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父亡きあと

父が亡くなって、しばらくの間は後悔ばかりが思い起こされてしまったけれど、少しずつ客観的に考えられるようになってきた。

手続きを進める中で、何度も父の名前を記入し、その度に父がもういないという事実を確認する。この名前は私のこれまでの人生で何度となく、私の身元を保証するものとして書かれてきた名前だ。その名前を今は私が、彼の人生を決着するために記入する。

相続の手続きで必要な「生まれてから全ての戸籍謄本」には父方の叔父、叔母、祖父母、そのもっと前の先祖の名前が並ぶ。其々に人生があったのだろう。どんな風に生きたのか。今となっては、誰も知らない。

施設に入所する時に私が用意した父の物を片付けるにつけ、父の人生はあの家と共に幕引きだったのだと考える。本当の父の物はあの家の中にあってこその、「父の物」だった。戦後の日本の発展と共に築き上げた豊かな生活の証が、あの家と、家に詰め込まれた物たちだった。

父の最後の嬉しそうな笑顔をもたらした報告の通り、次男は彼女と暮らすために家を出た。父が亡くなった日は次男の誕生日だった。彼女だけが誕生日を祝ってくれたらしい。幸せそうで良い。
夫と二人分だけの食事を作るのは、ちょっと寂しい。これから私たちも最後の日に向かって行く。

年老いた飼い犬に血尿が出て、慌てふためいて獣医さんに連れて行くと、膀胱に腫瘍ができている可能性があるが老犬なの積極的な治療はリスクが高い、ということだった。もうひとつ看取りが始まる。

この頃、不意に方丈記の冒頭を思い出す。

行く河の流れはたえずして、しかももとの水にあらず

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