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随想(詩について)

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2023年9月の記事一覧

詩へ逃げるな ― 清水哲男さんのこと

詩へ逃げるな ― 清水哲男さんのこと
 
 清水哲男さんが亡くなられたということは、八木幹夫さんからのメールで知りました。数年前から、清水さんの体調がすぐれないということは聞いていました。それでもやはり動揺をしました。これまでのことがいちどきに思い出されてきました。
 ぼくが詩の世界から何度も逃げて、戻ってくるたびに、理由も聞かずに静かに迎えてくれたのは清水さんでした。だから最期にもう一度お会い

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飾らずに書く ー 茨木のり子さんのこと

飾らずに書く

 茨木のり子さんは僕にとっては特別な詩人です。なぜ特別かと考えた時に、茨木さんの『詩のこころを読む』(岩波書店)という本を思い出します。岩波ジュニア新書の一冊で、今さら言うまでもなくすばらしい「詩の入門書」です。その中に、僕の書いた「顔」という詩が引用されています。とてもありがたく感じています。載せてもらえたことに晴れがましい気持ちです。

 ところが、この本が出た頃(もう四十

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無名性の尊さ ー 茨木のり子さんのこと

無名性の尊さ 

誤解を恐れずに言わせてもらうなら、茨木のり子さんの詩というのは、朝起きて「今日は茨木さんの詩を読みたいな」という気持ちのおきるようなタイプの詩ではないのではないかと、思うのです。むしろ、日々の雑事の中でふっと詩が目にとまる、するとその目がそこにとどまって、どんどん引き込まれていってしまう、そのような詩なのではないかと、思うのです。甘そうなにおいや、人をひきつけるためのトリックなど

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「もっと才能を持った架空の私」 ー 石原吉郎さんのこと

「もっと才能を持った架空の私」

世の中には奇跡としか思えない詩集というものがあります。それはもちろんわたしだけがそう思っているわけではなく、多くの人がそう思うわけで、そういう詩集というのは、自然、みんなが知っている有名な詩集になるわけです。

それは、萩原朔太郎『月に吠える』であったり、中原中也『山羊の歌』であったり、北原白秋『邪宗門』であったり、清水哲男『水瓶座の水』であったりするわけです。こ

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「小さな動悸」ー清岡卓行さんのこと

「小さな動悸」

2006年の、とある月曜日、勤めから帰ってきて夕刊を開き、にわかに一つの訃報に目が行きました。清岡卓行氏の死去を告げていました。清岡氏はわたしにとって特別な詩人でした。私を戦後の現代詩に導いてくれた、二人の特別な詩人のうちの一人でした。黒田三郎、清岡卓行という名を思うたびに、未だに小さな動悸がわたしを襲います。その動悸は、十代の頃に中原中也や萩原朔太郎などの近代詩人しか知らなか

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詩とともに生きる

詩とともに生きる

 ぼくは今年七二歳になります。(2022年)驚きです。それはともかく、数年前からツイッターに文章や詩を載せています。その自己紹介には「詩とともに生きる」と書きました。なんだか気恥ずかしく、どこかで聞いたようなフレーズではありますが、さんざん迷ったあげくそれでいいのだと思いました。いろいろなことがあって、歳をとって、気を入れて再び

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「中年の詩誌」ー小長谷清美さんのこと

「中年の詩誌」

「生き事」を始めるときに、こんな詩誌にしたいという意味で頭の中にあったのは、同人詩誌「島」でした。かつて何冊か持っていましたが、今はもうどの「島」も私の部屋には浮かんでいません。長い日常の中で、一冊ずつ散逸していきました。ですからそれがどのような装丁であったかも、今は憶えていません。

1973年に、この雑誌は伊藤聚と小長谷清実によって創刊されました。若い人たちが寄り集まって

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