「おかやんの演劇講座」岡本昌巳

西江大學校大學院新聞放送學科博士課程単位取得満期退学/韓國演劇學會会員/介護職初任者/…

「おかやんの演劇講座」岡本昌巳

西江大學校大學院新聞放送學科博士課程単位取得満期退学/韓國演劇學會会員/介護職初任者/韓国語能力検定6級/冷房は人類の敵/丙申還暦 ( ̄^ ̄)ゞ

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なぜ戦後日本演劇作品に描かれた「朝鮮人・韓国人」に注目するのか?

*筆者が戦後日本演劇作品に描かれた〈朝鮮人・韓国人〉の分析を行うようになった経緯をご紹介 韓国演劇との出会い  筆者が演劇を分析の対象として考えるようになったきっかけは韓国演劇との出会いにある。  筆者と韓国演劇との出会いは、筆者が韓国語を学ぶために三か月の日程でソウルに滞在した1986年の夏にまで遡る。当時は延世大学校韓国語学堂の初級に入学した時だったので、じつは韓国語をまともに聞くことも話すこともできなかった。それでも「話のタネ」にと思って新村サヌリム劇場で朴正子(パ

    • 「対立者としての朝鮮人」(1965~1989)

      このリストは戦後日本演劇作品のなかから筆者がサンプリングした「日本人作家が執筆した戯曲で、朝鮮人あるいは韓国人の登場する作品」を舞台公演の順序で紹介するものである。第2期は日韓基本条約を締結した1965年から、世界では冷戦が終結し日本では昭和が終わった1989年までの約25年間のことである。第2期を「対立者としての朝鮮人」とした理由は、この時期の作品では朝鮮人を「対立者」として描く傾向が見られたからである。もちろん第2期の作品すべてが朝鮮人を「対立者」として描いたわけではない

      • 「協力者としての朝鮮人」(1945/8~1964)

        このリストは戦後日本演劇作品のなかから筆者がサンプリングした「日本人作家が執筆した戯曲で朝鮮人あるいは韓国人の登場する作品」を、舞台公演の順序で紹介するものである。敗戦から東京オリンピックを開催した1964年までの時期は、朝鮮人を日本人の「協力者」として描く傾向が見られた。 第1期サンプリング作品リスト サンプリング作品の朝鮮人表象における3つの変化 1945年の敗戦から2005年に至る約60年間に執筆あるいは上演されたサンプリング作品に描かれた朝鮮人・韓国人のイメージは

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