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五十歳を過ぎても小説家になる夢を見続けることができた理由

「昔から小説を書いていたけど、よく今まで続けてこられたな」
小説家になったことを聞いた幼馴染から何十年ぶりかにLINEのメッセージが届きました。

何度かこのnoteに書いていますが、中学の頃から小説家になるのを夢見て、小説をずっと書いてきました。書いては新人賞に投稿する日々を10年以上ずっと続けてきました。
第12回ポプラ社小説新人賞」奨励賞を受賞したときは、すでに五十歳になっていました。その後、「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」で商業デビューしました。
五十歳になって、中学の頃からの夢が叶ったわけです。

幼馴染が感心したように、そんな歳になるまでに夢を諦めてしまうか、趣味にとどめておく人が多いのではないでしょうか。
自分が特別だと言いたいのではないです(変わった人だとは思いますが)。他人に言われて、どうして自分が何十年も続けてこられたのか考えた次第です。

継続できた理由は、おそらくきっと「反応があった」からだと思います。どんなに書いても、誰もなにも反応してくれなかったら、続けることができなかったでしょう。
独房が辛いのは周りからの反応がないからです。
独房に長く閉じ込められると心が壊れてしまうそうです。

新人賞に応募しても必ず講評をいただけるわけではないですが、選考結果は明らかになります。一次選考、二次選考の結果が公開されます。
僕のいくつかの作品も選考を通過することがありました。結果を見るときはとても緊張しますけど、通過していたら選考の方が読んで評価してくれたことがわかり、嬉しかったのを覚えています。

貧乏性なので、落選した作品は、Amazon Kindleで販売していました。すると、毎日誰かが読んでくれました。Amazon Kindleでは、Kindle Unlimited会員が何ページ読んだかリアルタイムにわかるレポートがあります。
そのレポートを眺めていると、いつも誰かが読んでくれているのを数字で実感できます。
毎日何千ページも読んでくれている人が、この世界のどこかにいるとわかると、新しい小説を書く意欲が俄然湧いてきます。

ネットの感想も嬉しいですが、生身の声も聴きたくなります。
僕の場合、自分以外の最初の読者は、いつもツマです。ツマは、知り合ってから何十年もずっと僕の作品を読んでくれています。ツマから感想(大体はとびきり厳しい批評)をもらって、初めてその物語に息が吹き込まれた気がします。
ツマがいなかったら、間違いなく書き続けられなかったでしょう。

人によっては、ネットの感想があれば幸せな人もいるでしょうし、文学サークルなどでリアルな仲間に読んでもらいたい人もいるでしょう。
リアルでもネットでも誰でも良いので、継続するためには誰かのリアクションがもらえる環境を作ることが大事なんだと思います。
独房は辛いですよ。

著者初の単行本形式の小説「夏のピルグリム」がポプラ社より発売中です。「ポプラ社小説新人賞」奨励賞受賞作です。よろしかったら書店で手に取ってみてください。善い物語です!


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