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私はヴェーダの知識の勉強だけでなく新しいことを知るのが大好きです💓
何も知らなかったところから「あ!そうか」となる瞬間がとても好きなのです。

サンスクリット講座の先生から
「知識が好きなので、どっちかっていうと、現世で暮らすより、隠遁者向きだよね。」と指摘を受けました。

「あ、バレたか」と思ったのですが、それは私の一面で、相対的なことにも興味があります。そうでなければこうやって現実世界に暮らすのはしんどいでしょう。でも確かに、地位、名誉などにはあまり興味がないかも。

何かを知るということに対しての欲望というか渇望は常にあるような気がします。いつも何かを知りたいと思っています。これはヴァータ(動きの質)の乱れが「知りたい」という欲望の火に油を注いでいるからかもしれません。

知的に知ることと、体験することの間には大きな差があります。100の知識も1回の体験にはかないません。

知識を知ると、体験してみたいという気になります。体験するとその体験について、どういうものなのか知りたいと思います。知識と体験は進歩の両輪です。

知識を学ぶのは早く学べますが、体験はゆっくり進みます。例えば、水泳で手足の動かし方を教わったとしても、それができるかどうかはまた別の問題です。そこには練習が必要です。

でも完全に泳げるようにならなければ、水泳が楽しめないわけではありません。何回か通うごとに、身体が軽くなったり、体重が落ちたり、筋肉がついたり、新陳代謝がよくなって肌がきれいになったり、といいことは沢山起きるでしょう。

ヴェーダの知識も同じです。完全に啓発した人の知識を学んで内容を知的に理解しても、体験がやってくるのには時間がかかるでしょう。ましてや正しいテクニックが伴わないと長い時間が無駄になってしまいます。

超越を一度でも体験したなら、ヴェーダの知識はとても親しみやすいものになります。超越はクシャニカ(一時的な)サマーディです。それがニッティヤ(永遠の)サマーディになるのが悟りの状態です。

そして水泳と同じように練習が必要です。それが毎日の実習です。
しかし、啓発しなければ良いことが起きないわけではなく、健康、人間関係、効率性などに良いことがあらわれます。これは査読された論文でも明らかにされている事実です。

そして簡単に超越できるのは超越瞑想(TM)だけです。

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