったプログラミング能力を活用して、顧客データベースを作ったり、使いづらいツールの代わりに新しい補助ツールを開発したりしました。
今考えると、嫌な新入社員だったと思います。
新しく創造するのは好きで得意でしたが、同じことを繰り返す仕事は失敗が多く向いていませんでした。
当初から会社勤めが向いていないなと感じていましたが、20数年も企業で働いたのですから、向いていなくてもなんとかやれるものです。

その後、退職して今はプロの小説家になりました(まだ二冊しか上梓していませんが)。言うまでもなく、小説家は創作が生業です。子供の頃から創作が好きで、今ではそれが仕事になりました。
雀百まで踊りを忘れずといいますが、子供の頃からの好みというのは、大人になっても変わらないものですね。

著者初の単行本形式の小説「夏のピルグリム」がポプラ社より7月18日に刊行されます。「ポプラ社小説新人賞」奨励賞受賞作です。よろしかったら予約してください。善い物語です!



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