ひとりになった母の新年

父が亡くなって3ヶ月が経った。

狭いなあと思っていたホームの2人部屋は父のベッドが運び出されてみると、やけに広く感じる。

大量に持ち込んだアルバムも埃を被ったまま。入所直後に壊れて慌ただしく買い替えたテレビも、ほとんど使われなくなった。

実家にいたときから、テレビをつけるのは父。母はそれを眺めていただけで、観たい番組というのもない。
父がアルバムを拡げて昔の話をすれば、問いかけに答えてはいたけど自分から写真を見ようとすることはなかった。

自分ひとりで楽しむ術を端から持っていない。

ひとりになってしまうと何もすることがない。

父が亡くなった時には自分で友達に電話していたのに、今では携帯の使い方が分からなくなってしまった。この前、携帯を充電しようと思ったら携帯が見つからず、探した挙げ句アルバムの山の間に挟まっていた。着信音が鳴ってもどうして良いか分からず、そこに押し込んだのではないかと思う。

会いに行く度に、段々と夢の世界の割合が大きくなっている。しきりに気にしていたお金のことは、もう触れなくなった。父の話も出ない。ちょっと前までは「爺さん元気にしとる?」「どの爺さん?」「あんたのとこの爺さん」「家に爺さんはいないよ」みたいな会話もあったが、この前、会いに行った時は私の顔を見ることもなく、鍋を買いに行ったけど最近は鍋が売っていない、と言ったかと思うと、釜飯を炊きたいのに釜が見つからないと言ったり、脈絡がなくなって会話の形にもならなかった。

施設のスタッフによると、どうも家事、片付けをしたいようで部屋の中を歩き回って色々なところを触ったり動かしたりしているらしい。

テレビのコンセントを抜いてみたり、シーツをあっちこっち引っ張ったり、部屋の鍵を中から掛けてしまう事も時々あるそうだ。ミニキッチンの引き出しに入れてあった歯磨き粉のストックを食べてしまったという件も事故として報告、謝罪して頂いた。

以前は帰り際にはホームの玄関まで見送ってくれたのに、最近は面会の間中、ベッドに横たわっていたり、椅子の背に掴まってうつむいて立っていたり、ずっと同じ体勢のまま動かない。

弟と叔母が正月会いに行っても、誰かよく分かっていないようだったと言う。私のことは何とか認識している。父の葬儀の時には孫を含め、全員、分かって話していたことを思うと、急速な衰えだ。

幸いなことに食欲は旺盛だし、顔色も良い。7月には寝たきりも近いかと思ったけれど、何とか自力で歩くこともできている。本当に施設のスタッフさん達には感謝しかない。

去年は、まだ何とか自宅で過ごせていたのに。次の正月はどうなっているんだろう。

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