国連女性機関が広告掲載の意思決定機関となる場合、広告制作の過程ではどこに審査を配置するのか

「月曜日のたわわ」について、今度は広告制作の現場の視点で考えてみます。

「月曜日のたわわ」の話を続けてきました。私は、国際機関が条約の締結国の公権力に対峙する構造で、広告表現を媒介し道徳的規範を及ぼそうという際のその構造そのものを問題があると考えています。
 まず、国際機関としての国連女性機関が条約の締結国の公権力を道徳的規範を及ぼす目的で縛るようになっては、ポストコロニアル的視点からの問題があります。また、国連女性機関が、例の記事(※1)で要求したように、その「アンステレオタイプアライアンス」に加盟した企業の広告掲載の意思決定機関として介在するようになった場合に、国際機関としての権力の性質によっては、公権力的な力による事前抑制的様相が生まれるのではないかという問題もあります。
 前回までは上のようなことを述べてきましたが、今度は視点を変えてみます。私はデザイナー・アートディレクターだったりするので、現場目線で気になることがあります。もし国連女性機関がそのような広告掲載の意思決定機関となった場合、広告制作の過程のどこにその審査を配置するのでしょうか。またその「意思決定機関」という企画自体が実現可能な計画となるでしょうか。ここでは、あくまで推測に過ぎませんが、考えてみたいと思います。

国連女性機関による審査が配置されるタイミングは?

業界の仕事の手順の慣習的には、制作者サイドはカンプが完成した時点で、クライアントと(おそらくクライアント経由で)意思決定機関である国連女性機関からアプルーバルを取らなければならなりません。国連女性機関による審査が配置されるとしたらここでしょう。クライアントからは、この時点で国連女性機関にアプルーバルのための申請を提出することになると思います。
 そして、審査結果によっては掲載却下になります。すでに、国連女性機関による審査のシステムがあれば、今回の「月曜日のたわわ」の広告は、掲載却下になっていたと考える方が自然なはずなので。コメントによってはゼロからやり直し、あるいは修正、その後に掲載。だいたいそのようなイメージでしょう。
 また、広告のデザインについて、クライアントと国連女性機関のチェックが入るとなると、実務的にはダブルクライアント的な状況になるのではないでしょうか? 広告でも、キャラクターコンテンツを使用すると、元々のクライアントとキャラクターコンテンツの版権元のチェックが必要になりますが、似たような状況になるのではないでしょうか?
 このように、あるブランドがあるキャラクターコンテンツのキャラクターを採用して広告や商品をデザインするとなると、ダブルクライアントになりますが、これが成立するのは、版権元も専門家として介在しているからです。ある程度デザインのスピードや仕事の過程がわかっているからですが、国連女性機関にはそういった知見があるのかどうか、その辺りは不透明です。広告代理店でも制作会社でもないので、広告についての専門的知見については期待はできません。
 国連女性機関が、広告掲載の是非の「意思決定機関」という企画は、一番そこが難しいと思います。審査するべき広告に対し、審査する人員はどの程度確保できるのかもわかりません。こういった審査過程を(デザイン業界から見て)緩慢なペースでやられると、納期近くにかなり時間がなくなって皺寄せくるのは現場のクリエイターです。
 行政の監視もあり改善も行われていますが、もともと徹夜や残業が多い業界です。その辺の事情に想像を巡らすと、広告やデザインの専門的な知見がない人々を審査過程を入れてしまえば、結局は、人権に関わる別の問題、つまり労働問題を発生させるのではないかという気がしてなりません。
 例えば、JAROからクレームが入ってCM等を修正する場合なら、納めてからの修正になるので、時間的にはまだ人間がする仕事として消化できると思います。そういう時間的な意味でも、広告公表の事前の審査に国連女性機関が介在するなど、クリエイターの労働環境を考えれば実現可能ではないと思います。デザイナー等の制作者も人間ということです。

国連女性機関による審査が配置される、もう一つのタイミングは

もし国連女性機関がその「アライアンス」に加盟した企業の広告掲載の意思決定機関となった場合、広告制作の過程のどこにその審査を配置するのか、もう一つ考えられるのが、カンプが完成しクライアントにアプルーバルを取るタイミングではなく、企画の段階からというのがあります。
 広告をデザインするには、通常なら、カンプが完成するまでにも企画の段階で打ち合わせが複数回あります。回数は内容にもよりますが、方向性やコピーを決めたり諸々あります(なお、あまり具体的なことを言うと守秘義務的にNGなので、ここでは教科書的なことに留めます)。
 でも、もし、広告の制作過程でこういった打ち合わせへの参加という形態で国連女性機関に「意思決定」の介在のされ方をされてしまうと、傀儡みが出てきて広告を打つ主体である広告主が誰だかわからなくなって来ます。そして、国連女性機関がこのようにして複数の企業の広告に介在すると、同じ機関による同じ主張の広告が増えていきます。程度の差はあれ、日中戦争から第二次世界大戦ぐらいの日本のマスコミが、論調の方向性を同じくしたあの状況と近似してきます。
 広告主にとって他者である国連女性機関が、その広告を間借りして主張をする構図になるのなら、国連女性機関が自分達で資金を調達して広告制作して公表するべきです。日本の広告業界は、国連女性機関のプロパカンダのために存在しているわけではありません。業界を利用する方が、より広く資金をかけずに主張を広げられるということはあるかもしれませんが、自分の主張をするためにそのようにして他者を利用するのはフェアではありません。

まっ先に影響を受けるのは現場のクリエイター

推測ばかりの話をして恐縮するところではあります。推測だけで物事を判断するのは良いと考えてはいません。しかしながら、このような自主規制機関が出来た際にまっ先に影響を受けるのは、現場のクリエイターです。私もどのような影響を受けるのかはわからないので、推測であっても考えないわけにもいきません。
 国連女性機関は自主規制機関とするにはどうにも不透明な部分があります。「アンステレオタイプアライアンス」の内容については、内閣府も知らず(※2)、「加盟をご検討いただける企業様」以外、概要や資料を送付してもらえないのだそうです(※3)。こういった不透明さも、現場のクリエイターとしては気がかりです。
 いずれにしても、ある権力が一つの方向に言論を向かわせるプロパガンダならば、私はデザイナー・アートディレクターとして警戒します。亀倉らが参加した「NIPPON」のような雑誌には、反省があります。国連女性機関の今後の動きは注視し続けます。

[注釈]

(※1)「国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長」/4月15日「HUFFPOST」記事(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6257a5d0e4b0e97a351aa6f7?utm_campaign=share_twitter&ncid=engmodushpmg00000004)
(※2)赤松健さんの2022年4月18日のツイート
(https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1516050135117041670)
(※3)「『月曜日のたわわ』広告問題~「学者先生」の悪あがき~」手嶋海嶺/2022年4月23日
(https://note.com/teshima_kairei/n/n3715cf765581)

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