見出し画像

『ドライブ・マイ・カー』小説と映画



小説も読んだし映画も観た。
どちらも素晴らしかった。

  • 小説 「ドライブ・マイ・カー」の感想

これまで私が読了したことがある村上春樹作品は、長編『ノルウェーの森』のみだった。

短編集『女のいない男たち』を読んで、なぜ村上春樹が世界中に読者を持つのかわかったような気になった。

男性の作家が、女性嫌悪に斬り込んでいたからだ。

短編集のタイトルに、ヘミングウェイの、”女性的なもの”を排除した作品と同じ名前を付けているのもかっこいい。



「ドライブ・マイ・カー」の妻と夫は、20年連れ添ったが親密な関係ではなかった。


もともと主人公の側が女(主人公にとっての女のイメージで、実在しないもの)を憎んでいて、その結果、リアルの女(妻)との心の距離がどんどん遠のき、女が去っていく話だ。

作品の最初に、主人公家福(カフクと読む。)の独自の視点であるかのように、運転についてのありがちなジェンダー神話が語られる。(『女のいない男たち』文春文庫 p19~21)

その神話をかいつまんで言うと、女性のドライビングは、いささか乱暴か、いささか慎重すぎるか、のどちらかだ、という”確証バイアス”である。

続けて家福は、人前ではこの話は不適切だと思われたからしなかった、とある。

彼は片目に緑内障が見つかったため代行運転手(みさき)を雇う。
その運転手は若い女性だった。
彼女のドライビングが家福の確証バイアスにかなわなかったので、家福は面食らうのである。


彼は自分の差別感情を自覚していて、不適切であるから隠そうとしていた。

家福が露悪的に差別感情を隠さない人間なら、妻も最初から惹かれなかっただろう。

一緒に暮らしてはじめて、妻は夫の女性嫌悪を知ることになった。

さらに妻にとって辛かったのは、夫が、生まれたばかりの赤ちゃんを失った悲しみに、一緒に寄り添うことができなかったことだろう。

生後数日で赤ちゃんを突然死で失ったあと、家福はもう一度子供を持ちたいと思っていたが、妻は持ちたくなかった。
夫は、口では妻の決断を尊重するような言葉を発するが、本心では受け入れたくないのである。

「悲しむ」ことを避けようとし、別の新しい子を持つことで、悲しみが消えると期待していた。「悲しい」「寂しい」などの感情を抑えていている…というより、悲しみを悲しめないまま時間が経ち、麻痺している。


彼女にとって、夫は共感してくれる他者になり得なかった。
そして復讐するかのように、妻はよそに男を作った。


……という絶望的な夫婦関係を描いているが、みさきとの出会いが、家福の生活に違った風を入れてくれたような、少しだけ希望があるラストになっている。

         🔸





  • 映画「ドライブ・マイ・カー」の感想

映画の方は、どちらかというと小説内で演じられている『ワーニャ伯父さん』が大きく取り上げられ、テーマも『ワーニャ伯父さん』に近いようだった。

家福の”確証バイアス”の外にいる女ドライバーが、悲しみの感情を受け入れ乗り越えるきっかけを教えてくれる。

『ワーニャ伯父さん』も、一方的に期待して貢いだ相手が支配できないことに苛立つワーニャに、若い姪が、悲しみを悲しんで、乗り越えるきっかけをくれるというストーリーだ。


それはそれでとても良かったけど、一つ、濡れ場において、私には未だ消化しきれない描写がある。

妻(霧島れいかさん)が、夫(西島秀俊さん)とのセックスで、イッてるような演出があったのである。

家福でも妻でもない側からの視点(アングル)で、妻のイッてるっぽい姿が映し出された時、見ていた私の中に疑いが出た。
筋書きに不自然さがある、と感じた。

ちなみに、この描写は原作小説には無い。

イッてるか、イッてないか。

これはとても大切な部分で、たとえ『ワーニャ伯父さん』にテーマを寄せたとしても、私は見過ごせない。

妻は他の男とも寝ているのである。
まるで夫に復讐しているかのように。

だから、夫とのセックスでイクのは解せないのである。

原作では、

二十年近くの結婚生活を通して、彼らは数えきれないほどのセックスをしたが、少なくとも家福の観点からすれば、それは満足のいくものだった。

『女のいない男たち』文春文庫 p38 ※太字強調は筆者によるもの 

とある。

妻の方はイッてなかったのであろう。
イった振りしていたのかもしれない。
(さっきからイクイクってうるせえぞ)

家福は妻の不貞を知りながら、なぜなのか理解できなかったし、理由を聞けなかった男なのだ。

それは、妻がセックスで満足しているのか判らなかったし、聞けなかったということなのだ。

家福が考える、子供の死を二人で乗り越えたというのも、妻の側からしたら、乗り越えてはいなかったわけである。





映画『ドライブ・マイ・カー』が素晴らしいのは、編集、俳優の演技の全てから、原作を超えてしまうほどの、
「妻は夫に復讐しようとしていた」
ことがハッキリと読み取れるからだ。

だから妻が家福とのセックスでイッている演出があると、「妻は夫に復讐しようとしていた」という筋書きに、乱れが出てしまうんじゃないだろうか…と思った。



こんな細部にマジになってすいません。

読んでくださった方、ありがとうございました。

(終わり)



この記事が参加している募集

読書感想文

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?