チェスガルテン創世記【9】
第二章ーーフェンリル【Ⅳ】ーー
彼らは馬以外の家畜を持たず、農耕も行わない。
そんな彼らの日々の命を繋ぐのは、狩りで獲った獣や魚の肉や、たまに立ち寄る集落で物々交換などして得た食料や物資。そして、地の民を襲って得た盗品である。
いつものことだ。
しかし、冬の時期にこんなに長く不在だったことはなかった。
巻いていた布を取り、フェンリルは頭を振った。
雪焼けを防ぎ、顔を隠すためとはいえ、布の内側に溜まった吐息の露は今や湿って不快である。
天の民の中でも珍しいとされる、柔らかな群青の癖っ毛を振りかぶったその顔は、まだ少年の域を出ていない幼さだった。
特別に麗しいとはいかないが、フェンリルの容姿は目を引くものがある。
鼻筋はとおり、ゆるく結ばれた唇は薄く形が良い。肌は日に焼けたことなど一度も無いように白くシミ一つない。こめかみや首筋などの青い血管の太さが透けて見えるほどだった。
一度として、喜びも悲しみも生じたことが無さそうな表情の乏しい顔立ちのなか、頭髪と同じ色の眼光はいやに鋭かった。
だが本人が放つ朴訥とした雰囲気のせいなのか、無表情に妙に馴染んでいた。
顕わになった青いくせっ毛を見やりながら、トルヴァがぼやいた。
「つくづく惜しいよな、お前って」
「なにが」
「目も青じゃなく、金色だったらなって。じいさんみたいにさ。それで風使いときたら、皆大喜びなのに」
「褒めてるつもりかそれ?だとしたら嬉しくない」
フェンリルは青い目をすがめた。
「そんな睨むなよ」
同じように布をほどいたトルヴァが、まっすぐでくせのない、硬い銀髪をかきあげた。
熱のこもらなそうなフェンリルに対し、トルヴァは明るい印象の凛々しい少年だった。眉尻はきりりと持ちあがり、程良い肉厚の口元は常に、自然と笑みの形を作っている。
フェンリルと同じ青い瞳はくっきりとした二重であり、短い夏の爽やかな晴天を思わせて、若者らしい生気に溢れていた。
「お前の天王様嫌いはよく知ってるけど、ほとんどの天の民がきっと、おれと同じことを言うに違いないんだから」
「やれるもんなら、くれてやりたいよ」
「フェンリル!」
悪態をつき合う二人の間にするりと、割って入った者がいた。
あちこちはねる濃い金髪の少年で、トルヴァが盗みを行った五人の中では一番背丈があるのに対し、もっとも小柄な人物だった。
俊敏と言うよりも落ち着きが無い足取りで、彼はフェンリルに纏わりついた。
「なぁなぁフェンリル、一番大きい積み荷はオレに運ばせてよ!」
「ダイン」
ダインは返事を待たずに鼻息も荒く積み荷を抱えあげた。
お伺いを立てはしたものの、きらきらとした晴れた日の湖面のような淡い水色の瞳は、ダメと言われるなど微塵も思ってはいない。
ダインを連れていくのは今日が初めてだったが、この騒がしい少年にしては忍耐強く、言うことを守っていたほうだった。
トルヴァが積み荷の重さによろけるダインを見て、にやにやとした。
「ちびには重いんじゃないか?」
「言ってろでかぶつ! オレが運ぶから、もらってもいいだろ? な? フェンリル」
「いいよ」
フェンリルが許可するとダインはたちまち破顔して、一足先に洞窟の暗闇へと融けていった。そして途中でふりかえり、トルヴァに舌を出すことも忘れなかった。
「……甘いんじゃねぇのぉ」
フェンリルとトルヴァの背後から不服そうに呟いたのは、かぎ鼻の少年だった。
まるで鳥の巣のようなくしゃくしゃの金髪に、そばかすの浮いた肌。暗い紫色の垂れた目じりは、優しいと言うよりもいじけているようで、野暮ったい印象が強かった。
「ボズゥ」
フェンリルが呼ぶと、ボズゥはじとりとねめつけてきた。
「でかい積み荷ひとつだろぉ。あいつが一人じめしちまっていいのかよぉ」
ボズゥは誰よりもくせの強い金髪を、ぐしゃぐしゃにかき乱した。
「手元にあるのは今だけだ。好きにさせればいいだろ」
「それが甘いってんだよぉ。ただでさえあいつ調子に乗ってんのに、これ以上――」
「見せびらかしたいだけでしょう。年下相手に、何むきになってるの」
そこへ更にたしなめる声がかかった。
トルヴァの次に背が高く細身の、狩りあげたような金の短髪。
つり上がった金色の眼差しは誰よりも鋭く、話しかけるのに一瞬、ためらいが生まれる雰囲気の少年である。
しかしその実、口を開いてみれば落ち着いた調子で喋る、この場では唯一の少女なのだった。
自分の隣に並んだ彼女に、ボズゥは舌打ちした。
「うるせぇなぁ、ヘルガ。女はひっこんでろよぉ」
「自分の手柄にできなかったからって、ひがまないでくれる?」
少女にしては低い声音でヘルガは言い返した。
ボズゥは彼女をせせら笑った。
「ひがんでんのはそっちだろぉ、お前は今回奇襲には加わってないもんなぁ。ダインにいつもの役目を奪われてさぁ。
あの地の民達を、馬車から引きずりだす時になってやっと出番が回ってきたけど、それまではずっと、馬のお守りだったしぃ」
「ダインはまだ小さいし慣れていないから、もともと馬を隠したら合流することになってた。そういうあんたは何? 自分より小さな子供を、必要以上に脅してたでしょう。ぼそぼそと陰気なちぃぃっさい声で。
あの時のあんた、気味悪いったらなかったよ」
始まった、とフェンリルとトルヴァは横目に視線を交わし合った。
この二人の険悪なやりとりは良くあるどころではない、当たり前の光景だった。顔を合わせればまず、お互いに黙ってはいられないのだ。
「なんだ、同情してんのかよぉ? 地の民のガキにぃ? お優しいこったなぁ」
「同情なんてしないよ。ただあんたみたいに、自分より年下で弱い者に偉そうにふるまう奴は、どこに行ってもうとまれると言っておきたいだけ」
「お前だって一緒だろぉ。そうやっていちいち突っかかってくる女はうっとうしがられるぜぇ、少しは慎みってものを覚えろよぉ。
でないと将来嫁にいけないどころか、逆に嫁を貰うことになるからなぁ、この男女ぁ。あぁでも、嫁になる女の方にだって、選ぶ権利はあるかぁ」
「もう一度言ってみな」
ヘルガのもともとつり上がっている双眸が細められた。そうするとより一層、彼女の眼光は鋭さを増す。
「やめやめ! いい加減にしろって!」
一触即発の空気を打ち破ったのはトルヴァだった。
「なんだってお前らそうなんだよ。いつもいつも、飽きもせず」
「「だってこいつが!」」
声をそろえて二人がトルヴァに顔を向けた。様子を静観していたフェンリルは、ようやくここで口を開いた。
「――ボズゥ」
低い声で名前を呼ばれてボズゥはびくりとした。
「お、おれは本当のこと言っただけだろぉ!」
フェンリルは一瞥しただけだったが、叱られる気配を素早く察して、ボズゥは渋々言葉を絞り出した。
「っ……わるかったよぉ、これでいいだろぉ!」
「ヘルガもだ」
ヘルガは、どうして自分が?と言う顔をしたが、無言の圧を受けてばつが悪そうに呟いた。
「言いすぎたと思う、ごめん」
「ボズゥに言え」
二人はしゅんとなって肩を落とした。しかしフェンリルが背を向けると、互いにこっそりと睨み合った。
フェンリルもトルヴァもそれには気付いていたが、これ以上は何も言うまいと決めていた。諍いのたびに止めていてはこちらの身がもたない。
ダインに続く形で洞窟へ進むと、留守番を任されていた残りの子らの話し声が聞こえてきた。歓声を上げているのはダインの妹のロッタだろう。
奥までたどり着くとわずかな火明かりの元、ダインが大きな身ぶり手ぶりで自慢しているところだった。
「見ろロッタ、このでっかいのオレがとったんだぜ! 地の民の野郎はオレを見て、腰抜かしてやがった!」
「にいちゃますごーい」
兄を疑うことを知らないロッタが、ダインと同じ薄い水色の目をきらきらさせて、見上げていた。
「すごいねぇダイン」
その隣では目蓋を閉じた小柄な少年が、ダインがおろした戦利品に手を這わせていた。
もう片方の手には火の灯った油皿を掲げていたが、それは、ちいさなロッタのための灯りだった。
この少年自身に、灯りは意味がなかった。盲人なのだ。
「お前も持ってみろよルクー」
ダインに押しつけられた戦利品を、端から端まで撫でて、ルクーは柔らかく微笑んだ。
「初めてなのに、こんなに大きな物を手に入れたの?大手柄だね」
素直な賞賛にダインはふんぞり返った。背後から、トルヴァが野次をとばした。
「調子のって荷物を落とすなよダイン。割れものが入ってたら手柄はおじゃんだ」
「おかえりなさい。ヘルガとボズゥはまたけんか?」
まだ姿の見えない二人の様子を言い当てたルクーに、フェンリルは小さくため息をついた。
「ルクーを連れていったほうが、静かでいいかもしれないな」
「ぼくはどうしたって足手まといになるよ。馬番くらいしかできない」
「え、おい、やめてくれよぉ、おれは留守番なんてなんてごめんだぞ! ロッタの子守りまでおまけされるだろぉ?」
慌てて割り込むボズゥをトルヴァが笑い飛ばした。
「誰もお前を置いて行くとは言ってないと思うぞ」
トルヴァに続き、ヘルガもここぞとばかりに便乗した。
「こうるさい自覚あるんだね、陰険そばかす」
「陰険そばかす、陰険そばかす! 根暗のボズゥ!」
「きゃははは!」
そこに兄妹の野次が加わり、洞窟の壁にロッタの甲高い笑い声が反響する。
「てめぇブス! 男女言われたこと根に持ってんだろぉ!」
「ダインもロッタも、そんな風に人のことを言っちゃいけないよ」
笑い転げる兄妹をルクーがいさめ、顔を真っ赤にしたボズゥはヘルガに再び食ってかかろうとしていた。
フェンリルとトルヴァは、そんな二人をそれとなく引き離して荷運びを続行させた。
移動中フェンリルが払いのけてきた雪が、今や重く水気を含んだ物に変わりだしている。このような日は、夜の支度を早めてこもるに限るのだった。
まだ雪深い季節、本来なら彼らもほかの天の民にならい、冬の野営地でひっそりと春の芽吹きを待つのが当然だ。
だが彼らは皆何らかの理由で寄る辺を失った子供達であり、そういった集落での仕事や取り決めなどは意味を成さなかった。
若い彼らを身内として引き入れたいと言う集落もある。
けれど彼らにとっての長にあたる老人が、いずれの申し出にも良い返事をしないため、今のところはどこにも属さない流れ者の生活だった。
全ての荷物を運び終えると、フェンリルは二、三度手を打った。
「ほら、今日はもう飯にするぞ。食ったら片づけてさっさと寝る」
「えぇ―――!」
ダインとロッタが声をそろえて叫んだ。うるさい盛りの兄妹はまだ眠くないと訴えたが、それを制してフェンリルは続けた。
「荷物は明日ほどいて確認しよう。多分今夜は荒れる。明日も吹雪くかもしれないから、俺は馬の方で寝る。何かあれば声をかけろよ」
各々返事をしながら作業に執りかかった。
フェンリルは馬の天幕に火種と寝床用の毛皮を持っていき、トルヴァとボズゥは洞窟の入り口を雪で狭めて固めていった。ヘルガはダインと運んだ荷物を整えて、眠れる場所を確保する。
ルクーは器用な手つきで魚の干物をほぐし、豆と一緒に鍋にいれて煮立てた。
その隣ではロッタが、火加減をルクーに伝えながら今日の襲撃で手に入れたパンを人数分に割っていく。
それぞれが作業を終えてから、スープとパンの簡単な食事をとりかこむ。大きな荷物が多かったため、膝を伸ばすのがやっとの狭さだった。
馬の天幕で早めの就寝につく頃、フェンリルは老人がいつ戻ってくるのだろうとぼんやり考えこんでいた。
(次に戦利品をさばきに行く時は、おれもついて行くと言ってみよう。これだけ放っておいたんだ、駄目だとは言わせない……)
ガキを連れていてはなめられると、かたくなに拒否し続ける老人の眉間のしわを思い出しながら、フェンリルは眠りについた。
結局その日も翌日も、老人は戻ってこなかった。
【次話】
【小説まとめ】
これまでとこれからと
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【らくがきとか】
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