特論78.歌の実力をつけるための研究所のレッスン~オールマイティヴォーカルとアーティストヴォーカル論(12596字)

◯レッスンは、ギャップを埋める
 
プロのヴォーカルを目標としたときには、それを具体的にシミュレーションすることから始めてみるとよいでしょう。
実力をつけるためのトレーニングであれば、今の実力、目標とする実力、そのギャップ、そのギャップの埋め方をはっきりさせなければなりません。
どれもわからないというケースも少なくありません。もちろん、やってみなくてはわからないこともありますが、少なくとも、このことが明確にならないで、ずっと続けていても、プロになることや高度な実力がつくことは難しいでしょう。
 
◯ヴォーカルの2タイプ
 
考え方としては、2通り、あります。
A:ソロヴォーカルとして、オリジナリティを前面に出し、音楽性も含めたミュージシャンとしてのヴォーカルとして勝負していく
B:オールマイティなヴォーカルとして、歌う力そのものを幅広くつけて、どんな注文にも応じられるような歌唱力をつけていく
 
もともと、私の研究所は養成所として、ソロヴォーカルAを育成するところでした。しかし、その後、時代とともに業界も変化し、プロ歌手という職業を想定することが難しくなりました。その絡みも踏まえて説明します。
 
◯オールマイティなヴォーカルB
 
わかりやすいのは、オールマイティなヴォーカルです。
例えば、
カラオケがうまくなりたい人、
ミュージカルに出たい人、
合唱やハモネプをする人、
声優や役者で、歌も仕事にと、めざす人、
他の分野の専門家で発声の基礎や声のケア、調整をしたい人
楽器のプレーヤーや音楽関係者で弾き語りなど、歌を加えたい人
ものまね歌唱がうまくなりたい人
音大受験する、もしくはオペラを歌いたい人
ヴォイストレーナー
などです。
 
この場合、指導は、研究所の大半を占める声楽出身のトレーナーにおよそ任しています。必ずしも声楽の発声をベースにするということではありません。しかし、声楽家の持つ心身や喉の条件を整えることを基礎とします。いわば、一つの基準となります。
そこでの基礎に、呼吸法や発声法なども入ります。ただ、それらは、共鳴のコントロールをマスターすることと結びついて、初めて意味をもちます。
 
◯声楽以上のトレーナー
 
研究所の声楽出身のトレーナーは、プロの対象者としては、オペラ歌手のトレーニングでなく、ここでは、主に、ポップスの歌、邦楽から落語も含めたプロの人の声の基礎づくりにあたってきました。ですから、言葉の発音などについても、ご自身の舞台で必要とする以外のノウハウを持って指導しています。
声楽で優秀な人でも、その点においては、ここでは、3年以上は、新しく学び加える必要があります。
「声楽家で務まるのか」とか「声楽をやりたいのではない」「声楽は教わってきた」など思う人もいるようですが、ここでのトレーナーは、声楽のキャリアだけで対応しているのではありません。
また、日本の声楽家で、きちんと発声の基礎を実現して指導している人は、1割にも満たないと思います。それでもママさんコーラスなどで、他の人に差をつけられるということなら、それも一つの実力とみてもよいでしょう。
 
◯仮の目標
 
先程の3点、目的、現状、ギャップがよくわからない人には、ここで、発声だけは、音大に行ったのと同じくらいのレベルにすることや劇団四季のオーディションに合格できるレベルにすることを1つの基準としてお勧めしています。
もちろん、カラオケで何点とかを目的にしてもよいのですが、それでしたら、ご自身でチェックできることだと思います。レッスンを受けて、点数をチェックしていけばよいと思います。
 
◯レッスンとトレーニング
 
トレーニングそのものが大切なことはいうまでもありません。トレーニングは、原則的には、自分で毎日行うものなのです。そして、トレーナーがチェックしアドバイスします。
なかには、そういう状況にない人もいますので、そこは事情に応じて、考慮しています。
レッスンというのは、そのアドバイスが中心です。何をやるかよりも、どうやるか、やったことをどのようにみるかを知るのです。自分のやっていることの評価を、客観的に見て、判断できる力をつけていくのです。
ここのトレーナーは、そのためにいます。身近であっても、厳しいアドバイザーです。
 
 
 
◯目標を高めていく☆
 
ここで言いたいのは、常に、1つ上の目標を定め、そのための課題を設定する大切さです。それを一人で適切にできるような人は、ほとんどいません。特に発声に関しては至難のことです。
また、レベルが上がるにつれ、これは、相当に難しくなるのです。
まわりからうまいといわれても、そんな人はいくらでもいるからです。それでは、本当の実力ではない、飛び抜けた絶対的な実力をつける、そのために何が足らないのか、どうすればよいのか、そこからが本当のレッスンです。
トレーナーは、ずっと先の目標を見て、今日できる目標を与えていくわけです。ですから、課題の設定とその結果、いや、プロセスというのが、最も問われることです。
毎日のトレーニングや歌唱実習などは、自主トレーニングでもあるところまでいけます。その限界にきたところから、レッスンの意味が出てくるのです。
 
◯効率とトレーニング
 
ただし、同じ年月をかけるのなら、最初から、効率を重視した方がよいと思います。レッスンは、そのためにあります。
なによりも、楽器と違って声や歌の場合は、年月をかけ、長くたくさんやったほうが、上達するわけではありません。あらぬ方向に行く人も、どこかから下手になっていく人も普通のようにいるのです。大体は、あるところで限界、下手でない、まあまあ、うまいで止まります。楽器のプレーヤーのように天才プレーヤーを目標に弛まぬ研鑽を積みにくいからです。
それは、声や歌では、その先に必要なことに気づきにくいからです。客観視してみることが、とても難しい分野です。それなりに歌えると、日本ではまわりからの評価も上々ということになり、誰も的確なアドバイスをできなくなるからです。
だからこそ、第三者の厳しいアドバイスが必要だということです。
付け加えておくと、私は、トレーニングは、効率よりも、どこまでの高みにいけるかということと考えています。しかし、現場では、期間は、それなりに問われることです。
 
◯実力とは
 
どこをもって実力かということも難題です。
たくさんの曲を知っている人はいくらでもいますし、何百曲も歌える人も日本中にいます。そういうことが問われているわけではありません。
シンプルにいうと、誰にでも歌える歌をどこまで自分にしか歌えないように表現できるかということです。完璧なまでに、他人と比べられないほどの、絶対的な違いを突きつけられるかということです。
 
◯研究所の使い方
 
私の基本的な方針は、自分でできることは、自分で行う、自分で絶対にできないことを、トレーナーについて行うということです。
ですから、最初は、できるだけたくさん来て、トレーナーのいわんとすることを心身でつかんでいく、どうしても時間がかかるのです。
自分である程度、できるようになれば、どんどん自分で進める方向にしていきます。
できない、いや、わからないところだけ、トレーナーにアドバイスしてもらえばよいのです。
実際に、ここには、何年もいらっしゃる人が多いですが、3年、4年と経っていくうちに、よりていねいにきめこまかくレッスンが行われているかが問われます。質が問われてくるのです。
そうなると、レッスン回数は減らしてもよいでしょう。もちろん、ここをペースメーカーとして、ずっと同じペースで活用し続けている人もいます。そうなると、一回のレッスンから、どれだけ学べるかということになります。
しかし、最初の2、3年は、そんなことよりも、量をこなして、身体で覚えていか時期なのです。
 
◯心身で覚える初期のレッスン
 
最初に、たくさんのレッスンを受けた方がよいのは、頭で考えるのでなく心身で覚えていくことを知るためです。自分でできなかったことは、感覚や身体の使い方に問題があったのですから、それを、きちんと整えなくては、同じことになってしまいます。
自分自身のやりたい方向や日常の中でトレーニングにおいて、イメージや感覚をしっかりと把握していく、細かいことで質疑応答していくなど、対面でなければ難しいことがたくさんあるからです。トレーナーが、本人の心身のことを知っていくにも、最初の時期のレッスンは、とても重要です。
 
◯軌道に乗せる
 
私は、軌道に乗せるのに、2、3ヶ月は当たり前、半年や1年かかっても、問題ないと思っています。生涯やっていくことであれば、3年ほどの試行錯誤があっても、決して無駄ではないのです。
 
◯状態の調整は、トレーニングでない
 
声を荒らしてしまったり、実際の仕事ができなくなったりして、行き詰まっていらっしゃる場合は、その改善や調整になるので、お互いにわかりやすい課題設定と解決へのアプローチができます。これを、医学的な範囲で行っているのが、お医者さんです。
ただし、これから実力をつけていくという場合は、声の状態をよくしたところでスタートラインに過ぎません。
どうも、巷では、喉の状態をよくするようなことが、ヴォイストレーニングとして行われており、喉に負担のない声が出せれば、それが目的のように指導されていることがとても多くなったように思われます。そうなると、メンタルを整え、リラックスしてあがらず、柔らかい声を出せるようになればよいくらいで終わってしまうのです。ほぼメンタルのトレーニングです。
 
◯声をコントロールできる条件を得ていくこと
 
声でも発声でも歌唱でもよいのですが、それが、普通の人と差別化できなければ、少なくとも声や歌のトレーニングとはいえないと思います。
プロの歌手でそういう条件を持たない人もいますから、プレーヤーの演奏技術の完成度のように絶対必要条件とはいえません。
今の自分の心身にないものを培っていく、そう考えて、初めて、本当のトレーニングに入れます。そういうわけですから、身体条件、つまりフィジカルトレーニングが基礎です。そのうえで、イメージ力がとても大切になります。声や歌が難しいのは、それが個人によって、違うからです。
 
◯基礎としての発声
 
それでも、合唱の実力をつけるようなことであれば、オールマイティのヴォーカル育成のパターンで、一般的な基準と目標、それに足らないギャップを明示して、埋めていくことができます。
音大で4年間、声楽を勉強すると、入学したときよりは、声も出るし歌えるようになっています。そこまでの力をつける、それさえ、なかなかポピュラーのヴォーカルスクールなどではできていないのです。
中学校や高校の合唱団でも、似たような力をもっている人がいるといえるかもしれません。でも、そんな人は、何万人もいるわけです。
 
その延長上に10年後、どうなっているかというのは、あまり変わらない人ばかりです。ほとんど目標設定もイメージもされていないからです。その必要がない人も多いし、それ以上のレベルまで想定せず、それゆえ、たどりつけない人がほとんどなのです。
ですから、逆にいうなら、その手前までを、第一目標として定めるのが、基本的なヴォイストレーニングとしては、まっとうなことだと思います。
 
◯「ヴォイストレーニング大全」の指針
 
研究所では、オールマイティなヴォーカルBへのプログラムを、「ヴォイストレーニング大全」(リットーミュージック)として、教科書形式にまとめて出版しました。参考にしてください。CD 2枚で自習することができます。
このプログラムの大きな特徴は、歌唱であっても、言葉での声づくりをおろそかにしていないことです。
CD 1枚目で役者としての声づくりをしっかりとしながら、2枚目の歌唱編に入るのです。せりふの声と歌う声との分離という日本での業界特有の問題を解決しようとしたものです。
もちろん、カラオケがうまくなりたい人であれば、2枚目だけでもよいでしょう。
 
◯ソロヴォーカル
 
その延長上の10年後というところに関して、考えているのが、ソロヴォーカルAのパターンです。
カラオケのチャンピオンになったとか、バンドでうまいといわれるのにとか、まわりの評価が非常に高いのに、自分で自分の実力が認められない、あるいは、自分自身でまだ足りないかと思っているような人が含まれます。
こちらの内容やメニュ、指針については「読むだけで、声と歌が見違えるほどよくなる本」や「自分の歌を歌おう」(共に、音楽之友社刊)にまとめてあります。なぜ、読むだけ、としているのかは、まずは、イメージや感覚の入力が主だからです。
 
◯プロの歌手について
 
歌の場合、プロといっても、多種多様にありすぎ、ひとまとめに括りようもありません。役者も同様でしょう。
役者は、主役でなくても脇役としてよい味を出す人がいます。エキストラでも役者です。
そういった点では、歌手や役者は、ナンバーワンというよりオンリーワンでなくてはならないのですが、そのことが、さらに何をもってプロかの判断を難しくしています。
歌唱力や声以外の要素も、魅力になるし、ヴォーカルによっては、ヴォイストレーニングなどと全く関係のないところで、価値がつくられていることもあるからです。その場合も、ヴォイストレーニングは、声の保守、調整ということで使えるので、必要です。
ですから、プロの歌手をめざすというのであれば、何を持ってプロなのかを、自分自身で詰めていかなければなりません。
 
◯プロの基準
 
プロダクションに所属したりCDを出したらプロということであれば、著名人であれば、誰でもできることで、昔は必ず、やっていたことです。野球選手や力士でさえ、レコードデビューしたのです。ライブハウスに出られるということであれば、そこのオーディションが基準、そこで活動している人たちの持っているものを参考にすべきです。
先に、音大卒とか劇団四季のオーディション合格とかいう基準を示しましたが、それも一定の基準があるわけではありません。とはいえ、ただ、プロとか実力があるというよりは、わかりやすいから例示したまでです。世間では、声楽科を出たとか劇団四季にいたというと、それなりに何でも歌えると思われるでしょうし、そういう力はあるということだからです。
舞台を見ると、そこに基準が示されています。劇団四季は、スターシステムをとっていないから、なおさら問われるものがわかりやすいから、オールマイティとしたのです。
一方で、ソロのように、オリジナルが売りになってくると、それは個性ですから、そことは馴染みません。組み上がったプログラムで、皆で決まったトレーニングをしていくこととは、かけ離れているのです。劇団四季からブロードウェイを目指すようなタイプへの補強が、これに当たります。
 
◯可能性の拡大
 
それでも、できる限り、誰にでも、できていることがわかりやすいことをできるようにしておいた方が、可能性が高くなるのは、確かです。できることとして最低限、マスターしておいた方がよいということで、先にAを掲げました。それは、少なくとも、歌唱の指導をするトレーナーのもつ条件とはなるでしょう。
一応、ヴォーカルAからヴォーカルBとして、説明しました。もちろん、10年も20年も先のことなど考えていられないので、ソロヴォーカルをめざすなら、直接、Bから入って、Aを補強に使うのが、ベストです。
 
◯ソロヴォーカルの学び方
 
Bには、自分の心身の持っているもの、感覚の持っているもの、やりたいもの、表現したいもの、自分の音楽観や世界観、価値観やあらゆるものが入ってきます。それと対峙しなければいけません。アーティストといわれる人です。
その手段となると、多彩です。世界中の一流ヴォーカルが、歩んだ道を、生い立ちから育ちまで含めて、伝記などで見ていくと、あまりにも人それぞれで、まとめようもありません。しかし、それでも、共通することがあるのです。
私は、アーティストの歌と、素人の歌とをずっと比べて聴いてきました。同じ曲で、誰よりも比較してきたと思います。なによりも、実際に、レッスンの現場において、同じ課題曲を、プロが歌うのと素人が歌うのと、プロになっていく人たちがどのように歌っていくかのプロセスも含め、聞いてきたのです。
 
◯共通の要素
 
プロと素人という分け方は、断定的ですが、便宜上使わせていただいています。プロとアーティストとの違いも、イメージで使い分けているだけです。場合によると、Aをプロ、Bをアーティストと割り切るとわかりやすいかもしれませんが、あえて定義せずに進めます。
 
一見、同じ曲で歌い方がそれぞれに違うようなプロたちでも、その中で共通して行っていることがあります。つまり、音楽としての必要な感覚とそれを汲んだ表現です。
それは、素人でも、うまい人にはある程度、共通することになるのですが、私が示しているのは、プロがみんなできているけれども、素人がほとんどできていないことです。
それと逆に、素人のほとんどがしてしまうのに、プロが絶対とはいわないまでもしないことを避けることも必要です。
この2つの要素をはっきりさせて、学ぶだけでも、そこのギャップでの課題が、明らかになります。それを実現するために、見えにくい呼吸や発声の基礎力、共鳴のコントロール力、さらにオリジナリティが問われるのです。
 
◯プロの技術
 
役者が演出家から注意されるときに多いのは、「わざとらしい」「演技のように見える」というようなことです。もちろん、自然な状態を、そこに取り出すというのも演技ですが、見る人が見たときに、いかにもやっているように見えては、共感が得られません。
歌い手でも、わざと技術を見せつけるような歌い方をする人がいますが、これもしつこくなると嫌味にしかなりません。
そういうこともできるように練習の中で行っていくのはよいのですが、舞台では、自分なりに消化して、自然に演じなければいけないのです。表現より、そうした技術や発声などが目立つのが、歌のうまい素人といえるかもしれません。
 
◯応用と基本
 
レッスンやトレーニングは、大げさにわざとらしくやるようなことも含まれます。器を大きくするためです。いろんなパターンを行うことによって、自分の限界や実力を把握する目的もあります。
また、応用性を高めていくということもあります。応用してみないと基本というのもわからないし、どこまで応用できるかというのが基本でもあるからです。
この辺になると、ヴォイストレーニングの基本論になってしまうので、別の機会に説明します。
 
◯ミュージシャンの要素
 
ですから、最初から、アーティストタイプBを目指す人には、日本の多くのヴォーカルに欠けているミュージシャンの感覚を入れ込むことを徹底させていきます。
レッスン前の「レッスン前提出シート」#のなかでの、3番、4番の、構成や展開という欄です。
言葉での感情表現については、誰もがけっこう記述できます。それは日常で経験しているからです。ただ、プレーヤーなどの経験がないと、なかなか、歌の全体の構成や展開は、捉えられないのです。ですから、多くの人は、この欄をきちんと書き込めません。ここに書き込んだことがどこまで実際の歌唱でできているのかをこちらはチェックするのですから、それ以前の状態といえます。
ならば、とことん学んでいくというのが、勉強です。
もちろん、優れたヴォーカルであれば、自分の好きな曲から、そういったことを無意識に学んでいますから、書けなくとも、できてしまう人もいます。それでも、あえて言葉で記述する意味は大いにあるのです。王貞治さんも羽生善治さんもノートでの記録を徹底していたのです。
その先、自分の想像できる、さらに先にいくためです。
 
◯天然の才能
 
役者もそうですが、ヴォーカルにはそれ以上に、天然系の人がけっこういます。ヴォイストレーニングどころが、音楽も歌もさほど経験していないし、知ってもいないのに、歌ってみると、声に魅力があったり歌に説得力が出てくる人です。
こういう人の場合は、その活動がワンパターンとなって行き詰まってから、あるいは声が荒れてきてから、ヴォイストレーニングにいらっしゃる場合が、多いです。
本人にも基本的なことを全く知らずやっていないというコンプレックスがあります。なぜなら、まわりにいる楽器のプレーヤーで、下積みもしていないのにプロになっている人はいないからです。
 
◯天然を学ぶ
 
天然系は、歌唱に優れているだけでありません。感覚と身体の使い方がとても優れているのです。さらに、他の人が作詞や作曲を学校で学んでつくるのとは比べものにならないほどのレベルの高い作品をつくる人もいます。歌うことと同様に自分自身で、できるわけです。
そう考えてみると、不公平な気がしますが、それだけでは、なかなか続くものではありません。
自分が凡人だとか、才能がないと思っている人は、まずは、こういう人たちがどのように学んでいるかということを学んでいけばよいわけです。1曲で学べないなら100曲で学べばよいのです。そのうち10曲で学べるようになってきます。そうして、天然系や天才に近づいていく、それしかないのです。
 
◯アウトプットのイメージ
 
何よりも、足らないのは、表現の場とそこで何をするかという明確なイメージです。
天然系の人たちは、先にそれがあります。だから、迷いがないのです。勢いで勝ち得ていくのです。「あのライブハウスで満杯にして、この10曲を歌う、そのためにバンドのメンバー、何人集めよう」から、スタートしているのです。
同じことをイメージして、実現に向けていけばよいのです。すでにそうしても、99パーセントの人は、うまくいきません。1パーセントの天然系でないとわかれば、努力家で頑張ればよいのです。
 
◯2,000曲を入れる
 
プロの平均といっても、ヴォーカルの場合はあまりにも多様なので、調査しても仕方がありません。
私が、ざっと条件とするなら、ライブで20曲、その場ですぐに歌える、そのために200曲ぐらい歌える曲がある、そして、歌詞の暗唱までは完璧でないとしても、2,000曲くらいの歌をこなしてきている、あたりが最低ラインだと思います。
これをプログラムに組み入れればよいわけです。
 
◯ノルマと計画
 
例えば2年後にプロになりたいと思うとします。
どこかのライブハウスでのプロのステージを見てきて、そこで20曲歌われているのであれば、20曲、歌えるように2年で準備していけばよいのです。
とりあえず、歌えそうな曲を、20曲リストアップしてください。
 
カラオケのチャンピオンを目指すのであれば、その20曲を2年間練習するということになるでしょう。けれど、音楽の基礎トレーニングをしていくのであれば、その20曲を選ぶためには、200曲が必要です。毎月20曲レパートリーをつくっていくと、1年で240曲となります。
 
◯実践的な経験をつむ
 
私は、歌い手が歌詞を覚えるのは、表現力のためにもパフォーマンス的にも必要だと思います。しかし、練習のプロセスにおいては、ステージ実習以外では、完璧にとは思っていません。暗唱能力も鍛えるべきですが、とりあえず、一通り、こなす必要が優先だからです。
という意味で、ワンコーラスでよしとしています。とはいえ、覚えても忘れたという経験も必要なので、20曲ぐらいは月にこなしたいところです。半分は、歌詞を見ながらでもよいと思います。
20曲でも、アカペラでワンコーラスだけなら、ほとんど20分で歌いきれます。ステージ実習であれば、30分のレッスンで、20曲、歌い切ることもできます。
多くの場合は、20曲ほど用意して、その中の8曲を歌います。アドバイスの時間も必要なので、そうしたレッスンにしています。それで月2回、ステージ実習を組み込み、あとは、他のレッスンにまわします。
 
◯ペース配分
 
2年間で、480曲、4年でほぼ2000曲になります。20曲を選ぶためにはいろいろ聞くでしょうから、簡単に2000曲超えるわけです。ところが、この20曲を選びつづけることが、普通、なかなかできないのです。
天然のヴォーカリストなら、10代に、このぐらいのことはやり終えているのです。好きな、何人かのアーティストの持ち歌を全部歌ったりしているわけです。その程度のことは、最低限、経験しておくことです。
これを2年で行おうが、10年かかろうが、本人次第です。年齢とともに、年月がキャリアになっているのかがわかってきます。それを突きつけるのが、レッスンの場です。そこは、決して、年齢や時間の勝負ではありません。時間をかけてキャリアとし続けられるかを問うのです。その問える環境を整えるのが、私たちのレッスンです。
 
◯自信の元
 
私の基本的な考えとしては、誰よりも、そのために時間や手間を惜しまずかけたということがなければ、真の自信にはならないということです。
続けていくと、残っていく人は、それ以上のことをやった人しかいなくなっていきます。そのなかでやり続けるためには、絶対的な自信が必要なのです。
最初はハッタリでも構わないのですが、続けるなかで、それだけの努力をしなければ、先がありません。
 
◯10年のプログラム
 
人生100年時代になりましたから、10年など、あっという間に経ってしまいます。2年や3年でも長い、そんなにかかるのか、と思う人がいるかもしれません。しかし、どんな分野でも、10年も基礎づくりをしないでプロになるようなところでは、先がありません。
 
ただ、役者やヴォーカルの場合は、そのキャリアが、日常生活と密接に結びついているので、カウントできないということです。逆にいうと、レッスンやトレーニングを何十年も受けても、人並みにこなせない人もたくさんいるということです。
 
◯総合力
 
生きている時間すべてで問われるので、もはや、トレーナーの責任でなく、自分自身の問題なのです。
今のプロといわれる人以上に歌える人もたくさんいるし、魅力的な人もいます。人気や売れ行きと実力は比例しません。日本の歌手の場合は。エンターテイメントとしても捉える視点も必要でしょう。時代や価値観にも大いによるでしょう。
ただ、うまく歌えるだけで食べていけるわけではありません。うまく歌えなくてもいい曲が作れ、稼げたら、食べていける人もいます。プロと食べていけることを結びつけると、さらにわかりにくい分野です。
 
◯つぶしとしての実力
 
むしろ日本における歌唱のプロとは、いろんな歌をいつでもすぐにこなせるようなカラオケチャンピオンみたいなものをイメージした方がよいのかもしれません。あるいはものまね歌唱の人の方が、今であれば歌い手よりもギャラが高いです。
知名度のある声優さんとか役者さんの歌は、ステージのギャラも高いです。
そこは、どのように考えるかです。
一般的には、Aを踏まえた上でBというふうに考えればよいと思うのです。Bだけでは大変なので、二つ兼ね合わせることをお勧めしています。つまり、Aは、つぶしが効くということです。
 
◯ヴォイスアクターとして
 
声優などの場合は、歌を仕事だけでこなすのであればAでよいです。自分なりのステージをオリジナルにやっていきたいという考えがあるならBとなります。
当たり役を得られないと、声優やナレーションの仕事というのは、AIに代わられていきます。アナウンサーもそうでしょう。
となると、職を考えるよりは、声であらゆる仕事ができるという守りの策も考えることです。事実、声の力のあるお笑い芸人は、知名度や演技力も活かして、役者もやるし、歌も総じてうまいです。ナレーションや声優の仕事を、特別なトレーニングもなしにこなしています。
 
ですから、そこから見なさいといっています。声優や役者だから、歌はいらない、と思っていても、使う方から見て、同じ力であれば、歌も歌える人の方がよいのはいうまでもありません。現にその理由で来る人が増えました。実際、歌い手を主人公にしたような役が来たら、歌えなければ、論外でしょう。
 
◯さいごに
 
ということで、ヴォーカルを2パターンで述べてきました。
実際に、ここにいらっしゃる人へのプレゼンテーションも兼ね、ここで行うこと、自宅で行うこと、ここを出た後に自分で行うことも含め、述べてきました。
 
研究所が、ヴォイススクールと違うのは、トータルの人生から表現や声を考えていることです。心身の状態をよくして、少々声が出るようになったところで、大して変わりません。どうせなら価値ある声とその表現にまで、もっていきましょう。歌や演技に使わなくとも、日常生活で声は、必ず使うのです。心身の健康にも有効です。
 
声というのは、誰でも指摘したら、自分の声に問題があると思うし、なかにはヴォイストレーニングを体験したいと思う人もたくさんいるものです。
ただ、英会話のように実利にすぐ結びつくように見えないから、時間とお金を使ってまで行おうと思うまでには、なかなか至らないものです。確かに、英会話の方が、即、活用できるとは思いますが、ヴォイトレは、外国語習得や外国人とのコミュニケーションにも役立ちます。
そこはご自身で選んでいけばよいと思うのです。
声というものをハイレベルに習得している人は、まだまだ少ないのです。ヴォイストレーナーもたくさん出てきましたが、その声の力のなさが、業界のレベルを表しています。
 
ですから、ヴォイトレをする必要を感じない、というのも正しい感覚だと思います。
プロ歌手になりたいと思ってヴォイトレのトレーナーにつきたい人がどれだけいるでしょうか。もちろん、学校に行って声優になりたい人と同じくらいに、確率的には、なれる人は少ないと思います。
 
私が考えるのは、この分野には、10年以上、生涯かけても、きちんと誰よりもやったという努力のできるところ、それだけのものがあるということです。
そして、天然の人が天才的にやったことを、ある程度は、プログラムにできるということです。何が才能なのか個性なのかもわからない人に対して、声を通じて、自分に向き合わせ、問わせることができるということです。
 
オリジナリティで勝負していくヴォーカルには、自分の価値観や世界観が必要です。しかしそれは、これからの人生を自分が生きていくためにも、本来は必要なもののはずです。
それがヴォイストレーニングということを通じて学んでいけるのであれば、それほど有意義なことはないと思います。
 
 
補足
ここで述べたソロのヴォーカルBは、ミュージシャンとしての応用です。それはピアノやギターを弾きたいというように、生活に絶対に必要なことではないのです。でも、自己実現として、魅力的なのは、こちらでしょう。
詩を書き、編曲もすることも兼ねていきます。フェイクやスキャットも自由に入れて構いません。とにかく、聞かせる曲に歌唱から考えて仕上げていくのです。
それは、芸術でもあり文化でもある活動ですから、人生を豊かにしてくれることと思います。
ここに来なければ、出会えなかった作品やアーティストと邂逅でき、いろいろと学べた、ここを出て、そういったことを伝えてくれる人も少なからず、います。

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