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ルーデンス的学習を模索する・読書編集

ルトガー・ブレグマンの著作、『Human kind・希望の歴史(下巻)』の第14章「ホモ・ルーデンス」の内容を編集した読書ノートをつくってみました。ネタバレを含みます。単なる要約にならないようにしました。

著者のブレグマンは、教育についての文献を読み漁るなか、厳しい現実を認識した。
子どもたちの内発的動機が組織的に抑え込まれているのだ。
ホモ・ルーデンスとは、「遊ぶ人」を意味する。人間のありとあらゆる文化は遊びによって生まれたのである。人間の本性に深く根差している行為が遊びである。
ホイジンガの古典的名著のタイトルである「ホモ・ルーデンス」はある目的意識からも書かれている。それは現代社会において、遊びが退廃しつつあるという危機的意識である。
「大人は、(中略)無限とも思えるような活動で、子どもの時間を埋め尽くした。(p103)」と著者のブレグマンは述べる。
日本においても、状況は同じだろうか。
ブレグマンがその活動として挙げるのは、
宿題や運動競技、音楽、演劇、個別指導、模擬試験。
日本を見るなら、受験塾も、その活動に入るだろうか。私にはそう思えなくもない。内発的動機であるならば違うかもわからないが。
最新の脳科学研究の知見からすると、特に子どもにとって、遊びは脳の発育を促し、脳の成育にとっても、身体にとっても欠かせないものであるという。(出典・https://youtu.be/keIl1nMAfVY?si=tpggVwbZc2a2d6X3
そして、著者も述べているように、遊びとは、広い意味で捉えられる。
好奇心によって、調べ、発見し、試し、創造するもの。本人にとって、報酬などないか眼中にないし、親や教師が立てた計画に沿うのでもない。その活動自体を楽しむために行うもの。
そのすべてが遊びであり、学習である。
それは側から見ると、一見無駄な時間を過ごしているように思えるかもしれない。しかしそのことがポイントである。ワイアード創刊編集長、ケヴィン・ケリーがいうように、「何かを発見したり、創造し、極めたり、本当に偉大なものが生まれるのは、一見無駄な時間を過ごしているときや、目的もなく過ごしているときだ。執着には大きな力がある。(筆者が大意を汲んで内容を編集している)」
これは、まさに遊びの創造性について言及していると言えよう。
いまや世界の最先端の学習スタイルとして認識されつつあるプロジェクト学習も本質は遊びにあるのではないだろうか。何事も真剣な遊び感覚で学ぶことの大きな可能性である。
この14章の冒頭は、「子どもたちから遊びと自由が奪われている。」という言葉で始まる。「子どもにとって最も重要な権利とは、もしかすると、遊ぶことの自由であるのかもしれない。これからは遊びを人権として捉えてみてもいい。(そのようなことを言っている人がいた。どこで記憶したかは忘れた。私の独自のアイデアではない。)」
最近、自分が卒業した小学校で、運動会の練習をしているのを見た。ソーラン節を踊っていた。私は小中学生の時、運動会が嫌だった。
本書を読むと、内発的動機と教育はどう手を取り合えるか、もっと自由な学びの姿を描けないだろうか、その将来像にも考えが及んだ。


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