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No.45所感=^_^= 事実は一つ、真実は多数~学校の本当の姿(ホワイトな学校へ~号外 映画「怪物」レビュー)

はじめに

遅ればせながら、「怪物」見てきました。
見終わった後に泣けた、という話を聞いていましたが、私は、途中で涙が出ましたが、見終わった後は、泣けませんでした。
むしろ、腹立たしさ、怒り、といった感情が先行しました。
この映画を、一事例として、分析したくなってしまったからかもしれません。

そして、レビューを考え始めたら、学校に対する世間の見方という点で、つながるものがあるなと思い、以前からどんなふうに書こうかと温めていた、「学校の本当の姿」と合わせて書いてみることにしました。
学校が「ブラック」と言われて久しいですが、それについての考察です。

そうしたら、なんと、一万字を超えてしまいました( ̄▽ ̄;)。

しかも、内容は、興味ある人にしか面白く感じられないであろうと思われますし、私見にあふれているので、私の考え方を受け入れ難い人も少なからずいると思います。
ですから、申し訳ないのですが、先日予告したとおり、また、有料にさせていただきます。
興味のある方は、是非、読んでください。

※ネタバレあり。


映画「怪物」レビュー


事実は一つ

「事実」は、例えば、「M君が教室で暴れた。」
というだけのこと。

しかし、これに纏わる「真実」は、関わる人の数だけ存在する。

暴れた本人Mにとっての真実。
その原因となった子にとっての真実。
原因となった子の原因を作った子たち、一人一人。
周りで見ていた子たち、それぞれ。

事実を目撃した担任の先生。

M君のけがを見た、母親。

学校の校長。
教頭。
先生たち、一人一人。


そして、その人それぞれにとっての真実は、他の人には理解し難いものであり、それを他人に理解させようとすると大変な困難を伴うのだ。

我が子が担任によるいじめを受けているという確信をもった母親にとって、学校の態度は、煮え切らない、到底納得できるようなものではない。

担任による不適切な指導があるという訴えを受けた学校は、学校を守るためという大義名分で、その担任本人の弁明を聞き入れようとしない。

子供がいじめをしていると思い込んでしまった担任には、あらゆる事象が、いじめを裏付けるものにしか見えず、その裏に隠された子供の本心を知ろうとしない。

一つの事実に対する、異なる真実を、学校はどのように判断し、どのよう収めることができるのか。

しかし、この学校が選んだのは、沈黙だった。

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