見出し画像

甘さと人類(雑記10 経済社会と異性化糖と健康)

1970年代に砂糖の値段が高騰したために、安価な甘さを入手できるようにするためにアメリカでトウモロコシを原料とする異性化糖が発明された。

異性化糖の製造方法 (Wikiディアより)

◆異性化糖の製造プロセス
デンプンから異性化糖を生成するには、3回の酵素反応と精製、濃縮が必要である。一方、砂糖はビートやサトウキビから抽出、精製して作られる。
①液化
デンプンに水と加水分解酵素である α-アミラーゼを加え、95 ℃ 程度に加
する。これにより高分子のデンプンはある程度小さく分解される。
②糖化
液化終了後に 55 ℃ 程度まで冷却し、グルコアミラーゼを加える。この反応で、糖はさらに細かく分解され、ブドウ糖になる。
③異性化
60 ℃ で異性化酵素のグルコースイソメラーゼを加え、約半分のブドウ糖を果糖に変化させる。
④精製・濃縮
異性化後、液糖をろ過機やイオン交換装置で精製し、水分を蒸発させて濃縮することにより、果糖分 42 % のブドウ糖果糖液糖が得られる。さらに、クロマトグラフィーによって果糖純度を高めることができ、果糖分 90 - 95 % の高果糖液糖を作ることができる。これを果糖分42 %のブドウ糖果糖液糖とブレンドすることで果糖分55 %の果糖ブドウ糖液などが作られる。

異性化糖は、価格が安く、液体であるため製造工程に直接投入することが可能であるため、清涼飲料水、紅茶、スポーツドリンク、などの甘い飲料の多く使われるようになった。 ちなみにアメリカのコカコーラは異性化糖で作られているようだが、メキシコのコーラはサトウキビが使われていたりと同じ会社が扱うコーラであっても国ごとに原料を分けていたりする。

異性化糖は冷えた環境でも果物のように甘さが維持されるために、清涼飲料水だけでなく、クッキーやキャンディー、コンビニで購入する加工食品の原材料を眺めるとなどでも使用されることが多い。

米国の例になるが、30年間で糖分を含む清涼飲料の消費量は2倍以上に増えて、一時は米国人一人当たり年間約151リットルに達した。アメリカで肥満人口が急増したのが異性化糖が世に出始めた頃と一致すると言われているため、なぜ急増したのか調査が加速された。

我々はなぜこうも糖に魅了されるのかを研究する生物学者や心理学者が昔からいたのが1960年代にネズミを用いた実験であることがわかった。
ネズミに甘いシリアルを与えると貪り食べる様子だったのを発見したため、ネズミが恐る明るく証明された空間にシリアルを置いたところ、ネズミは本能的な恐れを振り切って走り出し、シリアルを貪り食べたのである。糖分への渇望は「ストップ」の声をかけるはずの体内のブレーキを完全に凌駕してしまったのである。

糖の作用が口から脳に至る複雑な過程にはまだわかっていないことが多いものの最終的な結果に疑いの余地はなくて、強い欲求を引き起こす力があるのだ。

更には、穀物から得られるグルコース(ブドウ糖)の吸収には脂肪増加を抑えるメカニズムが体内に備わっているが、異性化糖の甘さ成分のうちの果糖(フルクトース)は脂肪化防止のメカニズムをすり抜けて中性脂肪になり易いことが研究により発覚した。

これらの事実が判明しただけであれば特に問題ないようにも思うが、ここにマーケティングというものがネガティブにフィードバックをかけていくようになった。現代の人の欲望を刺激し、人を欲望の中毒ここにさらに加工食品の発展と経済とマーケティングの発展が強く結びついていく

グローバル化する中で各社とも苛烈な経済戦争を繰り広げる中でマーケティング部門はいかに需要を作り出し、いかに商品を売っていくかに日々頭を悩ませている。如何にもっと欲しいと思い、如何にたくさん購買して消費してくれるのかを。

コカ・コーラの例になるが、最初はお金を持っている富裕層に働きかける広告にはじまったが、そこから一般市民層に向けた広告に代わっていき、スポーツ観戦の場で飲まれるような広告を打ち出していった。
更にコップのサイズを大きくしていき、大きいサイズが普通であることを広めていった。アメリカのサイズは日本のサイズよりも1.5倍は大きいと言われている。以下の動画がわかりやすいだろうか。

他にもペプシコーラとの競争の中で、コカコーラよりも糖度が高くてペプシコーラを好む人が多かったことから対策としてニューコーラという更に甘くしたコーラを販売している。ペプシコーラとコカコーラは激しい経済競争を繰り広げられた。俗にコーラ戦争と呼ばれるものだ。

甘すぎると飽きやすい飽きやすくもなりやすいのだが、そこでフルーツのような清涼感を加えて後味のキレを引き出すという妙技を加えることで、一口飲んで美味しいと思った後に、もう一口欲しい!という情動に仕向けることが可能にしている。

コカ・コーラに関わらず、大ヒット商品の影にはある原理が働いているようだ。舌の味を感知する美蕾細胞を通じて人に美味い!と思わせた後に「もう沢山だ」と思われすことなく、更に「もっと欲しい」と思われるのである。そのためにフルーツのような清涼感を加えたり、単一的な風味による飽きを防止するために多様な風味の調合を行なっている。

更には過酷な経済競争に巻き込まれる中で人々の労働時間も増えて可処分時間の減少のために便利な加工食品を求めるようになっていった。

コカコーラ社にも子供への悪影響を考慮してテレビ視聴者の3割が11歳以下であれば、広告は出さないというポリシーがあったが、12歳以降はブランド力の影響を与えるためのあらゆる手を尽くす。コーラボトルを2本買ったら1袋ポテトチップスが無料で付いてくるようにしたりと。
タダは実はタダではないというのは今ではよく認知される事ではあるが、甘さに限って言えば、 更に欲しいと思わせることができ中毒性を引き出すことが可能となる。

そんなコカコーラの成長に天井を作ったのは、肥満率増加に対する社会的圧力であった。誰かが悪いわけでなく、自由経済と資本主義が優先される社会の構造上の弊害なのであろう。

コーラ然り、異性化糖は少なく抑えれば安くて誰にでも甘さを提供する素晴らしい商品だったのかもしれないのだが、悪者となってしまったのであった。そんなコカコーラ者はこの状況と世界的風潮を鑑みて0カロリー清涼飲料を発売するようになっていったし、日本ではお馴染みの「いろはす」という水をコカコーラブランドを使わずに販売している。

甘さは薬であり、毒の意味もある。それは社会情勢や構造の影響を受けて変わる。さてこれからの世の中で甘さは悪者として扱われるのであろうか?
それとも新たな役割を得るのであろうか?
甘さはマクロ的な社会情勢や社会構造の影響を受けて役割が変わるのであれば、またミクロ的に見て我々一人一人の行動が社会構造に影響を与えることも可能なのではなかろうか。
私たちはこれからどのように歩んでいきたいのだろうか?ということを考えながら今回の雑記は終わりにしようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?