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《フリースペース》を開くことに。その1/おやこで通う小学校㉘

地元で、ゆるゆるとフリースペースを開かせてもらう運びとなりました。
平日の日中なので、そのタイミングで学校に行っていない子や、おとな
…つまり誰でも、気軽に来られる場所です。
フリースペースをつくろうと考えたきっかけの1つが、珍獣との母子登校だったので
《おやこで通う小学校》の1エピソードとして、投稿したいと思います。

(告知文より)
【お部屋でゆったり過ごしたり
おしゃべりしたり
手しごと(持ち込み大歓迎)をしたり
屋外で遊んだり
宿題したり…
それぞれが、思い思いに過ごせる空間にするつもりです。
お昼は、参加するみんなで具だくさん味噌汁づくり&ご飯を炊きます。
木工やアートなど、任意参加のミニワークショップも開く予定です】

《なぜ、フリースペースを開くのか(その1)》

我が家の兄妹が乳幼児の頃は、1日1日を生きるのが、大げさでなく本当に大変でした。
どう大変だったのか…あまり覚えていないけれど

生後1か月の妹の首を支えつつ、朝から外に飛び出し
駅に向かってひた走る珍獣・兄を、必死に追いかけた記憶があります。( ˙-˙ )←遠い目
スーパーに入れば、カートで遊んで人にぶつかり
陳列棚の商品を、片っ端から落とし
挙げ句、商品の豆乳を床にぶちまける。
そんなテロ行為に、戦慄した時期もありました。( ˙-˙ )←遠い目

それでも、家の中にずっといると発狂しそうだったので(というかしていた)
とにかく、いつも3人で外にいた気がします。

今は、物理的な大変さは激減しました。
でも、当時を「あの頃」と懐かしむ気持ちには、まだなれずにいます。
理由は、まだまだ子どもたち中心の日々が続いている・これからも続いていくから、ということに加えて
「あの頃」、もうちょっとどうにか出来たんじゃないかな…という、少しの後悔があるからです。

なぜ当時、日々があんなに過酷だったのかと言えば
それは「大人がわたし1人だったから」。
無知ゆえに、【核家族・ワンオペ育児】という二重苦の育児態勢を選んでしまった結果だと思います。
でも核家族のワンオペなんて、我が家だけじゃなく
むしろ、現代の子育て世帯の大半が当てはまるはずで 
ということは、同じように苦しい思いをしている家庭がわんさかあった(ある)、ということ。
「子育ては大変」なのが当たり前とされるのも、納得です。

でも、それなら、家庭同士が地域でゆるくつながって
ほんのちょっとずつ力を出し合い、【みんなで子どもたちの育ちを見守る】態勢が取れれば
それぞれの負担が、ちょっとずつ軽くなるのでは…!
…と、ぼんやり考えるようになりました。
もしも地域で、そうした関係がつくれていたら
「あの頃」の自分はもう少し、笑えていたかもしれないし
何より子どもたちの育ちに、プラスの影響をもたらしたのではないか、と。
目の前の親が、いつも優しく穏やかでいてくれるだけでも十分ですが
親以外の大人たちにも、大らかに見守ってもらえる環境があったら
生きる意欲の元になる安心感が、子どもの心に根を張るだろうと思うのです。

そんな思いが、ずっと頭の隅っこにあったので
この秋、行政の「居場所づくり支援」のお知らせを偶然目にした時に
それへの申請を前提に、「やってみようかな」と、思い立ちました。
イメージは、地域で顔の見える関係づくりの入り口になるようなフリースペース。
わたしの「あの頃」は過ぎましたが、我が家を含めた地域の誰かにとって
今からでも十分、意味があると思っています。

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