アナログ派の楽しみ/スペシャル◎高峰秀子の「ビール」
昭和の大女優、高峰秀子に一度だけお会いしたことがある。
わたしが出版社で最初に配属された婦人雑誌で、「私の得意料理」というカラー・グラビアを担当していたときだ。これは各界の著名人に自宅で手料理を披露してもらう企画で、ふだんはまことに威勢のいい方であってもこと料理となるとけんもほろろに断られるケースが多く、毎回人選に苦労した。そんなとき、すでに女優業から引退してエッセイストとして活躍していた高峰が『台所のオーケストラ』という本を出したので依頼してみたところ、ふたつ返事で引き受けてくれたのだ。
いま思い返せば、臆面もない所業というべきだろう。そのころのわたしは高峰の出演作のうち、せいぜいテレビが放映した『二十四の瞳』(1954年)や『名もなく貧しく美しく』(1961年)くらいしか観たことなかった。もっとも、急いで言い訳をさせてもらうと、ビデオ・ソフトが一般に流布するようになる以前は、過去の映画、とりわけ日本映画を鑑賞する機会はきわめてかぎられていて、テレビがたまに取り上げるのを待つしかないという状況だったのだから。
そんな頼りない編集者を、秋の一日、高峰は港区麻布の自宅に快く迎え入れてくれた。当時50代後半の年齢で、なんの飾り気もなく、とっくりのセーターに黒のパンツというふつうの主婦のいでたちで台所に立つと、もの慣れた手つきで包丁や鍋を取り扱う。メニューは、あらかじめ12月発売の雑誌への掲載を伝えてあったので、「お正月の酒の肴5種」と題して、鯛の昆布あえ(3分)、たらの白子のポン酢あえ(10分)、セロリの即席煮(5分)、味噌漬けタマゴ、変り梅干(5分)を用意してくださり、( )内は調理の所要時間で、その手軽さもアピールポイントとのことだった。
これらを仕上げ、漆器のお盆にあしらって写真撮影が済むと、高峰はそそくさと冷蔵庫のビール瓶を運んできてわたしとカメラマンのグラスへ注いでくれた。取材先でこうした成り行きには滅多に遭遇しない。ふいに『二十四の瞳』を涙ながらに観たときの感動がよみがえったわたしが「大石先生にお酌してもらえるなんて光栄です!」と口走ると、高峰はちらりと見返して笑みを浮かべた。
「あら、ありがと」
そして、グラスとグラスをこつんとぶつけた。その所作のどこにも肩肘張った雰囲気はなく、こちらが戸惑ってしまうくらい自然体で、あえて言うならふつうの主婦が長年かけて身についたもてなしをしてくれているふうだった。
しかし、わたしはいまにして気づくのだ。幼くして実母と死に別れ、強情な養母のもとで物心ついたころには芸能界にいて、戦前・戦後を通じて銀幕を仕事の場としてきた高峰にとって、たとえ本人がどれほど望んだとしても、ふつうの主婦の生活はずっと遠いところにあるものだったに違いない。あの日、自分の映画をろくすっぽ目にしたこともない駆け出し編集者の取材に対して、ごくふつうの主婦の立ち居振る舞いで応じたのも、昭和の大女優にとっては朝飯前の演技であったろうことに――。