見出し画像

帰国 別れの時

今から30年以上前 南米パラグアイ

任期が満了して、帰国の時がやってきました。

村の人たちが口を揃えて
またすぐ帰って来てくれるんだよね?
いつ帰って来られる?

と聞いてくるので、
飛行機で38時間だからいつでも帰ってこられるよ。
と答えました。

私自身、ずっとここで一緒にいたいと思いましたし、
苦楽を共にした家族でしたから、
別れの時はとてもつらく寂しいものでした。

正直この時期の私は、迷っておりました。

日本に帰国してすぐに移住して彼らと共に生活したいという気持ちと、
前回述べたように、私がいつまでもここに居ては、
私に依存してしまい、彼らの為にならないという気持ちで
とても揺れておりました。

気持ちを整理することが出来ないまま、帰国の途についた訳です。

ですから、彼らに対して「すぐ帰ってこられるから」とか
「すぐ帰ってくるよ」といった返答になってしましました。

もしこの時に「さよなら」と言おうものなら、
決して彼らも私を離してくれなかったでしょうし、
私もつらすぎました。

ですから「さよなら」は言わず、
「またくるからね」という言葉を言ったのでした。

しかしながら、この別れの時にも不安だらけで、
「しっかりやっていけるだろうか?」
「居なくなって大丈夫なんだろうか?」とばっかり考えてしまい、
帰国してから、ごく最近に至るまで思い続けておりました。

一人立ちするにはこういう時期を乗り越えなければならないということ。
いつまでも親は生きていないのだから、
必ずこういう時期を乗り越えなければならないということ。

見る人から見れば、むごいとか身勝手だとか冷たいと
思われるかも知れませんが、
これでよかったのだと、自分自身に思わせていました。

手紙も届く場所ではありませんし、
当然電話も無いので連絡のつけようもありませんでした。

あれから30年以上の歳月が過ぎました。


マルティンとたくさんのお孫さん

世の中のグローバル化の流れは南米パラグアイへもおよび、

なんと!
あの頃の子どもたちから、Face bookのチャットにて連絡が!

フィデリーナとあの頃の子供たち

それぞれ家庭を持ち、それぞれの素晴らしい人生を送り、
すでにその子どもたちも素晴らしく立派に育っています。

いやいや 
みーんな 今の私よりもずっといい生活レベルですよ(苦笑)

実は、恥ずかしながら、失った農場をもう一度復活するぞって
気持ちにさせてくれたのが 彼らなのです。

私も負けないように 頑張らねば!
そう思いながら 日々を過ごしてます。

南米パラグアイ時代編 おわり

怒涛の帰国後編へ続く


クラウドファンディング残り14日!


クラウドファンディング
ただいま142人の方にご支援頂いています。

よろしければ下記リンク内容をお読みいただいて
これは応援したい!って思って頂けたら、

ご用意させていただきました返礼品を
みなさんが購入していただくことで、

農場復活・再生への未来が開かれます!
ご支援と応援をぜひ! シェア・拡散もぜひ!

よろしくお願いします。

#しゅりたま   #放し飼い養鶏   #放し飼い卵   #地域振興  
#三原村  #クラウドファンディング #高知 #青年海外協力隊 #開拓物語 #移住


この記事が参加している募集

自己紹介

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?