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自然保育園を卒園。「息子はそのままでいい」と思っていたわたしに、欠けていた視点。

珍獣兄が、通っていた保育園を3月31日に卒園した。

家に帰ってすぐ、お風呂に入ろうと準備していたら
服を脱ぎかけた珍獣兄が、声を上げて泣いていた。
まさかと思いながらも、「卒園が寂しいの?」と聞いてみると
うん、うんと頷く。
夜、布団に入っても泣き出し
翌朝朝起きてからもまた、「園に行きたい」と目を潤ませていた。

通っていたのは、毎日野山で遊びこむ無認可の自然保育園。
「預ける」のではなく、「一緒に育児する仲間がほしい」という思いでそこを選んだ。
でも、3歳過ぎから通い始めて
内弁慶に加え、言葉による理解と発信が苦手なこともあり
2年近く園に馴染めずにいた。
本当は2歳半から入園するつもりでいたのに、事情があって取りやめていたから
「もっと早く入園していたら違っていたのかな」と、少し後悔していた。

少しずつ変わり始めたのは、年中の途中から。
折り紙にハマり、家にいる時はずっと折り続けていて
折り上げた「ヘラクレスオオカブト」が100匹くらい床を埋め尽くしていた。
そんな彼の「好き・得意」に、当時の担任の◯ちゃん(園に「先生」はおらず、大人も子どもも名前で呼び合う)が気づき
声に出して認め、みんなにも共有してくれた。
食事も着替えも後回しにするほど、折り紙が大好きな自分を
親以外の大人や友達が認めてくれたことで
珍獣兄に、自信が芽生え始めた。

その後も、友達とのコミュニケーションでは紆余曲折がありながら
年長さんになってからは毎日、心から楽しそうに通っていた。
お裁縫、コマ回し、縄(←本物の)づくり&縄跳び、鞠つき、竹馬。
年長になってから、新しく取り組むことばかりだったけど
どれも気負わず挑戦して、できることが増えるたびに、また自信をつけていった。

そのそばには、「そのままの君でいい」とおおらかに見守りながら
「できるよ!」「がんばれ!」「すごい!がんばったね」と声援を送り、彼を抱きしめる担任の◯ちゃんがいた。

わたしは、彼なりの「好き」やペースを大事にしてきたつもりだけど
その根底に、「信じる」という心持ちはたぶんなかった。
でも純粋に応援され、信頼されることでひとは自信をつけていく、と
園での珍獣兄の変化を見て、知ることができた。

いろいろ考えるところがあって、4月からの小学校生活については
特別支援級に申し込んでみた。
その認定をもらうために、市の教育センターに一緒に出向いたところ
最後に相談員の方から、こんな言葉をもらった。

「この子なりの『好き』やペースを、お母さんお父さん、それから保育園の先生たちが見守ってきたことが、よく伝わってきます」

センターでは緊張から泣き出してしまい、わたしから一時も離れられずだったけど
本質的に萎縮していないことを、相談員の方は見て取ったのだと思う。
私たち親だけだったら、そんな彼の姿にはおそらく出会えなかった。

仲間を求めて門を叩いたけど、ここまで強力な仲間に出会えるとは想像していなかった。
本当にありがとうございました。

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