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🎹カルナバル…あの日の雨音

あの日僕は今にも振りだしそうな
雨空を不安そうに見上げると
分厚い雲の隙間から見える
頼りない太陽の日差しに
期待することなく
古びたアパートの一室へと向かっていた
5階建てのアパートの階段を駆け上がるとかぎのかかっていない部屋のドアをそっと開ける
部屋から溢れるぼんやりとした明かりを頼りに部屋の中へと入ると
いつもの光景が広がる

こんにちは…
僕はアンティーク調のネジの緩んだバランスの悪い椅子に腰かけると
女の子の白くて折れそうなくらいに細い身体をじっと見つめる…
女の子は無表情なまま
老人の注文通りのポーズを忠実に再現する
老人は静かに筆を置くと
君は油絵が好きなのかい?
少ししゃがれた声で
僕に話しかける

そうですね…
いつか油絵にも挑戦してみたいと思ってますけど
まだそんな力量ってゆうか

難しいって思ってます
僕の返答に対して
目を細めると
年季の入ったキッチンに向かい
入れたてのエスプレッソを僕に手渡す
エスプレッソの香りが部屋中に漂う
女の子は労が差し出した
大きめのシャツをブカッと無造作に羽織ると
窓辺に持たれながら
老人に差し出されたエスプレッソの入ったコーヒーカップを持つと
ドライアイスみたいに勢いよく流れる雲を見つめながら
寂しそうに微笑む
老人は女の子を背後から壊れそうな小さな小鳥を大切に扱うみたいに抱き寄せると
女の子は心を委ねるかのように
目を閉じる

そんないつもの光景に…
僕はと言えば
何でもないかのように
無関心を装いながらも
内心いつも
心音は上がりっぱなしだった

ドライアイスみたいな雲が遠くの方に移動すると今度はお約束のように
激しい雨が窗を叩きつける
雨音はどんどん激しさをますかばかりでとても止みそうにもなかった

下の階の住人のピアノの音がかすかに聞こえ始めると
老人は静かに筆を取り
女の子はシャツを脱ぐ

雨音が激しく窓を叩きつける音と
ピアノの旋律と
淫靡な空気感の中
老人は渾身の魂をカンバスに重ねて行った
僕は緊迫感と
まるでフナが麻酔にかかる
数秒前のような
もうろうとした意識の中で唾を飲み込む音にさえ神経を張りつめていた
老人の恍惚な感性と熟年の技を目の当たりにすると
自分の足りない部分とか
未完成な部分とかが
これでもかって位に思い知らされて
かなりへこむんだけど
芸術の域でひとくくりに出来ない
情熱をいつもダイレクトに
学びつつ
嫉妬ににた醜い感情さえも
認めざるを得ない自分がふがいない

そして完成した
その作品のあまりの
素晴らしさに
涙が溢れる
雨音が遠くで反響し
ピアノの音がだんだん大きくなる

ショパン
ノクターン
第20番遺作

僕は今でもあの頃の
事を思い出す
雨音とノクターン

僕の五感を刺激して
カルナバルな芸術を産み出してくれる
のは
君しかいない…

僕の言われるまま
身体を淫靡な角度にくねらせる
彼女は
あの日の女の子だった…









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