アナログ派の愉しみ/本◎O・ヘンリー著『最後の一葉』

そこには意想外につぐ
意想外の内実が


O・ヘンリーの小説と言ったら、真っ先に『最後の一葉(The Last Leaf)』(1905年)を思い浮かべるのはわたしだけではないだろう。当節は知らないけれど、かつて国語の教科書や世界の名作といった児童書には必ずのっている定番中の定番だったから。そうやって当たり前のように出会って感動を味わった覚えのある者にとって、作者のO・ヘンリー、本名ウィリアム・シドニー・ポーターが犯罪者として刑務所に服役した経歴の持ち主だとは、少なからず意想外の念を催させる事態ではないだろうか。

 
南北戦争のさなかの1862年にノースキャロライナ州に生まれたかれは、20歳のときにテキサス州に移り住んで銀行に勤めたが、そこで公金横領の容疑をかけられる。いったんは中米ホンジュラスまで単身逃亡したものの、自宅に残してきた妻の危篤が伝えられると舞い戻り、35歳にして懲役8年の実刑判決を受けて、その獄中でO・ヘンリーのペンネームによって短篇小説を発表しはじめた……。おそらくは、そうした起伏のある人生行路が作品のエキスとなり、代表作のひとつ『最後の一葉』にも注ぎ込んでいよう。

 
だが、さらに意想外の念を禁じえない事態がある。と言うのは、わたしが昔日に読んだときには主人公の女性ふたりが姉妹という設定で、それがオリジナルでは友人同士という設定なのは知っていたが、今度ちくま文庫から出た青山南ほか訳の『O・ヘンリー ニューヨーク小説集 街の夢』所収の当該作品(『最後の一枚』という題になっている)の解説によれば、彼女たちは実は同性愛の関係らしいのだ。19世紀後半から20世紀初頭にかけてフェミニズムの第一波が到来したなか、女性同士の暮らしが「ボストン・マリッジ(ボストン式結婚)」と呼ばれて流行し、ボヘミアンのスーとジョンシーもそうしたカップルとしてこのグリニッジ・ヴィレッジの古ぼけた共同住宅にやってきた。だから、秋の終わりの冷たい風が吹きすさぶころ、ジョンシーが肺炎にかかって重体に陥った際に、往診の医師が「男のことでも考えて元気を出させるようにしなさい」と告げると、スーはすかさずこう応じるのだ。

 
 「男?」スーは言った。ビヨーンビヨーンと鳴る口琴でも咥えたような鼻にかかった声で。「男なんてなんの価値が……ああ、いえ、先生、そういうのはありません」

 
こうしたバックグラウンドを眺めると、この物語の主題も多少違って見えてくるのではないか。すなわち、いまや生きる意思を失いかけているジョンシーの気力を奮い立たせるため、嵐の夜にからだを張って行動に出るのは若い男ではなく、老いさらばえた画家ベアマンでなければならなかった。かれがみずからの生命と引き換えに向かいのレンガ壁に描いた一枚のツタの葉はペニスの隠喩に他ならず、ただし、それは生殖から切り離された男性の優しさだけを象徴するものだったろう。したがって、日本で児童文学としてリメークするにあたって、そのあたりをぼかそうとしたのも頷けるのだ。

 
ところが、である。さらにさらに意想外の念に駆られる事態と出くわした。映画『人生模様』(1952年)を観たのだ。これはO・ヘンリーの五つの作品をそれぞれ別個のスタッフとキャストが撮影したオムニバスで、『最後の一葉』はジーン・ネグレスコ監督が担当しているのだが、なんと、主人公のスーとジョンシーは姉妹となり性的な要素がきれいさっぱり消されているではないか。そう、われわれが馴染んだのとまったく同じ設定で、と言うことは、こうしたバージョンは日本の児童文学の工夫ではなくて、そもそもこのあたりにルーツがあったと見える。

 
なんだって、こんなことが起きたのだろう? それはわからない。が、あえて推測するなら、この映画が制作された時期はアメリカでマッカシー上院議員を先鋒とする「赤狩り」の旋風が吹き荒れ、ハリウッドでも著名な映画人がつぎつぎと標的にされていた。そこでは共産主義者のみならず、同性愛者もまた国家的安全を損なう存在と位置づけられて執拗な弾圧が加えられたのだった。こうした社会情勢のもとで、この映画における『最後の一葉』の設定も改変を余儀なくされたのではなかったか、とわたしは睨んでいる。

 
この小さな愛の物語にはどうやらひと筋縄では収まらない、人間社会の巨大な葛藤がせめぎあっているようなのだ。
 

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