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【書き起こし】 文楽初心者が文楽の楽しみ方を沼人・三浦さんに聞いてみた。~後編~

「文楽妄想自由自在」書き起こしです。文楽に詳しい三浦さんと文楽ど素人3人衆の文楽への楽しみ方、憧れと妄想の脱線PODCAST番組の書き起こしです。(後編です)

【三浦】コーダさんの妄想はどういう方向に行ってますか?

【コーダ】わたしの妄想はね……

【笹村】妄想になりましたね。研究じゃなくて妄想になりましたね。

【三浦】いあや、妄想は研究の母ですので。

【コーダ】妄想過ぎるんですけど、一応ちょっと今回ネットで調べてみました。そのときに、「文楽は、人形遣いの人と太夫さんと三味線の方の三位一体の芸術だ」っていうふうに書いているものが多くて、その中で、太夫さんが全部ストーリーも語るし、お人形の、主人公とかキャラクターのセリフも言うし、その情景も語るしってことで、全部太夫さんが説明すると。
説明もするし、心情も語るっていうところで、「え? これってもしかしてアニメの声優さんと一緒じゃない?」っみたいに思ったんですよね。なんか、特にアニメの声優さんで上手な方とかって、子供の声からお年寄りの声から男女……境なく? どんな声でも出せる方っていらっしゃるんですけど、やっぱり太夫さんはそういうふうに声色っていうんですかね? 声の音を変えながら、色んな人の心情を語ってくっていう意味では、ものすごい上手な声優さんみたいなことなのかなっていうふうに思って。
これってもしかして日本人は文楽とか、そういう芸術からアニメ的な声優さんってことに、すごい慣れ親しんできて、かつ声優さんの上手か下手かとか、この人は素敵だとか人気があったりとかっていうところは、今のアニメの声優さんのファンとかと、実は似通ってるのかなと。そういうマインド的なところが受け継がれてきてたりするのかなって、ちょっと勝手に妄想しました。


【三浦】いや、そうかもしんないですね。確かに地語りっていう、今何が行われているかっていうのを語るし、あとそれこそセリフも、役割役割全部やりますね。ま、たまに何人か太夫さん出てきて……

【コーダ】あ! そうなんですね。

【三浦】それもあるんです。たまにですけど。そういうときありますね。「心中の道行き」みたいなのがあったとして、このときはこの太夫さんが男の人形のほう、こっちの人が女の人形で、あと能の地謡みたいに、全体でその情景を語るみたいなこともないことはないですね。
通常は、やっぱり1人の太夫さんと1人の三味線でやってますけど。たまにそういう段に遭遇こともあります。そうすると、結構だから盛り上がるとこっていうことですかね。その大団円に近づくようなときには、三味線が4~5人並んで、太棹を打ち鳴らして、こっちで太夫だけ4人ぐらいでやるっていうのもないことはないです。でも、基本的には1つの段を上演するのに1人の太夫さんは確かに全て浄瑠璃語りっていうんですかね。だから語りがけてっていうんですかね。そういうふうなかたちだから、声優さんの元祖かもしれないですね。

【コーダ】 なんかね。そういうふうにちょっと妄想してしまったんですけど、まさか2人も出ることがあるとは知らず(笑)。

【三浦】いやいや、それはだから。声優でも何々役と何々役があるじゃないですか。それと一緒だと思うんです。

【コーダ】ふーん、そうなんですよね。なんかちょっと、そういう構造的なところ? その人形遣いさんと三味線の方と太夫さんで、三位一体で、その心情をどんどん語っていくみたいな、ある意味とても濃いいなって思ったんですよね。なんか、歌舞伎とかだと、役者さんが出て、セリフとかいうじゃないですか。で、三味線の方は情景を唄ったりとかすると思うんですけど。もちろん浄瑠璃語りもあるのかな。ちょっと分かってないですけど、それと比べると、太夫さんと三味線と人形遣いで寄ってたかってお人形さんの心境を伝えるっていう意味で、ちょっと情念っていうんですかね、なんか語りが濃いいのかなっていうふうに、ちょっとまた想像してしまいました。

【三浦】あの、それを裏づけるような義太夫の言葉があるんですけど、情を語るから浄瑠璃なのだという教えがあるそうです。情、いわゆる感情の情。だからいわゆる情念ですよね。情念に満ちあふれてるじゃないですか。だから情をとにかく語るっていうことで、浄瑠璃なのだっていう。まあ、浄瑠璃の清は違いますけど。っていうようなのが、わたしの手元にあるあんちょこにあります。

【全員】あははは!

【三浦】だから情っていうと、色んな情愛とか愛情とか恩情とか心情とか色んな情が表れているものを、全て浄瑠璃の中で表現してくっていう、まあ、人形のもつ感情がああいうかたちで。まあ、歌舞伎とは違ってベタにではなく、太夫さんっていうものを通してこっちに語りかけてくるから余計ズッシリとくるのかもしれないですね。そこに太棹の……

【コーダ】ああ、そうですね。

【三浦】あの太棹の三味線って、ホント腹に響いてきますよね。ベーンっていうのが。

【コーダ】低音がすごい……

【三浦】そうですね。ま、低音もそうなんですけど、全体的に音が重くて太いんですよね。

【コーダ】なんか、全体的に長唄三味線より大きいと。

【三浦】大きいです。棹が太いです。

【コーダ】なるほど。寄ってたかって心情を……

【三浦】そうそう。それで、人形遣いは淡々とした顔でやってますものね。

【吉武】人形の隣に演者の方の顔がっていうのもなかなか慣れないというか……

【コーダ】確かに。初めは……

【吉武】歌舞伎とかが観慣れてると、もう1人というか、役者の顔が役じゃないですか。だから、なんか人形を動かす人と、後ろの人を意識せずに観るっていうことがまだ踏ん切りがつかないなっていう……

【三浦】そうですね。やっぱり人形遣いの有名な人、今でも何人もいますけど、そういう人が人形遣ってると、そっちの人の顔観ちゃいますもん。

【笹村】観ちゃいますね。

【三浦】「人形見ろよ!」っていう(笑)。

【笹村】人形とシンクロしてんのかと。

【吉武】表情とかどうなってるんだろう(笑い¥)?

【三浦】でもしてないんですよ、表情。もう全く無表情なので。

【吉武】それがすごいですよね。

【三浦】ええ。あの全く無表情で……まあ、まばたきぐらいはしますけど、口元とか、なんにも変わらないですもんね。見事にね。

【吉武】なんか、ある意味腹話術みたいな。見えないけど。

【コーダ】え、何人ぐらい出る感じですか?

【三浦】あれはね、3人ですね、右手とかしらを動かすのが主の主遣い(おもづかい)っていう人形遣いで、左手を遣う人が1人と、足。それと人形は結局足元が床に付いてないじゃないですか。だから足音を出す人がいるんです。もう1人黒子で。で、走ったりするとパンパンパンパンって。これがまた結構いい音なんです。

【吉武】歌舞伎でも戦いのときとかダダダンってやってますよね。舞台の端のほうで。

【三浦】見えないところでこうやってやってますよね。拍子木使ってね。

【吉武】そうそう。そういうイメージかな。

【三浦】全く一緒だと思います、それは。

【笹村】なんか、ちなみに人形を3人で使うのって世界に日本だけらしいですよ。マリオネットとかもありますけど。でもそういう人形3人で使うのって、世界で日本だけらしいです。

【三浦】そうだと思いますね。

【笹村】ささやんうんちくです。

【三浦】なんか、それも何かの演目をやったときに、ここに書いてあるのは享保19年1734年か。あ、これ享保だから吉宗ですね。享保の改革の頃だから。竹本座の「芦屋道満大内鑑」っていう演目で与勘平・野干平という2人の奴(やっこ)が信太の森で葛の葉姫と安倍童子の乗った籠をかつぎ上げる場面があって、このときにどうしても人形の左手を担当する人が必要になって、ここで3人遣いが考案されたといわれていると書いてあります。

【吉武】吉田文三郎さんでしたっけ?

【三浦】それはどうだろう。そこ名前まで書いてないなぁ。それが3人遣いの始まりらしいですよ。

【コーダ】じゃ、そこからずっと3人っていう……

【三浦】うーん、でも全部が全部3人遣いじゃないんですよ。ほとんど人形だから、主役どころっていいのか分からないですけど、そういうところはみんな3人ですけど、端役はみんな1人で……

【コーダ】なるほど(笑)。

【三浦】例えば歴史もの……戦いものだったら武士とか出てくるじゃないですか。ああいうの1人でこんなやったりしてます。だから基本3人だけども、1人でやるときもある。それはでも、あくまで端役? メインではないっていう。そんな感じですね。観てると。

【コーダ】なんか、その情念みたいなところを、より伝える構造になっている文楽って考えたときに、今「鬼滅の刃」っていう漫画とアニメが流行っているじゃないですか。あれって舞台が一応大正時代ですけど、着物を着てる人か、日本髪の日人とかも出てきたりするんですけど、物語が皆さんご存じだと思うんですけど、竈門炭治郎って主人公がいるんですけど、彼は家族と一緒に山奥のところで、炭焼きっだったかな?で暮らしてるんです。細々と。とはいえ家族仲良く暮らしてるんですけれども、ある日、彼が山から降りて街に売りに行ったのか、出かけてる間に残った家族が鬼に惨殺されてしまうんですね。で1人だけ、妹が生き残るんですけど、彼女も半分鬼になりかかってるっていうところで、なぜか彼女はそこで止まるんですけども、ほかの家族は全部惨殺されてしまって、主人公は妹をとにかく、鬼から人間に戻したいっていうのと、鬼にある意味復讐したいみたいな気持ちもあって、鬼滅隊っていう鬼を退治する戦う団体に入ってくんですけど、基本、鬼になる人っていうのが、元々は人間なんですよね。で、その人たちがなんで鬼になるかっていうと、色んな上手くいかないことがあったりとか、恨みとかつらみとか、あと、嫉妬とか、そういうのが募った結果、鬼になっていくっていう人がほとんどなので、そういう情念みたいなものとか、あとファンタジー系なところ? 人間が急に鬼に変わったりとか、あとからくり屋敷とか出てくるんですよね。で、そういうの考えたときに、「これって、文楽にしたほうがいいんじゃないかと、あたしだったら提案するけど(笑)。」


【三浦】そうですね。

【コーダ】まあ、ちょっと権利関係はおいといて、誰でも多分思うだろうと思うんですけど、普通の舞台化っていうよりは、人形でやったほうがいいんじゃないかなって。

【三浦】そうですね。実際、人形で姫だったり、女性が鬼に変わるっていうのあるんですよ。

【コーダ】あ! そうなんですね。

【三浦】もう、上演中に首が何かを施すことによって、人形遣いが。クッて鬼に変わるんですよ。これは結構見物ですよ。驚きますね、見てて。

【三浦】だから「鬼滅の刃」は人間がなぜ鬼になるかって、色んな恨みつらみとか、そういうのっていうのも、すごく日本古来の平安とか奈良とか、あの辺にある人間に業が積み重なっていく感じもあるし、それを大正に置き換えてるっていうのは、なかなかいい目の付け所ですね。「鬼滅の刃」、タイトルは知ってるんですけど、1度も何も観たことがないので、ちょっと観たほうがいいですかね。

【コーダ】是非、読んでみてください。

【三浦】元々漫画ですか?

【コーダ】漫画ですね。

【三浦】皆さん読んでますか?

【吉武】わたしは観たことないですね。

【笹村】僕も触りだけしか読んだことないです。読んでみたいなと思います。

【三浦】なんか、「鬼滅の刃コンサート」とかもやってますよね?

【コーダ】ああ、色々今すごい人気なんで……

【三浦】アニメーションにもなってるんですか?

【コーダ】なってますね。最終巻が12月に発売なのかな? で、劇場公開かな? なんか京都の南座さんとはコラボをやってるみたいなんですけど、「いや、これ文楽でやって欲しいいな」って自分文楽ちゃんと観てないくせに、妄想なくせにちょっと思っちゃうみたいな。

【三浦】いや、今話聞くには、鬼に変わる首の変わり方とか、そういうことも含めて、文楽にできるかもしれないですよね。台本しっかりしてるし。ちょっと、楽しみじゃないですか。

【コーダ】誰に言ったらいいんですかね(笑)?

【吉武】遠い場所からリクエストするっていう(笑)。

【三浦】そうですね。国立文楽劇場に手紙書くのも。あの、ささやんに大阪弁で書いてもらって。

【笹村】僕、代表で。

【吉武】嘆願書を出す。

【笹村】伝書バトみたいに。

【三浦】言いに行くってどういうことですか?

【コーダ】じゃあ、ちょっと企画書作って「僕が書きます」みたいな(笑)。

【三浦】すごくいいと思いますね。

【笹村】全然いいですよ。

【三浦】ちょっとわたしの不勉強なせいで知らないのかもしれないですけど、文楽って新作ってあんまり聞かないんですけど、誰か聞いたことあります? 新作って。

【コーダ】いや、あんまり。

【三浦】あ!あれは、でもそうか。あと、杉本博司さんっていう現代美術の人が杉本流「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」っていうのやってましたけど、別にそんなにやってる場所とちょっと演出が違うぐらいで、あんまり何が新しいんだろう? って気がしましたけどね。ま、それはそれでおいといて。でも「鬼滅の刃」の文楽版は、もしかしたら考えてんじゃないですか? きっと。

【コーダ】ねー! そうですよね。わたしが考えるぐらいだもん。

【三浦】いや、そういうことじゃなくて、とてもいい考えだと思うので、きっと誰かがやろうとしてるかもしれないですね。あの、ちょっと素人なりの想像なんですけど、きっと文楽ってかしら(首)っていうのがあって、例えば女の人用の首とか男でも色んな武士だったり町人だったり色んな首があるんですよね。そこに合致できれば、きっとできるんじゃないですかね。多分ものすごいたくさんな首があるんで登場人物がどんだけ出てきても、恐らくマッチングできるのではないかと想像するのですが、素人考えで。

【コーダ】髪の毛茶色の人とかもいるんですけど(笑)。

【三浦】それは、でもそういうふうに付けていけばいいので、多分できると思いますね。その髪の毛とかはあとでまたくっ付けるらしいんで。

【コーダ】あ! そうなんですね。

【三浦】ええ、首そのものは、もうこういうものだから。

【コーダ】あ! ホントだ。髪の毛がない状態なんですね。

【三浦】これは人形遣いが、その演目演目に合わせて作ってくらしいですよ、すごく。だから、結構大変な作業ですよね。なんか、人形遣いに密着したドキュメンタリーとか観たいですよね。

【笹村】観たいですね、確かに。

【吉武】あー! わたしも。

【コーダ】観たーい。NHKとかでやってないですかね。

【三浦】NHKはね、人形遣いは観たことないですね。太夫さんに密着は何回か、多分あったと思うんですけど。っ人形遣いは……。「日本の芸能」って番組では昔の吉田玉男さんかな? の出してたり。だからやっぱりそれは、もう昔の蔵出し舞台みたいなのだったんで、裏側にはあんまり言及してなかったんで。ホント、人形遣いさんの裏側観てみたいですね。

【笹村】確かに。

【コーダ】そうですね。

【三浦】提案しますか?

【吉武】提案書が2個必要(笑)。

【三浦】新機軸のね。まあ、文楽のこと結構勉強しないといけないですね。

【吉武】もう、ちょっと妄想する場合じゃない。

【笹村】妄想してる場合じゃないですね(笑)。ウィキペディア見てる場合じゃないですよね。本借りなあかん。

【三浦】出直してこいみたいなこと言われて(笑)。

【吉武】もうちょっと真剣にやらなきゃいけない。

【笹村】本買わなあかんっていう(笑)。

【三浦】おとといおいでみたいに言われて(笑)。ま、それも勉強と。

【コーダ】まあ、そうですね。

【三浦】やってみないとね。なんにも言えないので。

【コーダ】何が足りないか分からないですからね(笑)。

【笹村】大学だと単位もらえないですからね。

【吉武】勉強不足だって。

【三浦】その、コーダさんの妄想のアニメから「鬼滅の刃が出たところで、今度吉武さんの妄想はどんな方向で……

【吉武】ちょっとね、掲げたはいいんですけど、なかなかちょっとまとまらなくてですね……

【三浦】いや、妄想ですから、まとまらないの当たり前だと思います。

【笹村】魔法の言葉ですから。妄想ですから。

【吉武】いやー、ちょっとわたし、小説から行けないかなと思って。わたしね、歌舞伎入ったときも小説というか、本から行ったんですよね。なので、小説でやっぱり書かれるってことは、焦点が当たる場所があるというか、作者なりに文楽と向きあって、やっぱここが書きたいってものがあるからこそ小説にするんだろうなと思って。まあ、何せボリュームがドンってあるの2つ取り上げてしまったので、わたし自身も魂持ってかれがちになってしまって、なかなか大変だったんですけれども。
1つ目は、有吉佐和子さんの「一の糸」という小説を読んで。一の糸って一番大事な弦というか。そういうタイトルがついてますけど、時代としては大正から昭和にかけての時代背景になっていて、それで東京に主人公、ファン目線で最初観客として文楽を観た茜という人物がのちに三味線弾きの妻になるっていうところがあって、色々描写があるなかで、文楽のこととかたくさん話が出てくるんですけれども、実はこの「一の糸」のあとに「撥さばき」と「音締」っていう小説がそれぞれあるので、これはちょっと一意見かもしれないんですけども、浄瑠璃の仕立てのようだと言ってる人もいるんですけど、その上中下の3段仕立てが。
※「一の糸」は3部構成の小説

【吉武】その有吉さんていうのが、結構三味線関係の本を書かれている方のようで、実際この小説のなかには露沢徳兵衛(清太郎)という三味線弾きが出てくるんですけどまあ、実際フィクションっってものフィクションとか、ちょっと公のところでは、わたし見つけ切らなかったんですが、昔の豊竹古靱(とよたけこうつぼ)太夫って、いう相三味線の4代目鶴澤清六っていう方たちが……

【三浦】あ、出てますね。豊竹古靱太夫
ってね。

【吉武】そうそう。それで、名コンビだったのが別れたっていう出来事を織り込んでいたっていう。さっき三位一体という話がありましたけど、そのうち太夫と三味線の関係って言ってた結びつきの強さっていうところをすごい小説で取り上げているんですね。それはやっぱり文楽観てないうちにこれを先に読んでしまってるので、こういう結びつきの強さがあるんだっていう知識は、今入ったので……。なんでしょうね、ごめんなさい。小説から入っちゃって、人に社会科見学のあのしおり2人で作ってるみたいな状態なんですけど(笑)。

【笹村】それもすごいことですよ。

【吉武】1人で先生と生徒約やるみたいな。今ちょっと先生の側にいるんですけど、観てないくせにアレなんですが。まず、1作品目はそういうことで、その太夫と三味線の関係がすごく結びつきが強いって、ことがまず1つ分かりました。で、2つ目は今度舞台が大阪になり、時代も遡って江戸時代になるんですけど、「渦 妹背山婦女庭訓魂結び(うず いもせやまおんなていきんたまむすび)」という大島真寿美さんという方が書かれた直木賞もとった小説なんですけど、それこそさっき吉田文三郎さんって申し上げたのは、まさに吉田文三郎さんメインキャラクターではないんですが、ちょうど使うのが1人から3人になりましたっていう時代のお話なんですね。

【吉武】主人公は近松半二という人なんですけど、これは実在の人物が割とそのまま使われていて、近松半二とか、吉田文三郎とかですね。歌舞伎のほうの作者で並木正三(しょうざ)っていう、その3人とか、割と史実に実際にいたような方たちが登場していて、その近松半二っていうのが、近松門左衛門って近松つながりで出てくると思うんですけど、一応小説の設定の中では、近松門左衛門のすずりを譲り受けた人っていうふうに。血縁とかなんにもないんですけど、近松半二のお父さんが近松門左衛門と親しかった関係ですずりを譲り受けたって言って、「ちょっとお前も文楽ぷらぷら観て遊んでばっかりいないで、このすずりでなんか書きなさい」ってところから、「じゃ、なんか書いてみるかな」みたいなことになって、その並木正三っていうのが、近松半二の弟弟子みたいな存在で出てくるんですけど、最初2人は浄瑠璃の方でっていうか、文楽のほうで作者を目指す2人として出てくるんですが、並木正三のほうが「ちょっとわたし、歌舞伎に行きます」って言って歌舞伎に行くんです。で、丁度文楽が近松門左衛門によって繁盛したというか、盛り上がったあと、今度歌舞伎の台頭によって文楽が落ち込むっていう時期がしばらくあって、弟弟子だったはずが、どんどんどんどん歌舞伎で調子上がってって、どんどん追い抜かれていくというか、そういう様子が、結構リアルに描かれていて、その「どうしようどうしよう」って言って、しばらくうだつが上がらない近松半二が、やっとのことで生み出して大入りとなったのが「妹背山婦女庭訓」。で、そこで文楽がまたパンと一気に隆盛したっていうところが描かれていて、ここの小説を見てると、今度はさっきのは演者の中での関係性が描かれていたんですけど、ここで出るのは 文楽と歌舞伎の関係っていうのと、作者の葛藤ですね。なんか、歌舞伎だとこうなるけど、でも文楽だと、例えば作者が歌舞伎……文楽と歌舞伎の間で台本が似通った題材のものっていうのが色々あると思うんですね。

【三浦】ありますね。

【吉武】はい。で、小説の描写によると、書き換え書き換え、まるで渦に巻き込まれていくかのように、お互い見合って、書き換え書き換えでやりとりしているという描写があって、まさに半二とか正三とかもお互いの文楽とか歌舞伎とかを見合いながらやっていくと。で、基本的には文楽の作者として文楽付でずっと書いてるんですけど、たまにこれすごい評判良かったから、役者の一座直々に「じゃあ、『妹背山婦女庭訓』を歌舞伎使用にしてくれないか」って言って、半二が呼ばれて行って、すごい細かく演出つけても、やっぱり歌舞伎は役者のものだっていう描写があって、せっかく必死につけても。で、本人が、「やっぱもうちょっとあれを詰めて教えれば良かった」とか、本番のときに思っていても、もう完全に1回入ったら役者のものになってしまうから、歌舞伎はそういった意味で作者の入る隙間というよりは、もう役者のものだっていう描写があったりとかして、それでやっぱり歌舞伎と文楽、同じ演目で観てみたらどうなるんだろう? っていう課題を1つ見つけたという。つまり今先生が「ちょっとフィールドワークに行ってこれとこれ比べてみてみましょう」っていうね。今わたしは問題提起の問題を見つけましたっていうところまでが今日の進捗なんですけど。

【三浦】いやいや、そんなことない。吉武さん、全然妄想どころかちゃんとした自由研究になってますよ(笑)。

【笹村】自由研究の始まりじゃないですか。そうですよ。夏休み埋まるじゃないですか。

【三浦】ちゃんとしたテーマがギシッと設定。文楽と歌舞伎における演目の演出の差異みたいな。ちゃんとした研究論文が(笑)。

【吉武】直近目線で言うと、作者というか、歌舞伎と文楽の関係で。

【三浦】演出じゃない、作のね。作をそれぞれ……

【吉武】はい 作単位のとこですね。で、中身でいうと、太夫と三味線の関係に注目してみようというのが、今回のわたくしの研究というか妄想結果ですね。

【笹村】いや、もろインサイトじゃないですか、もう。

【三浦】歌舞伎を観てさらに文楽の台本を変えていくってことなんですね。それぞれの……

【吉武】裏取りまではできてないんで、少なくとも小説の描写を見ると、そのように見てとれるということですね。

【三浦】この本にやっぱり吉田文三郎さんとか出てますもん。人形遣い。

【吉武】はいそうですね。

【コーダ】たまたまわたし、「妹背山」を両方観ましたよ。

【吉武・三浦】ホントですか!

【コーダ】うん。なんか、ものすごい薄い記憶なんですけど文楽のほうがイジメが激しいなって印象がなんとなくありますね。

【三浦】そう、結構文楽って激しいんですよね。その辺のイジメとかそういうのがね。それで最後にやっぱり何か、大体心中になったり死んじゃったりとかで悲劇で終わるんですけど、そこにもってくための伏線は文楽はものすごいはっきりしてますよね。歌舞伎の方ってどうなってるんですか?

【コーダ】歌舞伎のほうは、確か文楽を観たあとに観たんですよね。だから、華やかで、ちょっとマイルドだみたいな、ものすごい薄い……両方とも薄い記憶なんでアレなんですけど(笑)。

【三浦】人がやってるぶん、あんまり激しくやると目を覆うようなことになるからですかね。

【コーダ】なんか、話自体が結構えげつないというか(笑)。

【吉武】確かにえげつない(笑)。

【三浦】それは僕もかすかに歌舞伎と文楽で、僕ほとんど、実は歌舞伎はあまりほとんど観たことがないので、その数少ない経験の中で、文楽と歌舞伎両方観たことがあるのは「仮名手本」だけなんですけど、「仮名手本」やっぱり高師直(こうのもろなお)のいやらしいっていうか、ほんとこいつ腹立つなっていう、殺してやろうかと思うのは、文楽ですよね。

【笹村】急にブラックな三浦さんが。

【吉武】穏やかな表情で。

【三浦】やっぱり文楽の切腹、四段目か、それに至る人情に至る、高師直の悪人加減って、人形でホントによく出してますからね、太夫と。

【三浦】人間がやると、確かにやな奴なんですけど、やな奴を出すのが上手さじゃないですか。それはその役者の。でも、あれって誰々だよね。有名な歌舞伎俳優がいたよね(笑)って、それって、どうしても透けて見えちゃうから、上手いけど、「ああ、そうだよね」、っていう。「忠臣蔵ってこういうお話だったよね」っていうふうに理解してしまうんですけど、あんま、そんな感情移入する感じじゃないんですけど、文楽ってやっぱり、コーダさんが言った三位一体で、人形が演じて、まあ、人形遣いが演じさせていて、それを太夫と浄瑠璃と三味線でガッとフォローしてくと、そこにものすごい、観てる人間の感情がググって入ってって、「はっ! どうなっちゃうんだ!? これ」っていう……知ってても思いますよね。だから、よく自分の息子の首を差し出さなければならない親とか、「これ、なんとか結末変わらんもんかな」って、思うんだけれども、変わらないわけですね。だからそれで「ホント辛いわー」って。歌舞伎って泣いてる人っています? 結構います? 

【吉武】そうですね。ほんとはないかもしれない(笑)。

【三浦】文楽ってね、すごいいるんですよ、泣いてる人が。分かってんだけど、もう泣いてんですよね。もう悲しくて。

【吉武】感情移入する余地があるんですかね。

【三浦】ありますね。人形だから。あと、太夫が口でそれをグッと引き寄せるように語っている。そして、それを重低音で支える三味線。全てが相まってくると、こっちの感情も崩壊してくるっていうかね。グググっと、わーってなりますね。

【吉武】三浦さんも泣き泣き?

【三浦】いや、結構泣いたこと何度もありますね。

【コーダ】なんか、もしかすると、様式美とかっていうよりも、より感情に寄ってる感じですよね。

【三浦】うん。そうですね。より感情に寄ってると思いますね。様式はもちろんあるんだけども、様式美っていうと、どっちかっていうと、能とかね。あっちのほうがあるじゃないですか。だから文楽の場合、様式美っていっても、太夫さんから人形遣い、三味線のそれぞれの、ものすごい思いが入ってくるから、情念で演じられてるっていう感じが、すごくしますね。

【吉武】そうですね。妄想だけで意外と広がるものですね。

【三浦】広がりますね。妄想が、じゃあ広がったところで、妄想は広がり続けていいので、あとはこれが時間だそうなので。

【笹村】話少ないですからね。

【吉武】そうなんですよ、残念ながら。

【三浦】ちょっと、吉武さん最後にその……

【吉武】はい。ちなみに感想を(笑)。

【三浦】わたしは、もう十分話せた感じが。ありがとうございます。大丈夫です。

【笹村】これ、妄想の世界から学ぶことへのモチベーションって、つながるものだなって、ここで話してみて思いましたね。楽しかったです。もう1回、チャンと文楽って勉強したいなと思いました。

【吉武】そうですね。

【コーダ】より観に行きたくなりますよね。

【吉武】ああ、確かに。

【三浦】観に行きましょうよ。

【吉武】是非ぜひ、行きましょう。

【笹村】そうですね。観に行ったほうがいいかもしれないですね。

【三浦】妄想が最高潮になったところで……

【笹村】いい夢見れそう。

【三浦】その前にもう1回やってもいいような気もします。

【コーダ】あ、そうですね(笑)。

【吉武】あ、確かに(笑)。そうですね。

後編了

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