論73.ヴォイトレ信用してない発言~関ジャム6/25山下達郎特集

「声のケアやヴォイストレーニングをしますか」という、さかいゆうさんからの質問に対し、山下達郎さんは、このように答えています。
 
<全然やってません。ヴォイストレーニングってあんまり信用していない。
ウォーミングアップします。ツアーのときは、きちっとウォームアップしている。
 
若い頃は声が出ないとか考えたことない。呼吸器改善とかそういう器具、マシンはある。
腹筋とか背筋とかそういうトレーニングはしない。ウォーキングやるくらいで。
ヴォイストレーニングっていうのは基本的に声のメンテナンスの手法、下手な歌が上手くなるわけではない。ピッチが正確の歌もおもしろいわけでない。
歌っていうものはね、そんなものはない。その人が歌う歌が歌。
 
音楽は人の色と表現によって全然違う…。ヴォイストレーニングってすごいことのように思えるけど、歌ってりゃいいんですよ。
 
(声を出すことについては)あまり若い頃から意識がない。
ヴォイストレーナーには若い頃に発声の基礎は習った。ベルカント唱法、ソルフェージュも習ったことがある、高校の頃に。
いろいろ習っているが、我流、自分流のやり方で続けているだけで、特定のヴォイストレーナーにつくことは、一切ない。>(文責 編集部)
 
こうした質問がされるほど、ヴォイストレーニングが当たり前のことになりメジャーなことになっていることは、歓迎することかもしれません。しかし、第一線のミュージシャンの偽らず感覚としてこのような答えが出ていることは、大いに頷けます。余計なことですが、ここから、解説を加えてみたいと思います。
 
音声だけのインタビューなので、本人の考えがきちんとまとまって出ているわけではなく即興でその場で答えたことですから、山下達郎さんの意見というより、一流の日本人ミュージシャンの意見というような形で対応したいと思います。ご迷惑をかけるようなことはないかと思いますが、あくまでケーススタディーということです。
 
 
◯ヴォイストレーニングの信用性
 
私自身からいうのもなんですが、ヴォイストレーニングそのものというのはあまり信用していないというのは、同感です。私がヴォイストレーナーと名乗ったのは、ITネット社会での検索ワードが、日本の場合、ヴォイストレーナー、ヴォイストレーニングという用語で行われるようになったからです。それまで、その名を使わなかったのは、以前に述べた通りです。
 
ヴォイストレーニングそのものがどういうものを指すのかは、あまりに様々です。いろんな感想や体験というのは、その人が受けたヴォイストレーナーやメニューや方法に対する感想、感じた効果や体験に過ぎません。時代によっても相手によっても、そのトレーナーの出身畑によっても大きく変わることは、これまで説明してきた通りです。ひとまとめに、ヴォイトレはどうだといえる状況ではないのです。
 
 
◯声のメンテナンスと声のトレーニング
 
ここで、「ヴォイストレーニングというのは、基本的に声のメンテナンス」といわれていることは、今のヴォイストレーニングには、ほぼ、当たっていると思います。
つまり医者や言語聴覚士とフィジカルやメンタルのトレーナーとの間のような業務に位置づけられているわけです。
声のトレーニングというよりは、声のケアというふうに考えてもらうといいと思います。
 
それに対して、声づくりそのものを唱えてきたのが、私の考えるヴォイストレーニングです。声のトレーニングですから、トレーニングとは、強化鍛錬をしていくことであり、声の可能性を広げていくということです。
その点で、声をただ、よい状態に整えたり戻したりするという、声のケアというのとは違います。
それも含まれてはいるわけですが、そこで終わってしまったら、セリフや歌などに使う声そのものの力はつきません。医者で声をケアしても、これまで以上の上達にはむすびつきません。もちろん音楽性とかアレンジ力でなく、声についてのことです。声の力なくして、大きくは変わらない部分に関して述べていますから、他の才能による歌の実力の向上は、別問題です。
 
 
◯声のケア
 
昔から、声のケアというようなことをメインに、ヴォイストレーニングを行う人はいました。どちらかというと、声を壊した人、あるいは、メンタルトレーニングやフィジカルのことに詳しいトレーナーがそういう立場をとっていました。
ベテランの役者さんや歌手が、喉の調子が悪いときに、心身両面から、喉の状態をよくして、普段のように整えるということです。
このようなトレーニングが、彼が言っているヴォイストレーニングであり、今、一般的に行われているものだと思ってもよいでしょう。
 
 
◯声楽の経験
 
ただし、山下さんの場合は、高校の時にすでに声楽に接して、ソルフェージュどころかベルカントの共鳴なども学んでいます。どの程度かわからない以上、何もいえませんが、その上で自分で思うように歌って、自分なりの発声法を確立していったということでしょう。
 
ですから、ヴォイストレーニングを行っていないというような形で見るのは難しいと思います。彼の見解は、そのときの声楽の先生から学んだヴォイストレーニングの印象かもしれません。もちろん、今の業界で、いろんなヴォイストレーナーと知ったり、そのやり方を見る機会がたくさんあると思います。それも含めて、本人の感覚ですから、こうした判断は否定しません。
 
 
◯自分の音楽の世界と声
 
一方で、ウォーキングをしたり歌を歌ったりしていることと、ヴォイストレーニングとの間に明確な区別というのは、なかなかできるものではありません。
 
彼のように、高校の時代にヴォイストレーナーについたというのは、かなり特別なことだと思います。当時、演歌や歌謡曲、ポップスの歌の場合は、多くは作曲家やピアノ出身の人が、教えていたのですが、そこでは足らず、私と同じように声楽にまでツテを頼ったのだと思います。
 
 
◯声の素材化
 
彼自身はヴォーカルの中でも、ミュージシャン色の強いスタンスですので、作曲やアレンジ総合的なプロデュース力も含めての歌唱力です。今も若いシンガーソングライターやアレンジャーから学んでいるように、声を素材としての音楽づくりというふうに見た方がよいと思います。そこもシンガーソングライターならではのことではないかと思います。
ミュージカル俳優などと違い、声楽のテクニックなどは、さほどいらなかったのでしょう。
その場合の声ということは、オリジナリティーに根ざすものであって、今のヴォイストレーナーの扱える範囲にないかもしれません。
 
 
◯一般的ヴォイストレーニングとしての「ヴォイストレーニング大全」
 
私もトレーナーの本やCDなどの教材、あるいはワークショップなどの映像等はたくさん持っています。参考になっても、どれ1つ、使う気どころか聞く気になるものはあまりありません。
 
(一応ですが、出版社などからもいただき、ほとんどの教材は、聴いています。そうしたトレーナーの元からいらっしゃる人もいれば、著者がいらっしゃることもあるからです。また、そういう教材での質問が少なからずあるからです。)
 
そこで「ヴォイストレーニング大全」という教本を出しました。これ以外のものは大していらないというような考え方で、ヴォイストレーニング全般を客観的にみて体系化したものです。
 
私の声づくりや研究所のトレーナーの個々のレッスンで行うこととは、必ずしも一致するわけではありません。それでも共通性を元に、自主トレ用の、あるいは、あらゆるレッスンの補助教材として、ヴォイトレメニューのエッセンスをまとめたのです。
 
私のオリジナルの考えと独自のトレーニングの本は、出してきたので、この本では、私からの独立性を第一に考えました。一般的な人が使ったり、いろんなトレーナーが教えるときに使いやすいように考えたのです。
 
これで下手な歌や発声は、まともになりますが、売れるようになるわけではありません。
 
「歌ってりゃいいんです」といわれてますが、まさに、歌ってなきゃダメなわけです。ただ歌ったらみんながよくなるかというと、そうでもないから、こういうものが必要であり、重宝されるのです。
 
 
◯トータルとしてのヴォイトレ
 
フィジカルやメンタルの問題はとても難しくて、声や歌にどこまで関与するのかというと、人やその作品によるとしかいいようがありません。
ヴォイストレーニングというのであれば、声の力は、余力があればあるほどよいので、できるだけ大きな器を作っていくという考え方です。目的が定められているのであれば、その目的の2割増しくらいをめざすとよいと思います。調子の悪いときもありますし、100パーセント、出さないとステージが持たないようでは、続かないからです。
使わない分まで身につけるということは、効率の悪いことです。でも、将来的に自分の世界が定まるまで可能性を広げられるだけ広げておくとよいと思います。
 
彼は、「ウォーキングをする」そうですが、それも、スクワットや柔軟でも、呼吸法を兼ねているといえなくはありません。発声や共鳴に関しては、声を出すという機会をなくしてしまうと難しいのですが、話したり歌ったりしている分には、声力のキープはできます。
 
 
◯ヴォイトレの限界
 
ヴォイストレーニングにおいて、姿勢や呼吸、発声、発音などと分けているのは、総合的にメニューを作らなくてはならないからです。音程やリズムであれば、音感やリズム感をどうやって入れていくかです。そういうことも含めて、ヴォイストレーニングのメニューなどは、歌の初歩の初歩にしか過ぎません。
 
正攻法は、音楽に親しんで、自らアプローチしていくしかないわけです。
 
正確にピッチを取るとかリズムパターンを入れるとかというのは、基本とか基礎ということでいえば、とっかかりとしての1つのアプローチに過ぎません。発声の基礎に関しては、さらに難題です。
 
「ヴォイストレーニングを行うだけで、プロになれる」などというならば、それは「ヴォイストレーニングは信用ならない」ということになると思います。
 
あくまで趣味でやる人が、仲間内の中で上達するくらいの効果を、普通のヴォイストレーニングというのは、ガイダンスしているに過ぎません。
 
 
◯まとめ
 
結論からいうと、この偉大なアーティストに、聞く質問としては、ふさわしくないということになります。
しかし、ニューミュージックからつながって、今のJポップスは、こうした音楽的才能のあるアーティスト、シンガーを求めていますから、こうした意見は貴重です。
 
ヴォイストレーナーこそが、こういう言葉を聞いて、深く考えなければいけないと思います。
 
 
(参考) 山下達郎氏とシティポップについて
 
日本のヴォーカルでの世界での評価は、声や歌唱力においては芳しくないです。
グラミー賞でも評価されたのは、ハイテクを駆使した分野です。クラシックでも、指揮者、バイオリニスト、ピアニストに比べるとあまりに少ない。シンセサイザーなどの分野、アレンジなどでは、一流です。
そういうなかで、坂本九の「上を向いて歩こう」、由紀さおりの「夜明けのスキャット」などの後、日本のシティポップに大ブームが起きているのです。
多分、日本語の響きとテイストが、かつてのアメリカのメロデックな音楽の延長で、ほどよく洗練された歌として、メジャー性を獲得したのだろうと見ています。
AORであり、軽い情感のあるイージーリスニングにあたるように、私は思います。
 
日本においては、今から見ると、そのなかにもかなりの歌唱力を持つ歌手もいますが、やはり歌唱は日本人的なのです。なのに、土着の日本伝統文化性がないというアンバランスなものです。
世界でも、オーソドックスな基準での声がよいとか歌唱力があるという優れた歌手は出尽くしており、そうでない要素での売りが求められるようになったのでしょう。
この流れは、声や歌の力を重視しない方向に進み、Jポップスに至るかもしれません。
 
 
◯シティポップブーム
 
シティポップについては、このところ「世界で受けたい授業」でも2回、とりあげられました。
最近の流れで見ると、2010年代には、シティポップは、欧米圏だけでなく、アジア圏でも評価されます。
2017年頃から、レコードやCDを爆買いに来日する外国人が、よく放映されました。
 
2018年にはYouTubeに無許可アップロードされた竹内まりやの「プラスティック・ラヴ」(1984年)が、YouTubeのリコメンデーション・アルゴリズムにより偶然、世界中のユーザーに推薦され、その後、約4000万回もの再生。
 
2020年には、10月にYoutuberのRainychがカバー曲を歌唱する動画を発表、松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me」(1979年)がSpotifyグローバルバイラルチャート15日連続世界1位を記録、Apple MusicのJ-POPランキングでは12か国で1位を獲得する。同作のレコード盤がポニーキャニオンから復刻。
 
2022年1月、カナダのアーティストであるザ・ウィークエンドが、亜蘭知子の「MIDNIGHT PRETENDERS」(1983年)をサンプリングしたシングル「Out of Time」をリリースしたところ、同年1月22日付のBillboard Hot 100で最高位32位を記録。
 
 
◯世界が愛する日本のシティポップアーティストTOP20
 
20位:荻野目洋子「Lazy Dance」
19位:松任谷由実「埠頭を渡る風」
18位:国分友里恵「Just a Joke」
17位:吉田美奈子「扉の冬」
16位:菊池桃子「Mystical Composer」
15位:1986オメガトライブ「君は1000%」
14位:キリンジ「エイリアンズ」
13位:荒井由実「ひこうき雲」
12位:濱田金吾「街のドルフィン」
11位:亜蘭知子「Midnight Pretenders」
10位:杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語 NEVER ENDING SUMMER」
9位:八神純子「黄昏のBAY CITY」
8位:松下誠「Love Was Really Gone」
7位:秋元薫「Dress Down」
6位:細野晴臣「東京ラッシュ」
5位:大橋純子「テレフォン・ナンバー」
4位:竹内まりや「Plastic Love」
3位:杏里「Remember Summer Days」
2位:大貫妙子「4:00 A.M.」
1位:松原みき「真夜中のドア~stay with me」
 
※Spotifyにて2022年6月15日から2022年7月12日までに海外リスナーが再生した回数を集計。
(7/23世界で受けたい授業)
 
 
◯シティポップとは
 
シティ・ポップ (city pop) は、1970年代後半から1980年代にかけて日本で制作され流行した。
欧米の音楽の影響を受け洋楽志向の都会的に洗練されたメロディや歌詞を持つポピュラー音楽。和製英語。
 
洋楽のニューソウル、R&B、ジャズ、フュージョン、アメリカ西海岸のAOR(アダルト・オリエンテッドロック)にインスパイヤされた都会的なサウンドを前面に出したポップスです。
 
洋楽的な様式、雰囲気を持った音楽性の高いアーティストがシティポップ枠ですが、アイドルやアニメものも含まれると言えましょう。
 
ムードを表す言葉で、日本語で歌われているもの。
 
ロックとフォークの日本版ハイブリッド、ニューミュージックを母胎、
 
洋楽(特にアメリカ音楽)の日本独自なアレンジ。
 
 
電子楽器とアナログ楽器を組み合わせたサウンドと制作手法、
 
そこには、「日本的な音楽」の証を見出しにくい。
 
1970年代からレコードのライナーノーツでその語が使われています。
 
演奏やアレンジに凝った楽曲が1970年代になると「ニューミュージック」とカテゴライズされ、そこで洗練された都会的なものとなる。
 
ダンスのときに使われることも多い。
 
軽快なロックサウンドに日本語歌詞を乗せた先駆的バンドのはっぴいえんど(1969年-1972年)
 
シュガー・ベイブのアルバム『SONGS』(1975年)もシティ・ポップの嚆矢。
 
1970年代末、YMOがシティ・ポップをさらに先鋭化させたテクノ・ポップ。
 
1981年には年間アルバムチャートで、寺尾聡の『Reflections』と大瀧詠一の『A LONG VACATION』というシティ・ポップの名盤が1位と2位につける。
 
1980年代前半にシティ・ポップは全盛期。
 
外で聴く BGMとして、大瀧詠一の『A LONG VACATION』(1981年)と山下達郎の『FOR YOU』(1982年)。カーオーディオ占拠。
 
日本のアーティストでは、ティンパン・アレーやシュガー・ベイブから派生し、大瀧詠一、山下達郎、吉田美奈子、荒井由実、竹内まりや、大貫妙子、南佳孝など。
 
 
◯シティポップの背景〜1980年代の都会とビーチ
 
高度経済成長を経た「東京」で、東京出身者もしくは東京を拠点に活動するアーティスト、特にシンガーソングライターが多い。
 
ライブよりはスタジオでのレコード制作に重点を置いていた。
 
リアリズムから一歩引いた、広告都市的な消費の街というフィクション性、お洒落なライフスタイルや都会の風景、都市生活者ならではの孤独感や哀愁をメロディと洒落たコード。
 
日本人の生活水準の向上と、変動相場制導入と円高による海外ものの流入、東京の国際都市化。
 
平日は街で夜遊び、オフには伊豆とか湘南でサーフィンするライフスタイル。
 
都会の夜の喧騒とビーチのリゾート感覚。横浜から湘南にかけてのリゾート色の強いエリア。
 
山本達彦、稲垣潤一、杉山清貴といったイケメン男性シンガーによる都会派楽曲というイメージ。女性ファンが多い。
 
松田聖子の「風立ちぬ」(1981年)や「赤いスイートピー」(1982年)と歌謡界にも浸透、
 
CMとのタイアップで、メッセージ性よりは、商業音楽、純粋な音楽性の追求。
 
 
◯音楽を聴く環境の変化、
 
テクノロジーの進歩により安価なアウトドアの娯楽へ。
1980年代にはレンタルショップでレコードを借りて、カセットデッキでテープにダビングし、ウォークマンやラジカセ、カーオーディオで聴くスタイルが流行。
 
 
◯ビジュアルの影響
 
イラストレーターの永井博や鈴木英人、わたせせいぞうなどが、アルバム・ジャケットに用いられ、疲れ切った都会人が夢見るレジャー空間
 
富裕な都市環境
 
カリフォルニアを想起、「トランスナショナルな大都会と海辺。
 
 
◯シティポップの衰退
 
「形骸化した浮わついた音楽、「現実感に欠けると批判。
 
1980年代後半、ロック中心主義的な「バンドブーム」とJ-POPへ。
 
KANの「愛は勝つ」など地に足のついた内省的な歌へ。
 
 
◯21世紀での再興
 
2010-2020年代
イギリスでは早くから山下達郎の曲などがダンスナンバーとして評価され、「J・レアグルーブ」「J・ブギー」と称されていた。
2000年代に入ってインターネット環境が普及し、ストリーミングや動画配信サイト (YouTube) で音楽を聴くようになると、
AORを再評価していた米国の音楽マニアたちがネットで「発見」、シティ・ポップは「AORの秘境」となる。
 
2010年代前半には音楽家が、ヴェイパーウェイヴやフューチャー・ファンクに使うレトロな大量消費社会のモチーフを探す一環で、サンプリング。アートワークやミュージック・ビデオなどの視覚的イメージにも、日本語や日本の1990年代までのCMやアニメの断片を用いる。
ヴェイパーウェイヴのBGM的性質から、ストリーミングの普及でチルアウトの音楽にも影響。(参考Wikipedia、敬称略)
 
♯ヴェイパーウェイヴ
 
2010年代初頭にWeb上の音楽コミュニティから生まれた音楽のジャンル。過去に大量生産されて忘れ去られた人工物や技術への郷愁、消費資本主義や大衆文化、1980年代のヤッピー文化、ニューエイジへの批評や風刺として特徴づけられる。
 
 
◯マーチンさんの見解
 
イアン・F・マーチン さんは、次のようなことを述べています。 
 
1970年代アングラ演劇とロックが交わったわけです。アンダーグラウンドとロックの融合は、エンターテイメント化していくことになりました。
1990年代のグローブ、ミスターチルドレン、グレイ、SMAP、中島みゆき、松任谷由実、大滝詠一などについて。
 
<歌は僕にも理解ができるギターのリフもしくはビートから始まるのだが、そこにボーカルが入ってくると、音楽は僕からすれば子供っぽい童謡みたいな感じの何物かへ下降してしまう。(中略)どうしてこんなにガチガチに歌声がリズムにくっついていなくちゃいけないんだ?
この音楽が本来どんなふうに鳴ることになっているものなのか、彼を理解してるはずじゃないのか?
 
英米系のそれも日本のポップスもどちらも非常によく似たジャズをルーツにしたものながら、日本ではクラシック音楽の旋律作曲方からより影響受けた状態が続いている。
英米のポップスを聴いて育ったリスナーの耳には、ジャパニーズポップスのボーカルメロディーはビートと固く結びついていて硬直した、柔軟性に欠けるもののように感じることがある。
むしろ日本のポップスの方が音楽的にはもっと洗練されていて、伝統的なアメリカイギリスにおけるコードが4つのブルーズをベースとするそれよりも、はるかに複雑なコード変化のパターンを用いているという点にある。>
 
ということを述べ、さらに次のようなことを指摘しています。
 
<日本のポップスは調性を有するものになる傾向があり、英米のポップスはモーダルになる。
日本語はモーラ的言語で強弱の差があまりない、英米語はストレスタイムド言語で柔軟に会話調なリズムをもたらせる。
日本人は、大げさなビブラートをかけて歌ったり、早口言葉で歌詞を詰め込んでいくスタイル、英語化した抑揚で日本語歌詞を歌うなど高度に様式化されていき、日本の話し言葉のリズムからすれば不自然になる。
日本のマーケットは衰退してるとはいえ、うまく市場を支えてきた。
 
過去10年に海外のファンを獲得した日本人アーティストの魅力は本質的に視覚要素よりビジュアル系、またはきゃりーぱみゅぱみゅやパフュームといったビジュアル系で様式化されたアクトがいる。ファンはオリジナルの日本語歌詞を好んでいる。>
 
参考文献「バンドやめようぜ」イアン・F・マーチン (日販アイピーエス株式会社)
 
※今回の延長上に、次回、日本人に徹底して欠けている、「中低域と声量について」明らかにしたいと思います。
 

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