能登半島沖地震と南海トラフの関連性を過去の地震を鑑みながら考察する

こんにちはこんばんは。まさか「一粒万倍日」と「天赦日」が重なる最強の開運デーと謳われていた2024/1/1、今日にこのような地震が起こるとは思ってもいませんでした。新年早々不吉です。2023/5/5にあった震度6強の能登半島での地震は前震だったというわけですね。
これまでの震度7の地震はそれぞれ
1995 兵庫県南部地震(Mw6.9)
2005 新潟中越地震(M6.8)
2011 東北太平洋沖地震(Mw9.1)
2016 熊本地震前震(Mw6.2)
2016 熊本地震本震(Mw7.0)
2018 北海道胆振東部地震(Mw6.6)
2023 能登半島地震(Mw7.6)
これを見てわかる通り、地震の規模を示すマグニチュードは震度7の地震としては2番目であり、東北太平洋沖地震の余震を含まずに数えると十勝沖地震(Mw8.0)に次ぐ21世紀に入ってから3番目の規模ということになります。

ウェザーニュースより

震源を見るとわかりますが、能登半島全体がズレたわけです。そして、ここにはとあるプレートが通っています。
それがユーラシアプレート。南海トラフや相模トラフ(関東大震災などを引き起こす層)、更には2004スマトラ沖地震(Mw9.1)や近年のトルコでの大地震、フィリピンでも地震を引き起こしたプレートです。

鳥取県公式サイトより

そして今回考えていきたいのが能登半島地震と南海トラフの関連性について。
直近3年の地震から東北太平洋沖地震の余震と思われる地震を抜くと、図で表すとこのようになりました。

最近になってから段々とユーラシアプレートが活発になってきていると感じます。台湾での地震は2013年や2016年の台湾大地震にも起こっていますが、いずれも台湾の内陸型地震です。内陸型でもプレートの関与は否定できませんが。しかし、台東地震は琉球海溝による海溝型地震です。
まぁこれだけだと全然薄いですね。

しかし、フィリピンは違います。M7.0を超える大規模地震がフィリピンで起こるのは通常3年に1度のペース。それがここ3年で6度も。ペースとしては異様と言えます。
そして、日向灘と紀伊水道もちょうど震源がユーラシアプレートであり、ユーラシアプレート震源の地震がここ数年でかなり増えました。2000年代でのユーラシアプレートに接する地震は2007能登半島地震以外にはプレートを通った地震は2009駿河湾地震と2006や2009の伊豆半島東方沖地震、2011長野北部地震、2004と2016紀伊半島南東地震のみです。この地震は当に従来通りの東海地震の震源地で起こった地震でありますが、駿河湾地震はスラブ内地震、伊豆半島東方沖地震は火山性地震で、紀伊半島南東地震はプレート内部地震でした。
21年紀伊水道地震と22年日向灘地震自体も、それぞれ紀伊水道が逆断層地震と日向灘は境界より深い地域での食い込みと直接的な関連性は怪しいところではありますが、2010年以降のペースの中ではハイペースであり、また場所こそ離れていますが2023年2月6日にトルコで起こったトルコシリア地震や今回の能登半島地震(逆断層型)。ユーラシアプレートが活発化している可能性があるのではないでしょうか?
試しに、安政の大地震時代の地震も試しにあの図に当てはめてみるとこのようになりました。

南海トラフ前に起きている地震が見事に一致しています。
まず海外を見ていきます。台湾での1848彰化地震や1839年嘉義地震(これらは系統としては台湾大地震である)についても、1815まで沈静化していたのにも関わらず活性化しています。そして、トルコでも1855年にブルサ地震、1859年にエルズルム地震が観測されており、直接の関係性こそわかりませんが、1850年代以降に活発になっています。(トルコでは1707宝永地震付近でもスミュルナ地震が起きており、その後に1850年代まで大規模地震が起こったという記録はないです。)またフィリピンでも、1787年の記録を最後に大規模地震は1840年のソルソゴン州やマスバテ州での地震に次ぎ1852年のルソン中部での地震、1863年のマニラ地震など南海トラフとそう遠くない年から地震が活発化していることがわかっています。更に地震が少ないと言われている欧州でも1850年代は地震が活発化しており、これを見ても一連のユーラシアプレートにおける地震がある程度連動している可能性は否定できません。更には規模が大きいスマトラ沖地震は1833年、2004年に起こっています。(スマトラ沖地震は周期こそ30年であるためこじつけ感はあるが)
善光寺地震は、能登半島地震と同じ逆断層型であり、また震源地としてはかなりズレこそあるものの、ユーラシアプレートの境目です。(能登半島地震が群発地震であったことを考えるとこじつけ感も否めないが)飛越地震は安政地震によって引き起こされた誘発地震ではありますが、これもまた特性がかなり能登半島地震と似ています。
これは奇妙な話なんですが、昭和と安政ともに南海トラフ以前以後にはユーラシアプレートと北米プレートに挟まる中部内陸が余震以外で活発化する傾向が見られ、昭和の南海トラフでは1941年に長沼地震が、1948年に震度7を制定さしめることとなった福井地震が起きました(なお福井地震は直下型であり、単なる南海トラフによる誘発地震である可能性が高いわけだが、今回の地震により濃尾大震災や福井地震のような福井付近での内陸型地震が誘発される可能性があることは留意しておくべきであり、そこから更に誘発し南海トラフが起こることも十分にあり得る)。また、平成以降の能登半島の震度4以上の地震に絞って見てみると
1993、2007、2010、2015、(2020、2021、2022、2023)がある。
1993年能登半島沖地震→阪神淡路大震災
2007年能登半島沖地震→東日本大震災
2015年富山湾地震→熊本地震
という規則性もないはずですが、恐ろしい出来事も起こっているんですのね。まぁこれは与太だと思ってくれれば良いんですが、
そして次のテーマは「フォッサマグナの東西縁」です。
今までは能登半島が起こした地震と同等の地震を安政で比較してきましたが、ここからは糸魚川静岡構造線で起こった地震が広がりむしろ大地震を誘発しているのではないか?という可能性です。

西の青線が糸魚川静岡構造線、東縁は新発田小出構造線及び柏崎千葉構造線で、赤が中央構造線
日本を通るプレート

見てもらえればわかるんですが、糸魚川静岡構造線に関してはユーラシアプレートと北米プレートの境界からフィリピンプレートとの境界への派生であり、日本の内陸部で唯一プレートとしての境界があり、更にはフィリピンプレート、ユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレートの4つのプレート全ての影響を受けやすく与えやすいと考えている場所です。その上、中央構造線に対しても影響を与え、受けることができる土地でもあります。

⇧TBSより

ひとまずは南海トラフとその前に起きた地震を見ていきましょう。まずは1586年の南海トラフ地震である慶長地震を引き起こしたと一般的にもされている天正地震(M7.8?)(連続的に発生したという説もある)を見ていくと、震源は具体的には不明の地震なのですが、富山下部付近で起こったとされています。
この地震は
慶長伊予地震(1596年9月1日) M7.0
慶長豊後地震(1596年9月4日) M7.8
慶長伏見地震(1596年9月5日) M7.1←阪神淡路系統
慶長地震 (1605年2月3日) M8.0←南海トラフ地震
会津地震 (1611年9月27日)M6.9
慶長三陸地震(1611年12月2日)M8.1←東日本大震災系統
これらの地震を誘発し、連鎖的に引き起こしたとされています。
次に宝永地震の前にあった1683年日光地震ですが、柏崎千葉構造線の上付近の日光あたりが震源です。そして、この地震は能登半島沖地震との共通点が見受けられます。それは"群発地震"という点で、4ヶ月に渡り続き、M7.3の地震により歪みが解消されたのですが、おそらく歪みが中央構造線を通り、1686年に安芸・伊予地震(M7.4)と遠江•三河地震(M7.2?)を引き起こし、一般的には広義的にこれが前震として宝永地震(M9.0)を引き起こしたとされていますが、宝永地震はむしろフォッサマグナの縁による歪みによって引き起こされた地震なのでは?という説を私は推しています。ちなみに元禄地震(Mw8.1〜8.5)は日光地震を起こした柏崎千葉構造の延長線上の相模トラフで引き起こされていまして、まぁそれが関係しているという地学的証拠はないので推論なのですけれど、これも結果的に日光地震が誘発した地震なのでは?と考えています
そもそも誘発地震は巨大地震にプレートが誘発され、各地でもエネルギーが発散されるというのが一般的な見方ですが、実際地震を誘発するのは線を通るエネルギーの連鎖なのではないでしょうかね?
お次は安政東海、南海地震について見ていきましょう。
まず新発田小出構造線で1828年に起きた大元の原因?の
三条地震(M6.9)←2004新潟県中越地震(M6.8)と同震源(西蒲原地震も同震源であり、また7年後には十勝沖地震類の延宝八戸沖地震や東北太平洋沖地震の中で起こった太平洋プレートの房総沖地震である延宝房総沖地震が起こっており、またこれは2011東北太平洋沖地震の一部と周期が完全に合致する)
が起こり、1833年には濃尾西部地震(M6.2)に中央構造線で伝わりまた庄内沖地震(M8.1)では新発田小出構造線から伝わったのではないでしょうか?
の7年後に宮城県沖地震(東北太平洋沖地震の一部)が引き起こされ、そしてその1年前にはM6.5の石狩地震(胆振東部地震と同パターンですが、線を通っていないため独立している可能性が高い)が起こり、そして1843年にユーラシアプレートに震源地が跨る天保十勝沖地震(M8.0)が発生。三条地震から派生して行った結果だとして、その後に糸魚川静岡構造線と中央構造線に交わる場所付近を震源とする善光寺地震(M7.4)が発生したことで1854年に震源地が中央構造線に跨る伊賀上野地震(M7.5?)が発生し、また糸魚川静岡構造線を通し安政東海地震(Mw8.6)が発生、これに連動し安政南海地震(Mw8.7)が発生し、(おそらく飛騨地震と飛越地震は金沢地震や濃尾地震などの直下型と同じく独立している)安政江戸地震もまた柏崎千葉構造線から派生し、太平洋プレートにも溜まっていたエネルギーが発散され(十勝沖地震に区分される安政八戸沖地震や1858年から東北の太平洋地震が余震として定期的に発生)1686年に同年に起きた遠江・駿河地震と伊予•安芸地震が1855年と1857年にまたしても同年に発生しました。

そしてこの次には、1896年4月2日の糸魚川静岡構造線の延長にある能登半島の北岸(今回の震源とほぼ同震源)で地震が発生し、同年6月には
明治三陸地震(Mw8.5)←東日本大震災と同レベルの地震
この後には東日本大震災と同じように10年程度三陸沖で強い余震が続きますが、結果的に中央構造線と三陸沖での余震と誘発地震が続く程度で自然と落ち着きます。
関東大震災は前震こそ多かったものの連鎖地震には至らなかったと思われます。
1933年には昭和三陸地震(Mw8.4)は三陸沖地震が再び発生し、1940年頃まで余震が続く。そして1941年のおそらく昭和南海トラフ地震の要因でもある長野地震が発生。
長野地震は中央構造線と糸魚川静岡構造線が交わる付近が震源であり、善光寺地震と同様の地震であったはずで、同年中央構造線の先にある日光灘でMj7.2を観測、1943年にも長野県の同震源付近でMj5.9を観測した。
また、その後1944年には長野地震から誘導される形で東南海地震が糸魚川静岡構造線の延長線を通してMw8.2の大震災を引き起こした。その後に中央構造線を通り三河でもMj6.8を引き起こし、また南海トラフを伝わり南海地震が東南海地震に誘発される形で発生し、これ以降は余震こそあるもののしばらく大きな地震も起こらず、阪神淡路大震災を飛ばして新潟県中越地震まで行きましょう。新潟県中越地震は余震が多く、震度6超えも多かったわけですが、新潟中越地震と柏崎千葉構造線で直線繋がっているのは房総沖地震であり、東日本大震災の連動地震の構成員です。このエネルギーが2008年に茨城県含む房総半島に入ったことにより、同じく2008年の岩手宮城の内陸地震(前震)とタイミングが重なり、また十勝沖でも同時多発的に余震が起きたことで三陸沖地震の周期が揃い、同時に発散されることで起きたのが東日本大震災であるわけで。その爆発的なエネルギーは長野県にもバウンドして帰ってくるのは当然だったわけですが、(3/12、6/10長野北部地震)この爆発的エネルギーが全国各地で誘発地震を起こし、また2014にも再び長野県北部で長野県神城断層地震が発生し、またここから全国へとゆっくりと誘発できうるエネルギーを届け、2015年には小笠原諸島でMj8.1を引き起こし、また2016年には熊本地震を引き起こしたのではないでしょうか
また、日本の地震を全国に広げることができる糸魚川静岡構造線に属している能登半島沖の北岸での震度7は各地にどのような影響を与え、また周期が過ぎていたりする地震をエネルギーで誘発することは想像に容易いでしょう。
近ほどまでに長野北部に大きい地震が来たら南海トラフを覚悟すべきではないでしょうか?そして、能登半島を含む糸魚川静岡構造線、その中でも特に中央構造線と交わっているかそれに近しい位置にある地震は全国で地震を誘発を引き起こしやすい特別な地震である可能性について提議したい。それと、書いている途中に気づいたことですけれども、基本的に十勝沖から中部にエネルギーが移動し、更に中央構造線で(特に駿河と広島や山口、紀伊が多い)南に押されていき最終的に南海トラフを引き起こすケースが多いのではないでしょうか?
南海トラフ前のケースとして、
新潟県中越地震系統が発生し、数年以内に十勝沖地震が発生。それが段々と西に下がっていき、中央構造線と縦の構造線が交わるところでエネルギーが発散され、中央構造線を通り西側に震度5強以上をもたらし、またそれを一部跳ね返されて長野付近で発散され、その後周期で溜まっている大地震を刺激し発生するというパターンが多いように思える。今は長野付近で発散のフェーズだと思うが。
そして、糸魚川静岡構造線で新潟県から静岡まででおおよそ2年。長野からも2年。同じく中央構造線と縦の線の交わるところである埼玉県北部からは3年(糸魚川静岡構造線ではないため)
中央構造線によるエネルギーの押し出す速度は、長野から日光灘付近までがおおよそ2年。新潟からは3年。埼玉県北部からは2年。
こうすると、2014年長野地震→2016熊本地震や2011年長野地震→2013年淡路島、2007新潟越中→2009静岡地震、1828三条越中→1830京都や1683日光地震→1686広島、静岡などと辻褄が合います。そもそも昔から震度7という概念が導入された福井地震以降に震度7が1948に実装されたのにも関わらず、周期的な震災が十勝沖地震と三陸沖くらいしか来ずに、それすら震度7を越えられず。1995を迎えて以降なぜここ30年でここまで震度7の大規模地震が増えたのだろうと考えていましたが、新潟県中越地震から連鎖的に続いてるんだろうなと思いました。歴史的に見ても大きい地震が頻発する時期としない時期の差は激しいわけですし、なにかしらの地震がトリガーとなり最終的にそれが大災害を複数引き起こし、大地震の周期が終わり沈静化することで定期的に日本で大きな地震が頻発しない時期ができるわけなんでしょう。
というわけで6500文字のここまで長々しい文を読んでくださったあなたは神様に等しいです。私のくだらない高1の浅はかな知識で本当に申し訳ないです。結局地震というのは過去の前例と照らし合わせ、いつ起こるか。そしてどう対策するかということですから。いつでも南海トラフが起きてもおかしくない世の中。日頃から「備えあれば嬉しいな」です!
津波が起きれば高台に避難するという教訓を得られたからこそ、また津波を恐れる人が増えたからこそ今回の地震でも東日本大震災ほどの被害者は出ませんでした。先人たちに感謝しながら、地震に備えましょう。命より大切なものなんてないんですから。

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