自己紹介(自分の崩壊)

前回の記事では自分が社会人になるまでのバックグラウンド及びそれまでの考えと入社してからの経歴について書かせて頂きました。
今回は私が鬱になって会社を休職した経緯について書かせて頂きたく思います。



登場人物

今回は登場人物が多いので、登場人物の説明をさせてもらいます。(以下、私の主観と同僚の話を聞いた限りの説明になります。必ずその人を正確に説明できているわけではありません。)

新しく課長になった先輩をAさんとします。Aさんは新卒入社でこの会社に入社して、主力製品の製品開発を10年以上も行ってきたベテランで知識と経験が豊富ないわいる仕事できるマンです。ただ、人間性には問題があり、過去に対人トラブルでコンプラ委員会からイエローカードをもらっている経験もある人です。

そのAさんの上司に当たるグループ長をBさんとします。Bさんは私の部署で新規事業と主力製品の両方をまとめる次長さんです。Bさんは典型的な上司のイエスマンで、上の人の指示を忠実に実行する人です。そのため、上司からの信頼はある程度ありながら、自ら働きかけることは行わない保守的なかたです。また、主力製品の製品開発を入社以降約15年以上行ってきた方で、私の部署の中では一番製品開発の経験と知識を有した人です。

私の3つ上の先輩をCさんとします。Cさんは入社後2年間は主力製品の製品開発に携わっており、この分野に関しては非常に知識を有しています。年次が近いこともあり、私も気さくに仕事の相談をしやすい頼れる先輩です。同時に、上司からの信頼も厚く、Aさん、Bさんから複数の案件を任されており、比較的若手ながら多くの案件を抱えている、いわゆる管理職候補の優秀な先輩です。



新しい仕事

入社2年目。Aさんが私の上司になりました。私はそれまで新規事業の製品開発として設計、工場立ち上げを行っていました。しかし今回、Aさんの元で新しい仕事として会社の主力商品の製品開発を一度経験して、本来の会社の動き方や決裁ルートなど会社のルールを学ぶように言われました。
今後この会社で開発職としてキャリアを積んでいくにあたって、主力製品がどのようなステップで作られていくのかを学ぶことは、2つの意味で自分のためになると思い、この仕事を受けました。

1つ目は会社の仕組みを学ぶ機会になると考えたためです。
新規事業の製品開発と主力製品を市場に出すステップはどの会社でも似ているとは思いますが、全く異なると考えています。特に私の会社のような日系大企業のメーカーは主力製品を市場に出すまでのステップはルーティーン化されており、決まった段階を踏んで製品を世の中に出すことになります。その方が効率よく新商品や改良品を世の中に出すことができるのでこのシステムを学ぶことは会社がモノを作るためのシステムを理解するには最適と考えました。

2つ目は新規事業の製品開発に応用することができると考えたためです。会社の上の人たちは、上記のルーティーンで製品を出すことに慣れています。なので、新規事業の製品を出す際にも、主力製品を市場に出す際と同じポイントを抑えておくと、新規事業の製品を上市しやすくなると考えたためです。
当時の私たち新規事業部の課題は、品質はそれなりのものができているが、上層部のOKがもらえずに製品化ができないということでした。他社では、うちの新規製品よりも明らかに品質の低いものでも製品化して消費者の反応を見ることができていましたが、私たちは製品化できず、他社の製品を見ては、「うちの方がもっと高い品質のものを同程度の価格で提供できるのにな…」というフラストレーションがたまっている状態でした。

そこで主力製品を市場に出すステップを学ぶことで、自分たちが開発した新規事業の製品を上市するために超えないといけない障壁の明確化と対応策を学べると考えていました。

このような理由で、新規事業部の仕事は一旦ペンディングにして、新しい課長の元で、会社のステップを学ぼうと考えていました。


私は主力製品の製品開発をAさんから指示されて行っており、アドバイザー(相談役)としてCさんを私につけてくれました。全く初めてで何もわからない中で、主力製品の製品開発を行うことになりました。基本的な指示系統は、Bさん→Aさん→私です。わからないことが多くあるのでその辺はCさんに教えてもらう(サポートしてもらう)という形でこのプロジェクトはスタートしました。今回担当する製品は他企業に納入する製品であり、社内で承認を得た後に工場で生産できることを確認して、相手企業のOKを頂いて製品化するのが全体の流れになります。

この仕事の最初のハードルは社内で承認を得ることです。
社内の承認を得るためにはAさんのOK、BさんのOK、さらにBさんの上司のDさんのOKをもらうことが必要になります。

私は製品の設計と開発に尽力しました。
Aさんから厳しい指導を受けましたが、それも自分のためと思い、真摯に受け止めながら開発業務に勤しみました。毎日1~2時間の説教を公の前で受けながらも、自分の成長のためだと思い、毎日誰よりも遅く帰る毎日を送っていました。

ぶつかった壁と戦う労働者

このプロジェクトで2つの大きな壁に私はぶつかりました。

1つ目はBさんの存在です。Bさんは私に期待してくださっていたのか、私の業務に対して様々なアドバイスや指摘を毎日頻繁にしてくださいました。開発において、注意すべき点などをご指摘してくださっていたのですが、実際の開発の本流とは関係ない話も少なくなく、私としては多くの時間を取られることになりました。(もちろん、勉強になることは多かったので、半分は良い経験になったと思っています。)

2つ目はAさんの指導です。Aさんは初めての部下ということもあり、私に対して厳しく指導をしてくださいました。
私の至らない点を指摘してくださるのはありがたかったのですが、そこからエスカレートして、思考や人格の否定に及び、すべてを否定されるようになりました。しかし、私が触れてこなかったようなビジネス書を紹介して頂いたり、私になかった考え方を提案してくださったりと、私の知見を広げてくださるような提案をしてくださいました。
しかし、これらの知見は目の前の課題解決に直結するわけではなく、結果的に私は課題に対する適切な対応をとることができませんでした。


①AさんとBさんから別々の指示が複数入る。
②私の開発品の品質がよくないため、指摘や𠮟責をうける。
③さらに各々約1時間/日の指導をうける。
④新たな指示がAさんとBさんから入る。
⑤Cさんに相談して優先順位を決めて業務を進める。
⑥途中でAさんから別の指示が入る。
⑦Aさんからの指示を実行する。
⑧そこへBさんから別の指示が入る。
⑨Bさんからの指示を実行する。
⑩Cさんから相談した通りに仕事をしていないと指摘を受ける。


、Cさんに相談して、自分がやるべき業務を整理した後に、AさんとBさんがそれぞれ別の指示を私にするのです。
その指示は、二人ともパワハラの強い口調での指示であり、Cさんと優先順位を決めて業務へ取り掛かった後にAさんとBさんから強い口調で指示をされるのです。


このままでは仕事を学ぶどころかこの案件が頓挫してしまう…と思った私はCさんと相談し、指示系統を「Aさん、Bさん→Cさん→私」にするようにAさんとBさんにお願いしました。

2人ともこの案には賛成してもらえましたが、効果はありませんでした。2,3日が経つと2人ともCさんを飛ばして私に直接指示をするようになりました。一度決めたことでも忘れたらなかったことになる社風(?)があるからなのか、問題は解決せず、私は追い詰められていきました。

仕事中は頭の中で考えがずっとループしている状態で、そこに新しい指示が舞い込んでくる。どれだけ作業をしても終わらない。当然家に持ち帰ってサービス残業。ずっと仕事のことが頭から離れず眠れなくなり、気づけば朝まで仕事をしている。休みの日は寝るでも起きるでもなく横たわって呼吸をするだけで、人形のようにじっと壁を見つめていました。仕事の前日になると仕事が終わらない、できないことへの不安と恐怖に襲われて、自然と仕事をしていました。すぐに取り組むべき作業があるわけではないのですが、何か仕事をしていないといけないという衝動で、目的もなくパソコンに向かっていました。



そんな日々を半年ほど過ごし、なんとか社内の承認の取得と工場での生産立ち上げを完了させて相手企業への商談までたどり着くことができました。(正直どのようなステップを踏んでたどり着けたのかあまり覚えていないのですが…)

結論として、この商談でNGを出されました。理由としては製品の品質がよくないためです。ただNGが出ただけならよかったのですが、品質が良くないという点に対してAさんとBさんは「この品質に関してOKを出していない」と主張したのです。つまり、私が上司の許可のない製品を相手企業に送ったという主張をされたのです。

当然そんなことはしておらず、送る製品サンプルはCさんとも確認をして送付しており、この主張に対してCさんも反論をしてくださいました。しかし、その真偽の追求はされませんでした。相手企業が品質が悪いことに対して大変憤慨され、この案件は始末書案件になったためです。

私はAさんとBさんから責任を追及され、混乱はピークになりました。
その夜、食事はのどを通らず、嘔吐。このままではまずいと思い、病院へ駆け込みました。

結果、医者からは鬱の診断をうけ、会社は休むように指示を受けました。
私はそのまま会社を休職し、療養することになりました。

労働者の復職

数か月の療養後、同じ会社に復職し、それまでの開発職とは別の職種で新規事業の立ち上げを行っています。同じ会社に復職した理由は私への負荷を減らすためです。お医者さんと相談して、会社を変えるとシステムや人が変わり、環境負荷が大きいので避けた方が良いと判断したからです。(当然、AさんとBさんからは引き離され、2人と仕事で関わることはありません。)転職するしないの前に仕事ができる体に戻す必要がありました。そのためになるべく負荷の少ない環境で、という思いがありました。



その復職から1年が過ぎようとしています。
仕事もできるようになり、これからの自分のキャリアについて考え始めるようになりました。

次は今の仕事とこれからのキャリアについて考えたいと思います。
長文にお付き合いいただきありがとうございます。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?