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【小説】 生あたたかい街

 低くて鈍い灰色の空の下に、ところせましと団地が建っている。そして、そのすぐ近くには巨大な工場がある。工場が吐き出すスモッグと、トラックから出る排気ガスで、この街はつねに生あたたかい。

 日の当たらない裏路地には、様々な店が不潔に並んでいる。欲望のままに積み上げられ、増殖していった建物は歪な怪物のようである。昼休みを告げるブザーが鳴ると、工場から労働者が解き放たれる。そして、油にまみれた労働者は裏路地に吸い込まれていく。 

 俺は、そんな裏路地のなかの店の一つ、定食屋の厨房で働いている。不衛生な厨房は、暑苦しく、そして悪臭がする。店には同じような背丈で、同じようにやつれた顔をした労働者が、入っては出ていき、出ていきは入っていった。店の厨房でせわしなく働く俺は、注文が入るたびに自我が失われていくのを感じた。脳の忠告もむなしく、俺はフライパンを振り続ける。そして、出来上がった塊を皿にぶちまける。これの繰り返しである。

 このままでは逆転してしまう。食い物に食い尽くされてしまう。このままでは逆転してしまう。歯車に組み込まれてしまう。

 昼の時間が終わると、労働者はのそのそと歩いていく。そして、口をあんぐりと大きく開けた工場のなかに入っていく。低くて鈍い灰色の空の下、この街は生あたたかい。





 この物語にはオチがない。もし、オチを探したいのなら、もう一度最初から読むといい。この物語にオチを見つけることができるだろうか?何度も、何度も、何度も、何度も最初から読むといい。いくら読んだところで、オチはない。

 もし、オチを求めているのなら、自分でオチをつくるしかない。自らの力で勝ち取るしかない。ただ読んでいるだけではオチが生まれるわけではない。

 オチがないと知りながらも、この物語を何度も、何度も最初から読み続けることしかできないと思っている人には、まだ諦めるべきではないと伝えたい。まだいくらでもオチをつくることはできる。

 ここまで言っても何度も、何度も、何度も最初から読んで、オチがあるのではないかと探したり、神様にオチがあると祈っている人には、オチをつくるということについても考えてみてほしい。

 そして、オチがないとも思わず、ただこの物語を読み、かつ、何度も、何度も、何度もこの物語を読み続けるということに何も感じない人に対しては、何もすることができない。オチを探せと言ったり、オチをつくれと言ったりするべきではないだろうが、いずれオチがないことに気付くときに備え、覚悟をするべきなのかもしれない。

 しかし、

 しかし、オチはそんなに重要だろうか?オチのない物語は価値がないのだろうか?オチなどなくたっていいではないか。そんなことどうでもいいではないか。物語があるという、たったそれだけで、十分素晴らしいことなのではないだろうか?


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