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私のダンスヒストリー②

ドイツから始まったダンスヒストリーの続き。今回はちょっと路上パフォーマンスについて語ろうと思う。

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路上パフォーマンスとは結果がすぐに見えるものである


< 結果がすぐに見える。>
・集まったひとも面白くないとすぐに消えてしまう。

これこそが路上パフォーマンスの醍醐味であり、そのもの。

人が消えていくことはすごく寂しいし、なによりお金がもらえなくなるから
自然と、お客さまの表情やエネルギーを感じながら踊りや演奏を変化させ進めていくようになる。「見る」ことを絶対条件として突きつけている劇場とは違う
瞬間瞬間で相手のニーズを捉える

それまでいたコンテンポラリーアートの世界とは真逆。

この時培った意識は今の自営業にとても生かされていると思う。

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一番大切なものを共有する日々


お客さまとは私の全力出し切ってる瞬間を共有しているから、感じてくれた人は凄く心を開いてくれて、食べ物をくれたり、お金をくれたり、パフォーマンスの仕事をくれたり、住むところを探すのに協力してくれたり、親身になってくれて気持ちの良い関係が作れる。

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「踊り」という全力の「私」そのものを見て、繋がってくれている人とは、深いところで繋がりあえるんだ。表面的な付き合いにはなり得ない。そしてとても幸せなことだ。

ミュージシャンのパートナーと即興セッションで路上パフォーマンスをやっていたので、間合い、エネルギーの出し方、コミュニケーションの取り方、タイミング、毎日パフォーマンスできることで、とにかく毎日発見があり、勉強になった。

けれども、裸足でコンクリートの歪んだ床で踊るのは体への負担が凄くて、
10月のドイツでは腰やっちゃったり、捻挫をしたり、首が動かなくなったり
思った以上のハードワークと自分の体の弱さにがっかりした。

7歳からバレエのトレーニングを開始し舞台に立ち始めた私は、28歳、生まれて初めてそんなことにチャレンジし、ただのスタジオダンサーから「踊り子」の魂を育てていったのだ。

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ロマとの出会い



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路上パフォーマンスが盛ん、アートに免疫のあるドイツで3か月間の修行を積んだ後、トルコへ行き、「せっかくだから世界中の民族舞踊を勉強したい」とベリーダンスの先生についた。


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その時、ベリーダンスの歴史について調べていたら、すべての舞踊の根源がインドの古典舞踊にありロマという移住民族によって世界に広がっていったのだという情報を手に入れた。「ジプシー」と言われる人たちのルーツがロマにあり、ロマのルーツがインドにあると言うのだ。旅芸人として世界に舞踊を広げた人たち。舞踊の根源と繋がる人たち!!!

私はこのロマという民族に強く惹かれた。

幸運にも実際にロマの子孫たちのすんでいるスラムのアパートを借りて
ロマに囲まれて暮らすことができた。気づいたらそんな環境にいたのだった。

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ロマとの衝撃的な暮らし

当時使っていたカメラが壊れてしまい、写真がないのが残念だけれど。


なんというか、やはりロマは迫害にもあっていたらしいから警戒心が強く、トルコの中でもトルコ語は使わずに独自の言語を使っていた。

玄関に石を投げつけたり、窓からガン見で覗いてきたり、思いもよらない行動で私を驚かせるロマの子供。突然歌い出したり、指を鳴らしたりする、子供とは思えない、セクシーな目をしたロマの子供。生命力が全開なのだ。

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彼らはチカラ強い音楽性と表現に長けた、まさに芸の民族だった。




舞踊はエネルギーの記録装置

政治的な意図の中で
迫害と隣り合わせだった舞踊。



自由。
宗教。
政治。

それぞれの
文化の中で育まれていくそれぞれの身体。





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私たちの身体性には
長い人類史の記憶が全て詰まっているんだ!



発見し、私の魂は叫んだ。

すべては繋がっていて
何かを訴えかけている。


さて、現代に残された情報や
舞踊という身体システムの記憶から、

私たちはどこまでキャッチできるのだろう。


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「舞踊」には年月を超えて、

昔の人の「意識」にチャンネルを合わせる「仕組み」が備わっている。


そんなことを発見してゾクゾクする世界舞踊の旅。


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3次元を超えた舞踊というエネルギーの奥深さに、私は世界の真実を見るようになる。



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