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父と私

父は中学の英語教諭として働いていた。管理職へのオファーを断って定年まで教壇に立つことを選んだ。
私が大学生だったころ、帰宅すると家の前に改造バイクが並んでいて、ぎょっとしたことがあった。かなり気合いの入った出で立ちの卒業生たちが上機嫌の父を囲んで、和やかに語らっていた。脇に逸れてしまった生徒たちに共感を持って、いつもそういう子たちのために心を砕いていた。

一方で、娘には非常に過干渉で、あまりの理不尽さに、度々私は唇を噛み拳を握りしめて反発を飲み込んできた。

父の若い頃はちょうど第1次登山ブーム。布製のザックを背負い、脚にはゲートルを巻いて北アルプスに通っていたようだ。
繰り返し語られる山行ルートは、現在立山黒部アルペンルートの富山側の入口になっている称名滝から入山して立山から劔岳に登り劔沢から真砂沢を下って阿曽原に至るロングルートだ。
父の山の話をゆっくり聞くようになったのは両親の衰えを感じて定期的に実家に行くようになってからだ。色々なことが分からなくなってからも、父の話す山行ルートは地図と合っていた。私も子どもの頃からよく山に連れられて行っていて、高校では山岳部に入り、以来ブランクを挟みながら今も山に行くことにを楽しみにしている。

スキーが庶民にも手が届くレジャーになった頃に父もスキーを始めた。私が
5歳の頃から大学を卒業するまで毎年、冬と春に4泊5日ずつ、家族で八方尾根にスキーに行っていた。ボーナスを全部注ぎ込んでいたらしい。お陰で「わたしをスキー連れてって」が流行ったスキーブームの時代には自慢できるほど上手く滑れるようになっていた。

私が英語講師をしているのも、山に行っているのも、山スキーに夢中なのも、みんな父の影響だ。

私は父に似ている。



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