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「学びはつながっているんだよ」/おやこで通う小学校⑫

「勉強なんか大嫌い」

珍獣(兄)は勉強が嫌いだ。
自ら、そう豪語している。
といっても、勉強の何たるかを知った上で嫌っているわけじゃない。
完全な“食わず嫌い”だ。

前回の記事(「おやこで通う小学校⑪勉強って、なんだろう?〜脳内ひとり芝居〜勉強って何?」)で、危険思想を脳内ひとり芝居によって披露するという
思いつきの愚行を強行したわたしだけれど( ゚д゚)
もちろん、それを珍獣(兄)に話したことはない。
わたしの思想は、わたしが実体験からアレコレ無駄に思考した末の、わたしだけのものだから。
それに、受け身一辺倒の「勉強」に対する疑問は様々あっても
本質的な意味での【学び】や【学習】を、否定するつもりはないどころか
人が人として生きる意味の1つだとすら捉えている。

だから、勉強や学習、学びといった概念を、珍獣(兄)の前で悪しざまに話したことはなく
よって、彼の食わず嫌いの犯人はわたしではない。キッパリ←これが言いたかった

真相は。
どうやら保育園時代に、小学校で勉学に勤しんでいる卒園児たちから、色々と事前情報を得ていたようだ。
そして

「勉強って知ってる?つまんないんだよ」
「勉強なんか大嫌い!!」

などと、確か年長になってからよく口にするようになり
勉強に対する(無用な)先入観をしっかり確立した上で、入学を迎えてしまった。

言い分は分かるけど…母、居心地悪し

彼が在籍する支援級では、4月中旬から授業がスタート。
おもちゃコーナーで遊びたい放題だったのに、それが急に叶わなくなり
半ば逆恨み的に、珍獣(兄)は『勉強』への反感を強めていった。 ( ゚д゚)
そしてひとりボイコット体制を敷いた。( ゚д゚)

「勉強、大嫌い。
机に座るのが嫌だ。疲れる。
勉強は、自分がやりたい時にやればいいの

3月まで毎日、野山を駆け回り、泥だらけになって遊びこけていたのが
4月からはいきなり「小学生だから」という理由で、遊びが実質禁止され、勉強を強制される。
それは社会制度上の都合であって、彼の育ちや発達のペースとは関係がない。
そのことを本能的に感じ取り、反発しているように見えたし
わたしには彼の言い分が、よく分かった。

…よく分かったけれど、わたしはどうにも居心地が悪かった。
(1人だけ、遊び続けるのもなあ…
ここ、『学校』だし。
遊ぶだけならここじゃなくても、ねえ…)

支援級の先生たちは、彼の意思をひとまず尊重してくれて
勉強に関しても、決して無理強いしなかった。
そうした対応をありがたく思う反面、何だか申し訳なさが増してしまい
わたしはたまりかねて、珍獣(兄)に詰問した。

「やりたい時にやる、は分かった。じゃあ、いつやりたくなるの? # ゚Д゚) ゴルァ!!!」

すると彼は

「お友達がやってるのを見て、『楽しい』と思ったらやり始めるんじゃない?」

と、まるで他人事のように言ってのけた。( ゚д゚)オォォ

そんなわたしとのやり取りや、珍獣(兄)が好きなことについては、雑談を通じてちょくちょく、先生に伝えていた。

珍獣が、初めて数字を書写した動機

支援級の教室は、真ん中に置かれたロッカーを仕切りとして
体を動かせるコーナーと、勉強のコーナーに分かれている。
4月に授業が始まってからは、珍獣(兄)と同じ1年生の子どもたち2〜3人が、先生と勉強コーナーで勉強する場面が見られるようになった。
ホワイトボードはあるけれど、いわゆる一斉授業の形式ではない。
読み書きや点つなぎなど、1人ひとりの特性や状況を踏まえて先生が選んだドリル・プリントに、子どもたちがそれぞれ取り組む形が多かった。

「できたー!先生、(ご褒美の)シールちょうだい」
「すごい!ここまで出来たんだね。じゃあ今日は特別に2枚貼ろうか」

騒がしいときを論外として、私語が過度に咎められることがないので
先生と子どもたちはいつも、和気あいあいとやり取りしていた。

GWも明けた、5月中旬のその日も、楽しげな声が勉強コーナーから聞こえてきた。
すると、様子を伺っていた珍獣(兄)が、自らそちらへ歩み寄っていき
「何してるのー?」と声を掛けた。

先生「今からすごろくを作るんだよ。
前に、みんなで遊んだでしょう。今度は自分たちで作ってみようと思って。
◯◯くんもやる?」

珍獣(兄)「やるー!」

わたし「( ゚д゚)!!」

先生は、1人1枚ずつ大きな紙を配布。
そこに、各自自由に設定したすごろくのコマ数を書き込んでいく旨を説明した。

珍獣(兄)は、文字や数字の『読み』は多少できても、『書き』が一切できない。
書こうという気もなく、ずっと鉛筆を持つことすら拒み続けてきた。
…はずなのに、この時、数字の書写に、あっさり挑み始めた。( ゚д゚)
「すごろくを作って遊びたい」という動機が、彼に見事マッチしたようだ。

見本の数字を見ながら、ゆっくりと
自分で設定した『20』まで、休まず書き進めていく珍獣(兄)。
その時の彼の表情に、わたしは釘付けになった。
いつも『ポカン』状態の口元( ゚д゚)ポカン は引き締まり、目は真剣そのもの。
そして数字をひとつ書き終える度、はにかみつつ『ニヤリ』と笑う様子からは
『書ける』喜びに、じわじわと目覚めていることが伝わってきた。

字を初めて書いた、ということよりも
そんな一連の表情に立ち会えたことによって
わたしは胸を熱くした。。゚(゚´Д`゚)゚。ジーン

そんな彼を、先生は時々手伝いながら、ずっと見守ってくれた。
ペンの上の方を握りしめるため、コントロールがきかずに線は波打ち
書き順もめちゃくちゃだったけれど
一度も注意しなかった。

初めて数字を書き、初めて『ご褒美シール』をもらってホクホク顔の珍獣(兄)に、先生が

「◯◯くん、勉強したじゃない!」

と、声を掛けた。
珍獣(兄)は驚き、「勉強してない!!遊んだだけだヽ(`Д´)ノプンプン」と反発。
すると、先生が言った。

「すごろくを作るために、数字を書いたでしょう。
それは勉強だよ。
勉強って、いろんなこととつながってるんだよ!

先生の裁量が大きい特別支援教育

例えば珍獣(兄)の場合は、【遊びの要素をふんだんに取り入れる】といった具合に
1人ひとりに合った学び方を探り、実践する。
そんな先生のスタンスには、横で見ていて
いつも頭が下がりっぱなしだ。__|\○_ドゲザ

それは先生個人の資質や、考え方に依るところが大きいとは思うけれど
特別支援教育という枠組みが、先生の裁量を拡大して
実践を可能にしている
ように見える。
別に、勉強を好きにならなくてもいいけれど
「本質的な学びは、楽しい」ということを
この教育様式でなら、珍獣(兄)がこれからももっと体感できそうな気がしている。


ちなみに、それぞれのバラエティに富んだすごろくが完成したものの
みんな作り終えた達成感でいっぱいで、すごろく遊び自体はさして盛り上がらなかった。

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