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もしかしたら、今この瞬間は誰かの『夢』かもしれない。そう思ったことはありますか?

「ビューティフル・ドリーマー」「マトリックス」「主人公は僕だった」現実と非現実に決定的な違いはあるのだろうか?

【イラストに物語つけてみた! 第二弾】二作目となる「雷夢灯」の脚本を公開。


雷夢灯


(イラストNo.59)

まだ胸がドキドキしている。

きっかけは日記代わりに書いた小説だった。
小説といっても、どこにでもいそうな女の子の日常を綴った
他愛もない内容だ。


ある日妙なことが起きた。
小説の中の彼女と同じことが、
私の身にも起こるようになった。

最初は偶然だって思った。
だってそんなこと……あるわけない。

けれど小説をなぞるような日常を過ごすうちに
これは偶然なんかじゃないとわかった。


私は怖くなった。
同じことが起こることにじゃない。
私の方が、彼女が書いている小説の登場人物じゃないのかと
思うようになったことに。

彼女の日常をなぞるだけの存在。
物語の登場人物なのは、
もしかしたら私の方なのかもしれないって。

今この瞬間が誰かの夢じゃないという保証はない。
――なんて、よく言うでしょ?

もしかして私は、彼女が死ぬ間際に見ている夢かもしれない。
一瞬の、雷みたいに一瞬の、夢

否定したくて
彼女が決してしないようなことをした。

彼女がやらなそうなこと
彼女じゃできないこと

でも結局、彼女と同じ結果になってしまう。
雷の通る道が予め決まっているように、結果は変わらない。


小説が終わりに近づいていくほど、私は焦り始めていた。
このまま小説の最後を迎えたら、私はどうなるんだろう。

書き続ければいいとも考えたけれど、
どうしても確かめたかった。
確かめずにはいられなかった。

そして、ほんの数分前
雷の音を最後に小説は終わった。

それでもまだ、私は消えない。

ようやく私はこの世界に生まれた気がした。
ああ……よかった。
私―――


「夢じゃないんだよね?」


〈作者コメント〉

小説の主人公と同じことが身に起きる――
映画「主人公は僕だった」(2006年)にもありましたし、夢と現実の区別という点では「マトリックス」をはじめ扱っている作品は多いです。

現実感のなさ、リアリティ……個人の感覚でしかないとても不確かで曖昧なもの。
そんな‟曖昧さ”に揺れる登場人物に魅力を感じます。

                     カエル伯爵夫人

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