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部屋とSNSと私

いきなり80年代の歌のタイトルを匂わせました😁
それには、理由がありまして、、、
わたし、SNS歴は長い方です。
それこそ、blogとか出来る前から交流していた
ネット友のような人がいました。
(昔話しを語るとオバサン丸出しになりますので
小出しにしますね💦)

最初は限られたコミニュティというか、自分のプライベートな内容に関連していた事との繋がりでした。
それこそ、ど素人の私にホームページに掲示板を設置してくれたり素敵な画像やら素敵なイラストを提供してくれたり、CGIなんて勉強してもちんぷんかんぷんなものを、このサイトわかりやすいよ。とか案内してくれたり。
(結局、仕上がらずに途中で依頼しました💦)
アフェリエイトやらビジネス的なことも、まあ、知識としては同年代よりは持っていたのかな?
オフ会をしたり、都内で集まったり。
仲良しだけでチャットしたり。
愚痴とかじゃなく、離れた相手とのコミニケーションの場所でした。

ブログが出始めた時は、なんて便利になったのだろうと感激したものです。
それでも、スポンサー的な広告は外す事はなかなか難しい世の中でしたが、それでも、一日中PCに張り付いていなくとも簡単に記事をあげて、ダイレクトに発信した反応がくるようになっている。
進化し続けてきているんですよね😊

その後、子育て等でブランクがあり、、、
完全に置いて行かれた感はありましたが。

思うに、リアル世界でのコミニケーションと同じようにSNSでも信頼関係で成り立つ事って、すごく多いのだと思うのです。
それは、今も昔も、違いはないのかな?と
思いたいですね。

Z世代と言われている若者たち。
限られた情報だけで、要らないものは最初から
検索かけないから知らなくていい。
そんな感じなのかな?なんて思いますが。
考えてみたら、それでいいのかもですよね。
(賛否両論だとは思うけど)
昔とは違い、情報の規模が膨大すぎるから。

文章の読解能力の欠如って、、、
たぶん、想像力の欠如と、イコールなのか?
そこはわからないけど。

私の中では、こんな風に思ってます。

⭐︎時間に余裕がない物事には、簡単な説明や
わかりやすい説明で、先を見越す言語がよい。

⭐︎癒しや安らぎや、余裕がある時には、芸術や創作も含めて、待つ事やゆとりや余白が有るのがよい。

これは、今、自分がどんな状況下にあるか?
どうゆう物を求めているか?
どんな風に好きを集めたいか?

これに尽きるのかなぁ?

恋愛とかと同じで、アプローチが下手だなぁ。
そう思う例も少なくないですよね。
自戒も込めて💦
プラスアルファの言葉が足りない例も
誤解に繋がるわけだし。
相手の嫌いな事でアタックしても、響かないのでしょうね。もう、それは生理的な好みの問題🤣
リサーチ力が高くても、状況合ってなかったら
暖簾にです。

深く追求したり研究したい分野は難解でも探すんでしょうが、それ以外の普通の人間関係ならば
「色々な人がいるよね〜」で良いような気もします。居心地よければ、得意な人に頼りつつ、相手の見極めをしながら行くのが良いですね♪

敢えての身バレ方式に近い形で、参戦しております。
(うん。目標なんですか〜?って思われちゃうね)
ちなみに、偶像としての理想のSNSでは
ギャップは、もう減らしたいかな。
水準としたら好みの水準であって欲しい。
(※断じて出会い・婚活ではないのです)

キッカケでしょうかね〜





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