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地震の備えは、最も最悪の事態を想定して…

小学校の先生で、2児の父、雄剛です。

8月8日の宮崎での震度6弱の地震、そして南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)があり、不安な毎日を過ごされている方がいるのではないでしょうか。

東日本大震災の記憶…

私は、東日本大震災の時には、関東圏の小学校に勤務していました。

ちょうど、帰りの会が終わって、子どもたちが下校する時間。その地域では、週末は上靴を持ち帰り、自分で洗うのが宿題でした。
「みんな上靴忘れなよー!洗うのを忘れると、臭くなっちゃうぞー!」
そんなやりとりをしていると・・・

「なんか、目の前がぐわんぐわんする…。ああ…。病気かな…?ああ、やばい、倒れる…。

いやっ、違う!地震だ!!」

窓がガタガタと震える音が響き、玄関前の水槽は左右に大きく揺れてこぼれそう…。そして、子どもたちの悲鳴…。一気に正気に戻り、地震であることを認識しました。

後で知りましたが、この時の震度は震度5強。そして、その後も何分かごとに震度5強、5弱程度の地震が繰り返し起こりました。

とにかく、窓の音がけたたましく響き、今にも割れそう…。とにかく、ガラスの近くから離さなければならないと思い、近くにいた子を全員グラウンドの真ん中に連れていき、座らせました。

そうやっているうちにも、何度もやってくる余震。低学年の子は怖くて大泣きしています。子どもたちも、先生も、どうしてよいか分からず大騒ぎ。でも、職員室から今後の対応の連絡がくるだろうと思い、指示が聞こえるようにとにかく静かに、落ち着いて待つように声を掛け続けました。しかし、グラウンドから見える職員室からはなかなか指示は出ず…。とにかくあたふたとしている様子だけが見えました…。

その後、40~50分くらいでしょうか?外で指示を待ち続けました。やっと出た指示は
「教室に一旦全員を戻す。全員保護者に引き取りしてもらって帰す。」
というものでした。

その後は、いったん子どもたちを教室に戻し、各家庭に一人ずつ電話を掛けました。もちろん、学校の電話回線では足りないので、携帯から掛けました。つながらない家庭も多数…。電話で連絡を取るだけで一苦労…。

それが終わると、今度は実際の引き取りが始まりました。全員、自分の教室で待機。保護者が、教室まで来て確実に引き渡しました。でも、ここで困ったことが…。
「この子、お隣の子なのでうちで預かりますか?」
「中学生のお兄ちゃんが迎えに来たんだけど、引き渡してしまってもいいのかな?」
「電車がストップしているから、おうちの人が迎えに来られるのがいつになるか分からない…。」
「お父さんが、出張中で迎えに来られるのがいつになるか分からないって…。」
いろいろあって、私のクラスは、全員を引き渡したのが21時頃でした。でも、クラスによっては23時頃になったクラスもあったとか…。さらに、他の学校では、避難所となり、先生方がその対応に追われたところもあったそうです。

東日本大震災の教訓…

〇最悪の事態を想定しておくこと!
当時勤務していた学校でも、避難訓練はしていました。集団下校訓練もしていました。でも、実際にこれほどの地震では、どちらも全く通用しませんでした。「先生でも、どうしていいか分からなかった…」というのが正直なところです。全く想定できていなかった…。だから、どう対応してよいか分からなかった…。引き取りの想定なんて全くしていませんでした。だから、引き取りの過程で出るいろいろな問題も、全く準備ができていなかった。だからこそ、今考え得る最悪の事態を想定して、準備をしなければ本当に災害にあった時には通用しないんだなと実感しました。

〇練習のための練習は通用しない…
グラウンドの真ん中に避難した時、泣き叫ぶ子…。震えている子…。そんな子たちがいる中で、しっかり指示を通さなければならない。それには、普段の避難訓練から子どもたちも先生も、「こういう災害は起こり得る!」という覚悟をもって臨む必要がある。避難訓練は、ただの動きの確認というよりは、「いつか災害は起こり得る。それを忘れてはいけない!」という心の準備をする場なんだろうな考えるようになりました。

釜石の奇跡!

東日本大震災では、歴史に学び、その教訓を生かすことで命を守った「釜石の奇跡」が有名ですよね。地震は止められません。でも、準備することで救える命があり、一人でも多くの子どもたちを守ることにつながるはず。宮崎の地震をきっかけに、もう一度見直して、準備をしたいですね。


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