ぴっける

子育ても終わり、登山と山スキー三昧の生活に介護が降りかかる。鬱々とした日々をなんとか前…

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子育ても終わり、登山と山スキー三昧の生活に介護が降りかかる。鬱々とした日々をなんとか前向きに

最近の記事

久しぶりに母と長い時間を過ごした

朝6時に電話がなり、母が転んで頭に怪我をして出血も多いので救急車を呼ぶという連絡を受けた。 大急ぎで病院に向かい付き添ってくれていた看護師さんと交代する。 頭に裂傷があって3針ほど縫う羽目になったものの、幸いCTでは異常なかった。そのまま外来の脳神経外科を受診するように言われ、全てが終わって母を施設に送り届けたのは11時半。病院に到着したのが7時頃だったので4時間超母と一緒にいたことになる。 最後に母の通院に付き添ったのは8月だった。それまでは、しょっちゅう父と母の通院

    • 幻の世界

      面会の度に母は幻の世界の人になっていく。私のことは認識している。亡くなった父の写真を見ても誰だか今ひとつ分からない。弟のことも誰か親切な男の人だと思っている。「この前K 、来たでしょ」と言うと「そうそう来たけども風があんまり強くて怖がって泣いてねえ」と返って来た。母にとっての弟は小さい男の子で、現実の50を越えたおっさんではない。 2月になってから母はよく転ぶようになり、福祉用具の人、理学療法士、ケアマネ、施設のスタッフで転倒防止策相談をした。歩行器は新しく道具の使い方を覚

      • 意外とダメージ喰らっていたかも

        コロナとほぼ同時期に始まった両親の介護、色々あったけれど今のところ一段落ついて小康状態になっている。 他の方たちと較べてもしょうがないことだけれど、自分が特別大変な目に会っていたわけではない。どこの介護も其々に激烈で、どの場合も1冊の本になるのに充分なストーリーがある。ということがnoteのお陰で分かった。 一息ついて振り返るとこの数年で失っていたのは時間と気力と体力だった。 実家まで片道小一時間はかかるので、週に数回通うだけでも、結構な時間を要した。最低限の家事と仕事

        • ひとりになった母の新年

          父が亡くなって3ヶ月が経った。 狭いなあと思っていたホームの2人部屋は父のベッドが運び出されてみると、やけに広く感じる。 大量に持ち込んだアルバムも埃を被ったまま。入所直後に壊れて慌ただしく買い替えたテレビも、ほとんど使われなくなった。 実家にいたときから、テレビをつけるのは父。母はそれを眺めていただけで、観たい番組というのもない。 父がアルバムを拡げて昔の話をすれば、問いかけに答えてはいたけど自分から写真を見ようとすることはなかった。 自分ひとりで楽しむ術を端から持

        久しぶりに母と長い時間を過ごした

          暗証番号

          父の銀行口座がストップしたので、母の口座からお金を引き出さないといけない。 「暗証番号は全部、同じ」 と聞いていたので何の懸念もなくATMに行った。 ん? 暗証番号が違う? 間違えたかな。もう一度、間違えないように慎重に入力する。 え!また違うって? 誕生日かな? これも違う。 まずい。 次の日、施設に物を届けがてら母に会いに行った。 「信金のママの口座の暗証番号、覚えてない?」ダメ元で聞いてみた。母はしばらく考えて言った。 「そうだねえ、どの番号も違ってたんなら野菜だと

          海洋散骨は大荒れ

          当初10月始めの予定だった散骨式が悪天候で延期になった。 今週末は天気も良さそうということでビールも日本語も用意して、BGMにアラビアのロレンスのテーマもスマホにダウンロードした。 海辺の民宿にランチの予約もした。準備万端。 ところが前日になって葬儀屋から連絡があった。 天気はいいけれど風が強く、波が高い予報になっているので、中止にするか、予定よりも近場の海域にするかになるという。 延期を勧められたけれど、次の予定は11月。また天候が悪くて延期になると、どんどん寒くなって

          海洋散骨は大荒れ

          父亡きあと

          父が亡くなって、しばらくの間は後悔ばかりが思い起こされてしまったけれど、少しずつ客観的に考えられるようになってきた。 手続きを進める中で、何度も父の名前を記入し、その度に父がもういないという事実を確認する。この名前は私のこれまでの人生で何度となく、私の身元を保証するものとして書かれてきた名前だ。その名前を今は私が、彼の人生を決着するために記入する。 相続の手続きで必要な「生まれてから全ての戸籍謄本」には父方の叔父、叔母、祖父母、そのもっと前の先祖の名前が並ぶ。其々に人生が

          父亡きあと

          自分の世界に帰る

          父の遺骨は海洋散骨をすることにした。弟と相談して決めた。生前の父は自分の遺骨は梓川と奥穂高岳の頂上に撒いてくれと言っていたが、それは違法になってしまう。釣りも大好きだったから良いだろう。 散骨式の日はあいにくの悪天候で、前日に業者から延期の連絡が入った。 1日ぽっかり予定が空いてしまった。何をしよう。 映画を観に行くことにした。 リバイバル69。旧いロックが好きなので。上映館はファッションビルの中にある。20代の頃にワクワクしながらよく行った場所。 久しぶりの街は沢

          自分の世界に帰る

          手元に現金がない不安

          父の葬儀の後、母が心配なので何度か面会に行っている。 特に落ち込んでいる様子はない。 連れ合いが亡くなった事は一応、理解していて、遺影と遺骨が欲しいという。 「長生きしたし、旅行も沢山行って、いい人生だったと思うよ」 「なんで亡くなったんだったかな?」 「腎臓が悪かったからね」 「うちの旦那と一緒だね」 「そうだね。おんなじ人だからね」 お金が一銭も無いので困ると言う。 「ここはお金は、いらないんだよ」 というと 「そんでもね、バス券は買わないといかんでしょ」 「バス券もね

          手元に現金がない不安

          血縁=家族ではない

          父にはもう40年近く縁切り状態になっている妹が2人いる。 父の母親が、病的に嘘を付きまくって他人の注目を得ようとする歪んだ承認欲求を持った人で、結果、自分の家族をめちゃくちゃにしてしまった。 父の弟が私の母の妹と結婚していたお陰で、私たちは祖母の嘘に巻き込まれることがなかった。 祖母は私の母と叔母が、財産を狙って結託している。一緒に暮らす嫁(私の叔母)は収入を全部、自分名義で貯蓄しており、そのせいで自分は惨めな生活を強いられていると娘たちに涙ながらに語っていた。 40

          血縁=家族ではない

          父が亡くなった

          父が亡くなった。 入院してから2週間、面会のたびに父が死に近づいて行くのを目の当たりにしてきた。それと同時に父に対して少し持っていた負の感情は消え、浄化されたように感じる。父を全て受け入れられる。子どもに死に様を見せるまでが親の務め、と聞いたことがある。父は私のために、その務めを果たしてくれた。 葬儀はこじんまりと近しい親族だけで行った。亡くなった次の日の葬儀にも関わらず、私のいとこ達も仕事をやり繰りして遠方から駆け付け、4人の孫も全員揃った。みんな父に恩や愛着を持って集

          父が亡くなった

          かかってきてほしくない電話を待つ

          父の容体が悪くなり常時連絡が取れるようにと医師に言われてから6日が過ぎた。 慌てて母を面会に連れて行き 、近い親族が面会に行った。これから何が起こるのか不安で、あてもなくネットで情報を探したり、喪服の準備をしたり、わさわさする気持ちを紛らわそうとした。 5日目になると何もすることが見つけられなくなった。 面会はひとり週2回、土日の面会は禁止なので面会にも行けない。 父はどうしているのだろう。ひとりぼっちで病室の天井を見ているんだろうか。良い記憶の中で彷徨っているんだろう

          かかってきてほしくない電話を待つ

          暑い秋 その2

          母を面会に連れて行くべきではないか。「難しいんじゃね?」と弟は言う。 混乱している母には辛すぎるだろうか。まだ私の車に乗れるだろうか。施設は許可してくれるだろうか。面会の後で不穏になったりしないだろうか。 どうしよう。 自分だったらどうだろう。頭の中がよく分からなくなっていて、夫が死にそうになっていて、会いたいだろうか。 会いたいな。 連れて行くべきだ。連れて行こう。悔いが残ると嫌だ。 次の日、施設に連絡を入れて母を迎えに行った。小ざっぱりと身なりを整えて貰って何故

          暑い秋 その2

          暑い秋

          1週間で退院の予定だった父の容体が急に悪くなった。 一旦は食欲も戻り週明けには母の待つ施設に戻れると思っていた。医師からもそう聞いていた。 退院前にどんな様子か見て来ようと思い、ちょうど仕事が休みで家にいた息子を連れて面会に行くことにした。 父は個室に移され対面の面会を許された。嫌な予感がした。 頬がすっかりこけてしまい、目も濁っている。ああ、見覚えがある。亡くなるまえの祖父の顔。死に行く人の顔だ。動揺した。 「Mだよー。お見舞いに来たよ。Fも来たよー」 と声をかける

          父と母

          仲の良いご夫婦ですね。お父様は嫌な顔ひとつせずにお母様お世話をされて。 と施設の方に言われてびっくりした。自宅にではそんな光景を見たことがない。 母にとっては何もできない駄目な夫。その世話をするのが自分の努め。 愛情や思いやりが、あるのだろうかと思われるほど父を悪く言った。 父は世話をされるのが当たり前で 自分が自立していないことに気づいていない。 身体が思うように動かなくなってから、母はその苛立を父にぶつけていた。耐え切れなくなった父は怒ってどなる。怒鳴りつけられたと

          父と私

          父は中学の英語教諭として働いていた。管理職へのオファーを断って定年まで教壇に立つことを選んだ。 私が大学生だったころ、帰宅すると家の前に改造バイクが並んでいて、ぎょっとしたことがあった。かなり気合いの入った出で立ちの卒業生たちが上機嫌の父を囲んで、和やかに語らっていた。脇に逸れてしまった生徒たちに共感を持って、いつもそういう子たちのために心を砕いていた。 一方で、娘には非常に過干渉で、あまりの理不尽さに、度々私は唇を噛み拳を握りしめて反発を飲み込んできた。 父の若い頃はち