探究をやっていたかも?
2022年から、高校で「総合的な探究の時間」が本格的にはじまったみたいですね!(いま、知りました)
【探究】という言葉は、あまり使ったことはなかったですが、結婚後の私の人生は、たぶん 探究にあふれていました(苦笑)。
探究の内訳は?というと
①人間関係の探究(家族もふくむ)
②生き方、人生についての探究
という、よくある悩みと 隣り合わせの 命題です。
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例えば、LGBTQのような性のことや、うつ病とか〇〇ハラスメントなど、長年 答えが出なかったことに対しても、
今は 時代の方が追いつき、広く認められるようになってきたので、
偏見も減り、楽になった方も 多数 いらっしゃると思います。
かならずしも、生きている間に、解決することばかりとは
限りませんが、
それでも、かつて、葛藤し続けた、無名の先人たちは、涙を流して、両手を上げ、飛びはねて、よろこんでくれていることでしょう。
『私たちの探究は、けっして 無駄ではなかったんですね』と…。
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私の場合はというと、目的意識をもって「これを探究するぞ!」と考えたことは一度もなく、むしろ 探究せずにいられないほど、婚家の人たちの価値観や矛盾の、理由を知りたいという気持ちが強かったのでした。
探究とは、基本的にひとりでやるもので、最初はヒントを探しまくりました。それは、あそぶより、優先事項でした。また、うっかり誰かに相談でもしたら、自分の納得いかない回答にでも甘んじて、探究をやめてしまっていたかもしれません。
初期のころは 知識の獲得や分析が多かったのですが、途中からは、
仮に答えがでなくても、精一杯やると自己満足したり、
仮説をたてるのがうまくなったり、ある部分は諦めたり、
今は保留にすることで、時間が解決したこともありました。
一言でいうと、【問題解決能力があがった】のだと思います。
これは、わたしの人生に、大きな自信と、安心をもたらしました。
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いちばんラッキーだったことは、私には先生がいたことです。
これに尽きます。
先生は、さかなを与えず、さかなを採る方法を教えます。教え方も基本だけで、あとは自分で考えるしかありません。私は気が弱く、自信がないほうなので、積極的になど、話しかけられませんでしたが、
それでも、先生の存在は、最大級に私を勇気づけ、励ましてくれました。
先生曰く 『師は、求めれば、出会う』 んだそうです。
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noteは、2か月前に始めて、まず、自分の経歴や過去を書き始めたとき、
【人様に、何もお話しすることのない自分】に直面したわけですが、
今これを書きながら、
(私が長年人知れず、続けてきた探究も、もしかしたら、すこしは
人類の進化に貢献したのかも?)と、はじめて気づいた次第です。
きっかけを下さった、Pはかせ@探究横丁プロデューサーさま、
まことに、ありがとうございました。
https://note.com/tankyuu_yokochou/n/n19052089beb4
最後までお読みいただきました皆さま、まことにありがとうございました。
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