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【掌編】君はまだ泳いでいない

 僭越ながらY君が書いた演劇の脚本を読ませてもらいました。
 この脚本の主人公がY君の投影であるとするならば、君が現在考えていることや誰かに訴えかけたいことを偽りなく脚本に描けていたと思いました。また、世界から主人公に与えられた苦しみの描写から、Y君自身が普段から感じている鬱屈した想いが伝わってきました。


 さて僕がY君に聞きたいのは、この脚本に記されているたくさんの言葉は、本当にY君自身の言葉や台詞なのでしょうか、ということです。

 僕はこの脚本の中の出来事のほとんどが、Y君が自分自身を守るために名画や有名なアーティストなどの言葉を引用しているに過ぎないと感じてしまいました。乱暴な言い方かもしれませんが、誰かの言葉を借りて理論武装をしたつもりになって言い訳をしても自分を誤魔化しているだけにすぎません。もちろん良い作品もたくさんありますが、基本的に著名な作家や芸術家・音楽家はただ有名なだけで、その表現に100%の信頼を置いて身を捧げてはいけません。時間が勿体無いので肩書きや名声に騙されたり振り回されたりしないでください。

 自分が置かれている今の状況が辛くて、偉人の言葉やセンスの良さそうな音楽に救いを求めたくなる気持ちは分かります。それは誰しもがあることです。ただ救いを求めるのは構いませんが、決して過剰に救われようとはしないでください。どんなに良さそうな言葉や音楽に触れても、その表現によってこの瞬間自分が本当に感動しているのかどうかを常に疑い続けてください。無闇な陶酔は自己を曖昧なものにしてしまいます。

 登場人物の口から何度も発せられる様々な著名な作品の題名から察するに、Y君はたくさんの映画や本を知っているようなので、こう言ってしまうのは大変申し訳ないのですが、僕から見るとY君はまだ魂の奥底から震えるような作品や人物に出会っていません。もし既に出会っていたとしたら、それをちゃんと咀嚼しきれていないように思います。Y君の綴る言葉は誰かから借りてきたものばかりで、それはつまり自分の心の本当のことが分からないままなので、嘘すらもうまくつけていないように思いました。本当を知っているから嘘が分かるのです。


 脚本から伝わってきたのは、自分は他人から、または世界からこんなにも酷い仕打ちを受けているんだから、自分だって誰かを傷つけて構わないんだということでした。そしてその暴力性と加害性が自分よりもさらに弱い立場の人たちへと向いていて、僕はそこが読んでいてとても悲しかったです。

 無理に何かを愛そうとしないでください。たとえ親であろうと愛を与えなければいけないのかと葛藤してください。自分にとってその人が愛や優しさを与えるに値する人間なんだろうかと問いかけ続けてください。辛いけども葛藤することから逃げずに、些末な言葉やその場しのぎの振る舞いを引用して自分の気持ちに適当に折り合いをつけようとしないでください。

 そして、とにかく救われようとしないでください。脚本にあるように「こんなもんか」と諦めて手放そうとしないでください。君に必要なのは「こんなもんじゃない」と闇の中をあがき続けることです。どんなに良さそうな作品や人物に触れても、「俺をほんとうに打ち震えさせるのはこんなもんじゃない」と、もっともっと凄いものが世の中の何処かにはあると貪欲にもがいてください。でもそれは有名な場所や遠くの何処かではなくて、いつも歩いている道の途中にとあるかもしれません。だからしんどいかもしれませんが、いつも心を澄ましていてください。

 もしも心に余裕がある日は、過激な表現は何かを蔑ろにしていないか、また辛い立場に置かれている人の背景、どうしてその人が辛い状況に追い詰められねばならなかったのかなど、自分の目の行き届かないところにある誰かの気持ちを知ろうとしたり想像したりしてみてください。


 そうやってもがいている内にY君の魂や根幹が震えるような、涙が溢れ出て止まらなくて立っていられなくなるような何かに必ず出会えます。自分のことではなく誰かの痛みや苦しみがしんどくて震えて泣いてしまう日が来ます。そのとき闇の中に、そして恨んでいる世界に、少しの光のようなものが見えてくると思います。長くて辛い道のりになるかもしれませんが、その瞬間がやってくることを決して諦めないでください。

 小さな少しの光が見えて落ち着いたら、また自分自身の物語に向き合ってみてください。そのときに今とは違ったもの、見逃してしまっていたものがたくさん見えてくることかと思います。それは実は自分に向けられていたけれど気づけなかった近しい人の優しさかもしれません。また聞こえてこなかった誰かの痛みや叫びかもしれません。Y君が今は何の意味もないと思っている言葉の奥のさらにもっと向こうにいろんなものがあるのが見えてきます。そんなときに昔読んで感動した本を読み返してみるのもいいかもしれません。その本が本当に伝えたかったことが分かるかもしれません。
 心の中の温もりや新たな気づきを感じて、再び自分自身に向き合ってみたとき、この脚本が誰かの痛みに寄り添うような救いの物語に変わっていることを僕は祈っています。自分自身への救いの物語でも構いません。

 今はすべてが憎くて堪らないかもしれませんが、どうか優しさを忘れないでください。現状で自分が愛されてないことを言い訳にして誰かの尊厳を踏み躙らないでください。それを何よりも大切にさえしていれば、いつかきっと誰かが、または何かが、君の手を取って明るい方向へと導いてくれます。今は馬鹿みたいに思うかもしれませんが、それは確かなことです。


 脚本を読むことでその先にあるY君の気持ちを知って、考えるきっかけを得られたことを僕は感謝しています。ありがとう。
 しんどいかもしれませんが、どうやらこの世界にはこの世界しかないようなので、共にどうにかこうにかこの世界でやっていきましょう。たどり着いたその先で本当に美しいものを心の底から美しいと言えて、素晴らしいときをまっすぐに素晴らしいと一人でも多くの人と分かち合える世の中であってほしいと僕は願います。

 その時まで何度ももがいて、疲れたときは休みながら、やっていきましょう。

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