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なぜ戦後日本演劇作品に描かれた「朝鮮人・韓国人」に注目するのか?
*筆者が戦後日本演劇作品に描かれた〈朝鮮人・韓国人〉の分析を行うようになった経緯をご紹介
韓国演劇との出会い
筆者が演劇を分析の対象として考えるようになったきっかけは韓国演劇との出会いにある。
筆者と韓国演劇との出会いは、筆者が韓国語を学ぶために三か月の日程でソウルに滞在した1986年の夏にまで遡る。当時は延世大学校韓国語学堂の初級に入学した時だったので、じつは韓国語をまともに聞くことも話
「日・韓現代演劇交流(抄)」(後編)
1980年代の日・韓演劇交流
日本演劇と韓国演劇とのあいだの演劇交流が本格化したのは1980年代だが、これは交流チャネルの多様化が大きく寄与したと考えている。これまでの個人あるいは劇団単位でのチャネルのみならず、国際演劇祭や国家的文化事業という公的チャネルが日・韓間の交流を促進した。また交流活性化の背景として間接的には鄭大均(1985)の言うように、韓国に対する日本社会の関心が政治的関心から文化
「日・韓現代演劇交流(抄)」(前編)
はじめに
本稿は日本リアリズム演劇会議事務局の発行する雑誌『演劇会議』(171号・172号・173号)に連載した『日・韓現代演劇交流抄』を演劇会議事務局の了承を得てnoteで公開するものである。再掲にあたっては演劇関係者以外の読者のために既出原稿に加筆した。
本稿は1945年以後の日本と韓国の間で実践された多様な演劇交流の足跡を簡略に紹介することを目的とする。本稿が扱うのは日・韓のあいだで戦後
「犠牲者としての朝鮮人」(1990~2005)
このリストは戦後日本演劇作品のなかから筆者がサンプリングした「日本人作家が執筆した戯曲で、朝鮮人あるいは韓国人の登場する作品」を舞台公演の順序で紹介するものである。第2期は「湾岸戦争」で幕を開けた1990年から、本稿の終点である2005年までの約15年間をいう。第3期を「犠牲者としての朝鮮人」とした理由は、この時期の作品には朝鮮人あるいは韓国人を「犠牲者」として描く傾向が強くあらわれたためである。
もっとみる「対立者としての朝鮮人」(1965~1989)
このリストは戦後日本演劇作品のなかから筆者がサンプリングした「日本人作家が執筆した戯曲で、朝鮮人あるいは韓国人の登場する作品」を舞台公演の順序で紹介するものである。第2期は日韓基本条約を締結した1965年から、世界では冷戦が終結し日本では昭和が終わった1989年までの約25年間のことである。第2期を「対立者としての朝鮮人」とした理由は、この時期の作品では朝鮮人を「対立者」として描く傾向が見られたか
もっとみる「協力者としての朝鮮人」(1945/8~1964)
このリストは戦後日本演劇作品のなかから筆者がサンプリングした「日本人作家が執筆した戯曲で朝鮮人あるいは韓国人の登場する作品」を、舞台公演の順序で紹介するものである。敗戦から東京オリンピックを開催した1964年までの時期は、朝鮮人を日本人の「協力者」として描く傾向が見られた。
第1期サンプリング作品リスト
サンプリング作品の朝鮮人表象における3つの変化
1945年の敗戦から2005年に至る約60