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無意識だからタチが悪い──『親子という病』読書感想文

2008年刊行。当時の親子間での殺人事件などを切り口に、精神科医の著者が「今の世の中の親子のあり方」について持論を展開する。

香山リカさんの著書は、一時期母が好んで読んでいたなあと思い出す。
(その当時の私の中では、人形の「リカちゃん」の本名と一緒の人という認識しかなかったけど)

毒親だろうと毒子だろうと、一般的に見て異常性のある人間性を持っていたとしても、他人なら「気が合わないね」で距離を置ける関係も親子だとそうもいかない。

個人的には、親子関係は究極の個別ケースであり、心理学のエディプスコンプレックスだったり、「親はこうあるべき、子はこうあるべき」という社会的通念を一律に当てはめるものではないと思う。
むしろ世間が無意識に形づくっているそういうものが、子を持つ親である人間・親を持つ子である人間の心理に大きく影響を及ぼしているのだろうなと。

本来であれば100の親子がいれば、100通りの人間関係として扱うべきなのに、「親子って」「親子だから」という言葉が邪魔をして、当事者を苦しめている。

虐待されて育った。
気が合わない親に育てられた。
家庭に居場所がなかった。

ひと口にそういっても、すべて個別の事情がある。
それによる人生への影響も、個々人によってまったく違う。

唯一共通しているのは、“親子関係にその人が苦しんでいる”ということだけだ。


親子関係から相互依存をマイナスしてみる

著者は本書の中でいう。
「結局のところ、完全に健全な親子関係などありえないのだ」
そして、親子という病に対する効果的な治療法や予防のワクチンなどはない、と。

現代の「親子のという病」が核家族化の中で、親と子どもの緊密さが増していることに端を発するなら、一昔前の大家族や地域のコミュニティをもっと……というのはあまりに短絡的だ。
できることといえば、家族以外に目を向けること。
“病そのものに取り組むのではなく、視線を内から外へ、家庭内から社会へ、とそらすことしかない”そう著者はいう。

これは、転じると、“双方が独立した個人であることを前提に付き合うことが一番だということ”だと私は思う。
親という存在から生まれてきた以上、親と子であるという事実はもちろん一生変わらないが、子どもは親からいずれ巣立っていくもの。親の付属物ではない。親としてそう肝に銘じておくべきだし、子どもも同様に「いつまでもあると思うな親と金」だ。

私はとても恵まれていて、
おいしいごはん、気持ちの良い寝床、安全な場所、十分に愛情を感じられる環境を与えられて育った。自分の進路に口を出しをされたことはなく、18歳で生活の独立を許され、22歳で経済的な自立もできた。24歳で家庭を持ち、25歳で子どもを持った。
70代の両親は自分のキャリアを生かして仕事を続けており、健康で、十分に自分の人生を楽しんでいてくれている。

そのように生きてきて、40歳の今、親への依存度は精神的にも経済的にも0に近いと思う(もちろん、それは親が死んでも悲しくないとかそういうことじゃない)。
そういう状態に導いてくれた親に感謝しているし、子どもを育てることってそういうことなんじゃないかと思う。

22歳以降、子どもたちが自立して幸せに生きられるようにする

これが私の子育てのミッションだと思っている。
でも実はこれは私自身が親から無意識下に刷り込まれたことなのかもしれない。

与えられた愛情は親世代に返すのではなく、次の世代や他者に与えなさい

と、そういうスタンスで育ててくれた祖父母や父母の影響が大いにあるんだろう。だからこれ自体が、親子という病の一つの症状なのかもしれない。

どうしたって無関係ではいられない。親が成す通りに、子どもは育つ。

親が子どもにできること、子どもが親にするべきこと

3食食べさせ、しっかり眠らせ、家庭の中は安全な場所だとすり込んで、昼間に楽しく活動できるようなコンディションを整えた上で家族以外のコミュニティーに関与できるように過ごさせる(家庭外の場所は学校が手っ取り早いけど、そうでなくてもいい)。

親がしなければいけないことなんて、そんなものだと思う。
上記があれば、本当にシビアな一部の状況を除いては、たいていの壁は子ども自身が解決できるし、乗り越えることが本人の経験となり、成長につながる。

そして、一緒にいる間は、一緒にいられる時間を最大限楽しむ。

そうやっていずれ精神的にも経済的にも独立できた時点で、こんどは自分の子どもや周りにしっかり愛情を注げる人間になればいいと思う。
その愛情を返す先は、親ではない。
子が親への依存を断ち切ると同時に、親もまた同様に子どもへの依存を断ち切らなければいけない。

それが愛がない状態だとは、私は思わない。

本当の親子の絆とは、社会的な圧力から生まれるものではなく、内発的なものであるのが理想だ。
私自身は、親からの依存はないし、私から依存する気もないけど、親に何かあれば駆けつけるし、最大限の支援をする。そういう気持ちを持っている。

でも、子どもには同様の気持ちを強制しないようにしたい。

それには老後資金としてある程度プールしておくことが必要だから、子育てに今ある資金をすべて投入する気はない。
18歳でそれぞれを一人暮らしさせたいし、その資金の確保のために中学受験はさせないし、習い事も、旅行も、できる範囲で最善のものを提供する。
すぐに全部を理解されなくても、なぜうちはその方針なのかをきちんと説明していきたいと思っている。

親が子に与える影響は、思っている以上に強い。そして、双方共に無意識であるのが余計に厄介だ。
親は子どものためにあるものではないし、子どもは親のためにあるものではない。

そのように考えていても、常日頃は、自分勝手な主観ばかりで子どもたちを振り回す。
完璧に振る舞えないからこそ、親となった自分はその点を自覚しながら子どもにしっかりと向き合っていかないといけないなと思う。


カバーアート:水美さんの作品

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