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発見の喜び・日常を驚異と感嘆で彩る

イングランドの哲学者、フランシス・ベーコンの言葉に次のようなものがある。
略して書くと、

「驚異および感嘆を求めること」

日常生活のなかで、今までわからなかったことがわかる瞬間、小さなことでも何か大切なことを発見する喜び、日常の風景や世界を今までとは違った、新しい視点でみることによって得られる新鮮な喜びと感動、そして気づき。
世界を三秒前、あるいは、昨日よりも新しい視点で捉えようとすること。

こうした発見の積み重ねで日常を彩ると、それは知的生活となる。

人類の歴史は発見の歴史と言える。

学ぶことの喜びとは、発見の喜びでもある。

知的な刺激とは、高尚なものであるとは限らない。

それは、精神の奥底から湧いてくる喜びである。

ストア派哲学者のセネカがいうように、それはまじめなものである。

一方で、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』という書物があるように、人間の創造性や文化の本質は、遊びにある。

ただ、その遊びは真剣な遊びである。真剣な遊びはやがてなにか偉大なものを創造するだろう。歴史的に発見のルーツには遊びがある。

超知能が登場し、シンギュラリティが到来した遠い未来。
そこでは、人間は、真剣な遊びによって文化を創造し、超知能と人間が手を取り合って、発見の喜びと豊かな遊びを追求しているのかもしれない。

発見の喜びは人生で最大の楽しみである。それは、偉大な先駆者の著作に埋もれていることもあれば、われわれの生きる世界そのものに嵌め込まれていることもある。発見はシェアされ、皆の財産となる。noteという言葉には、本来、「気づく」という意味があるように。




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