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『むらさきのスカートの女』今村夏子(朝日文庫)

夏の家族旅行から、
久しぶりに読書を再開した。

大学院時代は、専門書しか読まなかったので、
小説の類を「読書」することは、
実に15年ぶりくらいだ。

一度再開すると、
芥川賞から芥川賞へ、
同じ作家の別作品へと梯子酒ならぬ、
梯子読書になり、
それなりの数を読み続けられている。

せっかくなので、印象深い作品について、
少し書き残しておこうと思い、
これまでのnoteとはかなり毛色が違うが、
読書日記をつけることにした。


『むらさきのスカートの女』には、
ウェブのおすすめから辿り着いた。

有名な賞を受賞した作品なら、
間違いなく面白いだろう、
という安直な発想で、

『芥川賞 おすすめ』

で検索。

そこでの、おすすめセリフとして、
「何も起こらないのに、怖い」
「何も起こらないのに引き込まれる」
と書かれていた。

確かに、読んでみるとこの小説は何も起こらないと言えなくもない。
登場人物は死なないし、事件も起こらない。


しかし、私の感想としては、
「何も起こらないない『のに』引き込まれる」
というより、
「何も起こらない『から』引き込まれる」だった。

現実では、何か事件が起これば、
人は否応なしに変化するし、
能動的に動くことになる。

同様に、小説で何か起これば、
登場人物が動き出すことが、
自然に受け入れられる。

ところがこの小説にはそれがない。

「私」が「むらさきの女」に惹かれる出来事が起こっていない。
「むらさきの女」が変化するきっかけとなる出来事も起こっていない。

にもかかわらず、
「私」は能動的に「むらさきの女」に、
関わっていくし、
「むらさきの女」は劇的に変化していく。

理由となることが「起こっていない」からこそ、
そこに不気味さと魅力があるわけだ。

だから
「何も起こってない『のに』」ではなく。
「何も起こってない『から』」なのだ。

この小説にはまだ語りたいところがあるが、
とりあえず一つの視点についてまとまったので、
今回はこの辺りで、
初回の読書日記を終える。

まだここに感想を書きたい小説が10冊たまっている。
そして、新しいものも読み始めた。
さて、どうなることやら。


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