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推しと、私の三年間。

「運命を信じるか」という問いは、
恋愛において、この人じゃなきゃ行けないという絶対の対象があると信じるか、信じないか、を問われていることが多い、と思う。

そして、その運命なら私はないと思う。
この人がいい、はあってもこの人じゃなきゃダメ、はない、というのが自論だ。

だけど、恋愛じゃないのならば、話は違うと思うのだ。

私は自分にとって絶対にこの人じゃなきゃダメな、代えの聞かない存在がいる。

私にとってそれは、「推し」という存在である。


1.不登校

中学2年生。いつからか、学校に行くのがしんどくなった。
最初はお腹が痛むようになり、休み出すと、学校が嫌でたまらなく感じるようになってしまった。
当時、学校という小さな社会が学生の私には全てで、楽しいこともあったはずだったのに、次第にそれらが苦痛になっていった。


集団生活が向いていないという事実に気づいてしまったのだ。


教室は逃げられない部屋のようで窮屈に感じ、以前は何を頑張っていたのか思い出せないが、とてつもなくどうでもいい時間に感じる授業に、学校を漂う正しくないルールとそれに縛られているのも気づかずそれを当たり前と受け入れ簡単に人を傷つける学生、部活に委員会、勉強。

それらは私に多大なるストレスを与え続けていたのだと思う。


そんなふうに感じるまで、私はずっと楽しく学校に行っていた。
いろいろなことにも挑戦したし、頼られることも多かったように思う。
だが、それらは、私のキャパシティを大きく超えていた。責任ある仕事や学校での立ち位置は、私の学校生活をおおいに充実させてくれたが、自分自身で作った「こうあるべき」という姿と現実とのギャップでしんどくなっていった。

行かなきゃ行けないけど、次第に行く意味もわからなくなった。
学校という狭い特殊な環境を客観視してしまった私は、この枠にこのままのわたしでは戻ることはできない、と気づいたのである。
いわゆる、社会不適合な人間という部類に括られるのかもしれない。

まだ始まって短い人生の中で、その事実は、一番しんどい出来事であった。
泣き叫び家族には当たり散らし、ずっとずっと、消えたいと感じる。
抱えていたタスクはやりがいのあるものから、重たい荷物に変わってしまったのが、辛くて仕方なかった。逃げたくなった。
先のことを考えて病んだし、受験のことも考えたくないけど不安でたまらずまた色々考えた。だからといってどうするというわけでもなく、どうしようもできるわけでもなかったが、その無力感にさえも苦痛を感じることもあった。

暗いトンネルの中にいるようで、出口は見えなかった。私という存在をみんな忘れてくれたらいいのに、と思う日もあった。

だが、そんな絶望の淵でも、生きようと思ったのが、推しの存在だった。

2.推し

私に明日を与えてくれたのが推しだった。

毎日ずっと苦しんで、ボロボロで、「つらい」「無理」ばかり言っていたあの頃、どれだけしんどくても、私はしにたいとは思わなかった。
一度も。

それは、推しがいたからだと思う。

この世から私は可視化できない存在の、いわば透明人間のような存在になってただぼうっと漂っていたいと思うこともあった。

それでも死ぬのは嫌だった。明日になれば彼のSNSの更新があるかもしれない。前にFC会員限定ブログでマネージャーさんが言ってた情報解禁前の映画のお仕事や、もうすぐある舞台の配信も見なきゃ。共演者のだれかが推しさんと写真を撮って投稿してくれるかもしれない。

そんなふうに、かれのことを考えているときは、絶望の淵であってもギリ人間の形を保てていた。

3.出会い

初めて彼のお芝居を見た時は、ただ「可愛いな。」くらいにしか思わず、特に気にもとめない存在であった。
彼の演じるキャラクターはソロ曲もあったし、彼本人のSNSフォロワー数は他の出演者よりも多く、人気も実力もあるある人なんだと思った。

特別ずば抜けて好きなわけではないけど、演じてるキャラ可愛いし(当時は可愛い男が好きだった)、まあそれなりに好きな人、みたいな。私の中でそんなレベルの立ち位置だった。

そして、段々とシリーズを観進めていくうちに、彼が演じるキャラクターのワンマン公演にたどり着いた。

彼は素人目に見ても歌もダンスも芝居も普通に上手で、キャラも好きだし、暇だし、みるか〜みたいなぼんやりとした意思でその公演の配信を流し始めたような。

これが沼の始まりである

私はこの公演を観終えるころには、すっかり彼の演じるキャラクターの虜になっていた。

今まで他のキャラクターばかり見ていたが初めてこの公演で彼という存在を注視して見たことで、彼の人気の理由も、単独公演という未知の試みを託される理由も、全てにおいて合点が入った。
文句のつけようがないとはまさにこのこと。


歌も芝居もうまい、ダンスの緩急の付け方が好き、表情管理がすごい。
この男は一瞬で私の中に入り込み侵食していった。

そして私はこの時、なんとなく、「この人のこと一生推したい。」と強く思った。

昨日までは気にもとめていなかった存在で、彼の他の出演作を一つも見たことがないのにもかかわらず、だ。

多分本能がなにか悟ったのだろう。

人間の野生的直感とは怖いものである。ここからは早かった。彼本人の配信を見て本人にも落ち、その3日後にはファンクラブにも入っていた。
なんというスピード感。怖い。
そういうとこあるよねオタクって。

ここから現在まで、推しと私の三年間が始まる。

4.激依存時代(割とリアコ)

推しさんを本格的に推し始めた当初は、相当メンタルが落ち込んでいた。
そんな当時の私は、精神的支柱が少ないどころかほぼなかったので突如彗星の如く現れた運命の推しさんにどんどんハマっていくのだ。

ギリギリのメンタルの中、推しさんのSNS投稿があれば喜び、行けない東京での現場が決まると見れないと泣き、私なんかが推してちゃいけない、と思って病むけど推しさんしかないから苦しんだり。
感情の波の振れ幅が異常に大きかったあの頃は、推しさんがいないといきていけないのに推しさんを推すのがしんどいこともあったり、勝手に振り回されて消耗することも多々あった。

それに今思い返せば、割とリアコであった。
この頃は推しさんの凄さとかもまだ今ほどわかってなかったし、当たり前だけどそりゃむちゃくちゃかっこいいもんな。(今は半分くらい人間じゃないと思ってるからリアコでもなんでもないのだが。)

当時は度がつく新規だったのもあって、自分の知らない推しさんを他のオタクの方は知っているのが心底羨ましくて、もっと早く出会えてれば、と何度も思ったし、SNSで同担さんをみると敵対視していた。
今思えばやばすぎ黒歴史。w


初めてのご対面

そしてそんな激依存時代に推しさんとの初対面も実現する。

まぁ正確に言えば舞台上の推しさんを一方的にこちらが見るだけだが。笑

ヒーヒー言いながら全てに一喜一憂する日々で、とうとう画面の向こう側の存在だった推しさんを肉眼でみることになる。

あの日のことは生涯忘れないと思う。

多分走馬灯にも出てくると思う。
初めて推しさんを見た衝撃はそれだけ大きかった。

私はただ、
存在してる しか言えなかったしそれしか脳が処理できなかった。


すっごくよく知っている推しさん。

四六時中推しさんのことしか考えてなかったし、画面上では何百回と見た顔なのに、
縋るように聴き続けた声なのに、
何もかもが新鮮で。

正直舞台の内容も入ってこないくらいに存在を噛み締めていた。

推しさんが数メートル先に立って、生きていた。

今日死んでも惜しくはないだろうと思った。

人生で一番世界が輝いていた。
多分あの瞬間、この世界で一番幸せなのは私だったと思う。

5.高校入学(リアコではなくなった時代)

そして時は流れ、中学生だった私も進路選択の時が来た。

というものの、一時期不登校だったので私は通信制高校に進学。

まぁ正直なところ週5回も学校に通えるわけねぇ〜わ、っていうのもあり。

そして私の壊滅していたメンタルは、いつも安定しているわけではないけれども、入学の頃には比較的安定し、この頃にはすっかりリアコも卒業しましておりました。

推しさんの存在の大きさは変わらなかったけれど、好きが崇拝に変化を遂げたのかもしれない。

このあたりから、やっと人間らしい(?)生活になっていく。

6.そして、今

今も、私と推しさんの関係は変わらず、一オタクの私は定期的に推しさんの舞台に行き、投稿に「いいね!」を推す。
推しさんは変わらずいい芝居をしている。

そして私は依存先が増えてメンタルがほんの僅かだが安定して、こうして文を書くこともできるようになった。


けれど、やっぱり私には推しさんしかいないし、唯一無二の存在であることにかわりはない。

「運命を信じるか」という問いは、
恋愛において、この人じゃなきゃ行けないという絶対の対象があると信じるか、信じないか、を問われていることが多い、と思う。

そして、その運命なら私はないと思う。
この人がいい、はあってもこの人じゃなきゃダメ、はない、というのが自論だ。

だけど、恋愛じゃないのならば、話は違うと思うのだ。

私は自分にとって絶対にこの人じゃなきゃダメな、代えの聞かない存在がいる。

私にとってそれが、「推し」という存在である。


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