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チェスガルテン創世記【8】

第二章――フェンリル【Ⅲ】――


 走る馬車が舞う粉雪の中に消えるのを見送ってから、天の民ヴィトは頃合いと察して剣を鞘に納め、腰に差した。
 そして何か合図を出すと他の天の民ヴィト達がわらわらと積み荷に群がった。動きの機敏さといい歓声をあげる騒がしい様子といい、幼さが漂う集団だ。
 それもそのはずで地の民アマリの男が見たてた通り、この場にいる天の民ヴィト達は皆、十代をまだ越えていない若者ばかりだった。

「なぁフェンリル」

 木陰から栗毛の馬を引きながら、この中で一番背丈のある天の民ヴィトが、合図をした方に声をかけた。

「あのおっさん何か言ってたろ、何話してたんだよ?」

 ふり返って、フェンリルと呼ばれた天の民ヴィトはそっけなく返した。

「別に。亡霊だと言われた」
「亡霊?」
「女神のしもべがどうとか。喰われろだのなんだのってさ」

 フェンリルが頭の横で指をくるくる回すと、相手は苦笑した。

「女神のしもべって、巨大狼のことか?あんなの、女神すら持てあました獣だろうに」
「地下に閉じ込めずに殺せばよかったんだ、そんなものは」
「おぉ?知らないのかフェンリル。我らが天王様が、その巨大狼と差し違えたことを」

 フェンリルはため息を吐いた。

「知ってるさ、誰でも知ってる。おれは、もっと早くそうすれば負けることも無かっただろうに、考えが足らなかったと言いたいんだ」
「そういうこと言ってると、罰あてるぞ。天王様の怒りが降るぞ」
「やめろよトルヴァ、お前もいかれたか。天王がその巨大狼に首を食いちぎられてどれくらいたった。死者がどうやって罰をあてられるって?」

 あほらしいとフェンリルが呟き背中を向けると、トルヴァと呼ばれた相手は、持っていた積み荷で彼を小突いた。
 フェンリルはやり返し、さらに強くトルヴァにやりかえされた。それをくりかえしながら二人は、他の子供らの方へ向かった。
 フェンリルは先ほどの地の民アマリの、あの憎々しげな顔を思い出した。
 寝物語でしか聞かない大昔の話を持ち出して、さも女神の目があちこちで光っているかのような言い草だったが、何を得意げになっていたのだろう。
 女神など神々の争い以来、地下へ隠れてそれっきりではないか。死んだも同じではないか。
 いもしないものを引き合いに脅かされても、呆れるしかない。
 天王もそうだ。トルヴァが言うように天王が怒りを降らせるというのなら、それよりもまず、女神の国で隠れながらやっと生きている自分の民をどうにかしろというものである。

(いると言うなら)

 今この場に現れて見せろと、フェンリルは思った。
 女神であれ、巨大狼であれ。現れないなら恐れる理由もない。尊ぶ必要も感じない。

「毎回雪が舞う所を襲うから、亡霊だと思われるのかね。あんなの目くらましなのに」

 トルヴァが呟いた。

「フェンリルのほかにもう一人ぐらい、こういうことができるやつがいればなぁ。もっとすごいことができそうな気がするんだけど。オレも練習すればできるようにならないかな?」

 フェンリルは少々考えてから首を傾げた。

「……どうやるんだと聞かれても、説明しにくい。そもそも訓練して身につけられるもんなら、今頃皆ができるようになってるだろ。ひとつの集落に二、三人ってとこだから、教えようがないのかもしれないけれど」
「そういや最後に寄った集落には、風使いがいたよな。結構なじいさんだったっけ。あそこ、じいさんばあさんしかいなかった」
「あそこはじきに誰もいなくなる。前にも見た。年寄りばかりになったら、もう駄目だ。大体いてもいなくても一緒なんだ、風使いなんて」
「お前な、またそういうことを言う」

 また小突かれそうだったので、フェンリルは押し黙って積み荷を運ぶことにした。
 遥か昔、人間を作り出す際に、天上の王君ヴィセーレンは己の血に息を吹きかけたと言う。
 そのためか天の民ヴィトの中では稀に、自分の意のままに風を呼び操る者――いわゆる風使いと呼ばれる者が生まれることがある。
 風使いは天王の血と息吹を、色濃く受け継いだ証とされていた。
 地下の女帝アマナは自ら娘を産み落とし、帝国を譲り渡した。
 その娘もまた娘を産み、代替わりを繰り返しながら帝国を継がせてきているのに対して、天王には直接の子孫がいない。
 そんな天の民ヴィトにとって風使いの生まれた集落には、天王の加護が宿ると信じられ、いわゆる、ありがたい存在だった。
 だが当の風使い本人のフェンリルからすれば、雪を舞わせたり、風下の獣を惑わせたり、せいぜいそのくらいのことしかできないのだ。
 心の底から役に立ったと思えるような出来事は一度もなく、天王の加護が宿る話については、どうして誰も彼もが疑いもせずにありがたがるのか、さっぱりわからなかった。

(空を飛べるわけでもないのに)

 どれほど風を操り身に纏ったとしても、この忌まわしい大地から自由になれるわけではないのだ。
 ならばこんな力、あっても惨めさが増すばかりだった。 

 フェンリルを筆頭とした天の民ヴィトの五人は、馬に載せる以外にもそれぞれ荷物を背負い隠れ家へと移動した。
 現在使っている隠れ家は、巨大な岩と岩の間にある洞窟だった。
 通れそうに見えない細い出入り口は、雪で一見それとはわからず雪崩や寒さから身を守るのに最適だ。更に少し歩けば近くに川も流れている。
 天気が良ければ山からでも川からでも、何かしら獲れるのだ。
 冬眠中の大きな獣も潜んでいなかったので、これほど都合の良い隠れ場所は、そうそうお目にかかれるものではない。
 フェンリルは道中そうしていたように、洞窟前の足跡を風で撫ぜるようにしながら丁寧に消した。
 ひゅるひゅると、小さく回るつむじ風の音に紛れるような響きで、忌々しげに舌打ちをする。

「幌馬車がない」

 いら立ちを隠そうとしない相方に、トルヴァがあぁ、と同意した。

「まだ戻ってきてないんだろ」
「もう二月だ、遅すぎなんだよ」
「今は冬だし皆隠れてるから、集落も見つけにくいのさ。すぐ出発できるって。春も近いし」
「さすがに長く留まりすぎた。これ以上ここにいるのは危険だと思う。じいさんがいない間に荷物も増えたし」

 トルヴァは楽観的に笑った。

「積み荷と食料半分ぽっちの盗みをする小悪党に、地の民が本腰入れるかぁ?そんなに暗くなるなよ」
「気付かれてからじゃ遅いんだよ。もう少し深刻になれ」
「深刻な顔ならできる。――こんな風に」
「ふざけるな」

 トルヴァの顔芸のせいで、フェンリルは危うく荷物を落としそうになった。
 彼らがここに未だ留まる二つ目の理由。
 それは彼らの長たる老人が二月前に、戦利品をさばいてくると出て行ったきり、戻ってこないからだった。
 そうやって老人が彼らを置いて、一人でふらりとどこかへ行くのは良くあることだった。
 地の民アマリから盗んだ物の中には、彼らにとってどう使えばいいかわからない物や使い道が無い物が少なからずあって、そういった物は老人がどこかで別な物と交換してくるのだ。
 どこでそうしてくるのかフェンリルも知らず、そんな時はひたすら帰りを待つしかなかった。
 一人出かけ、戦利品を必需品に換えて戻ってくると、再び移動を始める。老人が戻らない間は、年長のフェンリルが子供らを束ねる役目だった。


【次話】

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【らくがきとか】

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