「中年の詩誌」ー小長谷清美さんのこと

「中年の詩誌」

「生き事」を始めるときに、こんな詩誌にしたいという意味で頭の中にあったのは、同人詩誌「島」でした。かつて何冊か持っていましたが、今はもうどの「島」も私の部屋には浮かんでいません。長い日常の中で、一冊ずつ散逸していきました。ですからそれがどのような装丁であったかも、今は憶えていません。

1973年に、この雑誌は伊藤聚と小長谷清実によって創刊されました。若い人たちが寄り集まって、日がな一日熱く語り合い、その中なら生み出された同人誌ではなく、もっと静かなところで、おとなしい中年の男が恥ずかしげに出した詩誌でした。

ところでわたしは、小長谷さんの詩はもっと読まれてよいのではないかと、思うことがあります。人はどうでも、自分が読み続ければいいではないかと思うものの、どうしても、もっと読んでもらいたいとおせっかいにも思ってしまうのです。もし目の前にいる人が小長谷さんの詩を知らないのなら、「ここにこんなに素敵な詩がありますよ」と差し出したいのです。

小長谷さんと初めてお会いしたのも、辻征夫さんとお会いした同じ受賞記念パーティーの時でした。ただ、その後の人生で辻さんとたびたび会うことになったようには、小長谷さんと会うことはありませんでした。その後たった一度、何かの集まりでご一緒した記憶はありますが、長い時間一緒に話をしたことはありません。

ただ、ひとことだけ憶えている小長谷さんの言葉があります。「松下さんの詩を読んでいると、昔の僕を思い出すんですよ」。

そのひとことでした。どこを、どんなふうに思い出すのかを、詳しく話してはくれませんでした。ただなんとなく似たところがあるのではないか、ということだったのかもしれません。しかし、こんなわたしも、自分の一部が小長谷さんのどこかとしっかりとつながっているのだという、ぼんやりした思いは持っていました。そしてその思いは、わたしをホッと温めてくれるものでした。

かつて、わたしとどこかでつながってくれていた素晴らしい詩人がこの世にいました。だったらその力で、わたしにも、せめてもう一篇の詩が清らかに書けるかもしれません。

✳︎

小航海時代      小長谷清実

大きな籠にゆられゆられて
水たまりの海を決死の小航海

足の方からは水 なまぬるい水
爪のあいだや皮膚のシワをつたわって

四月のように十月のようにとりとめなく
からみつきからみつきからみつく

その境遇を非常に不快に
不快に感ずる子供とネコ わたしたち

いっぱいある窓のひとつに
目をすりよせて三十余年の小航海

見えるかぎりを見ようといらだち
いらだちいらだちいらだつうちに

瞼にかすみ波うつ屋根 笑い転げる灯り
白っぽく水っぽくひろがる夢十夜

窓いっぱいに目いっぱいに
だんだんはっきりしてくる喜望峰……

去年は円形脱毛症 今年は原因不明の皮膚湿疹
だんだん欠乏してくる生野菜や何やかや

大きな籠の危機 大きな籠の危機
海はますます卑小に不毛に

たよりなさ そのたよりなさが土用波を呼び
大きな籠を日曜の方へぐらり傾け

子供とネコ わたしたち レタスのように
ごろごろ転がり転がり転がって

いっせいに籠のへりにシッカとつかまる
人間は指で ネコは指から爪をだして

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