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死体溜まりのドック・タウン(1)

・プロローグ


「ところで。俺が言いたかったことは『そこで待っている』……ただそれだけだ。それでオチは?」
男のみぞおちを殴る。
「お前だけだ。誰が手を引いてる」
再びみぞおちを殴る。手を差し出す。札束だ。
「なんだそれ」
彼は一瞥して再び殴る。血を吐いた。

人気のない路地裏。後ろでは強盗退散目的で設置されたのにもかかわらず全く効果のなかった警報機が鳴り響く。信用金庫はドアノブをひねるようにこじ開けられ、中にあった客の銀行への盲信によりかき集められ日本経済の微小な割合を占めていた何百何千もの大金は外へと持ち出され再分配の時を待つようになっていた。
そう。過去の話である。
強盗の計画は今無慈悲な暴力を振るっている一人の男の手によって瓦解したのだ。
そう捉えざるを得ない。
ビルとビルの隙間、もう一本向こうの道へと通じる所に止まったワゴン車はガラスというガラスが粉砕された上で黒煙を吐いている。ドライバーは車が破壊されてしまい、眺めるしかなくそのまま途方に暮れた表情で動かない。額から血を流していた。死んでいたのだ。
さらに裏路地の狭い道の間には生死も分からない人間が3人、倒れている。
残った最後の一人は顔面を殴られ手足を折られ指を砕かれ肋骨を凹まさられ今はみぞおちを執拗に殴られていた。
その最後の一人は震える手でポケットから取り出した札束を彼の方へと向けていた。
「——許してください? か?」
「……うぐじでぐだざび」
「聞こえねえよ」
顎の付け根へチョップが入った。
カエルでも鳴くような声で息を漏らすと、痣まみれ傷まみれの男は開脚したまま地面へ座り込む。だがまだ意識があった。失禁してしまったことに気が付いたのは不幸だった。目先の恥を晴らそうと、足をじたばたさせてしまったからだ。
「俺は今『地の理を得て』いるんだ。わかるな。だからこの足をこうすることもできる」
バタつく足を踏み潰す。力強く踏み潰す。木材でも折るかのように。皮膚を突き破り、血まみれの骨の断面が姿を見せる。
ついに勢いよく血が噴き出し、彼をいたぶる男のレインコートも血で濡れた。だがそのことを構わず、折れた骨にかかと落としをくらわした。
悲鳴が上がった。
涙も止まらなかった。だが気を失わない。恐怖によってだ。
上に立つ男への圧倒的な恐怖。
それが彼の意識を皮肉なことにまだつないでいた。
「びびまず。びびま……ず」
「教えてくれ」
やけに親身な目線を投げかけた。一方的にいたぶっていた残忍な表情とは真逆だった。
「黒卓——」
男の言葉は中断された。頭を踏み潰されて、ついに意識ごと言葉も彼自身も事切れたからだ。

足を上げる。靴の裏に血と肉と脳髄がまとわりついて嫌な音を立てた。アスファルトにこすって落とすと、ワゴン車に積まれたバッグをすべて担ぎ、銀行の方へと歩き出した。
男はつぶやいた。
「聞き飽きたわッ。クソが。ただの責任転嫁かよ。まあいい。黒卓会。どいつもこいつもどうなってやがる」


毒を以て毒を制す。俺の座右の銘の一つだ。だが過ぎた毒は身を亡ぼす。
ただ俺は長いこと毒を食らってきたから分かるが、「毒の中に入ってる方が毒の安定供給に役立つ」ってのも事実だ。
つまり。毒を抜くことは不可能で、せいぜい毒を使い倒すくらいしか俺たちにできることはない。
手を洗う。
石鹸で手をこすり、じゃぶじゃぶと水で流す。このところ水道代が高くついて困る。
今日殺したのは何人か。まず運転手。強盗を潰すなら足から潰せ。
次にチンピラども。予定通りに仕事をこなすしか能のない悪党連中は待ち伏せに弱い。ただ確実に殺したのは一人だが。

手を拭く。
洗面所から万年床に腰を下ろした。携帯電話には数分前に掛かってきたらしい「不在」電話の通知が見えていた。いつもサイレントにしていると、こんなことは多々起こる。別にサイレントを解除するつもりはない。
そもそも俺は大体携帯電話そのものが嫌いだったし、着信音を聴くのもタッチパネルをいじくりまわすのもうんざりしていたがコレがないと話すらできないので極力視界から耳から話すのに延々サイレントにするのは仕方なかった。
俺は電話をかける。
数コールもせずに相手は出た。
「もしもし。こちら城山ハブタカ」
「俺。終わったかい」
詐欺師のジュンだ。こいつは絶対に自分から名乗らない。俺だとか言ってる癖に俺の前では隠すことなく女の声を出して語るもんだからなぜか腹が立つ。でもそれでジュンってわかるんだけれども。
仕事ができるからそんなことはどうでもいい。
「ああ。全くお前のパイプには感心するよ。でお願い通り見せしめ風にやっておいた」
「おっかないな。あの地区自体おっかないけどちゃんと言うこと聞いて血まみれ臨時ニュース案件にするお前は相当おっかないよ。俺を殺すなよ」
「今はまだ、な」
「……まだ続けるつもりかい」
「俺の戦いは始まったばかりだ」
数年前までは俺も分別が付かなかった。誰を相手にすべきか、わかっていなかった。だが今は違う。
「昔話は聞かない。お前の下らん復讐に付き合ってる俺の身にもなれよ。そう言いたいんだ」
復讐。
一度滅んで蘇ったこの街では特に多い不幸な事故、それが暴力事件の巻き添えだった。
灰と瓦礫から蘇り日本第三の都市の名前を轟かせたと同時に俺の地元から「修羅の国」の称号を譲り受けたナゴヤは地下社会の勢力だとかナワバリだとかやっていいこと悪いことだとかくっだらない線引きが上手くいっていない。ネオナゴヤだとか呼ばれてる癖にその辺の考え方は、反則が起こってから考えようなんていうのは何十年も昔から変わっていなかった。
忘れもしない。
俺のダチは「囲い込み競争」のあおりを受けて死んだこと。
そこからだった。
俺の戦いが始まったのは。勿論金ぴかのバッジと青いベストが懐かしいこともある。
でもデブ上司の言う事を聞いて遠回しにやるより直接叩き込んでやった方が効果的だ。あの頃の俺はそう考えていた。

しばらく、黙り込んでしまった。

「……おれの主だった動機は復讐。それは一切変わりがない。目に見えている虫どもをまとめて蹴散らすのが仕事だ。だが虫の中にも蝶やら天道虫もいることくらいわかっている。勿論蜂もな。俺が貴様を付き合わせている理由はただ一つ、益虫どもを死ぬまで使い倒してやりたい一心だよ。何も殺すだけが復讐のすべてじゃあない。それ以外に他意はない」
「だからいい加減、その考えを捨てろ」
「納得しうる理由を言え」
「いつ裏切るか? それがバレたら二人揃って魚の餌だ。俺はまあ、タフだから命くらいはあるかもしれないけど。……もういいよな。今日の電話もいつも通りの話だ。次の依頼」
俺は彼女の説明を聞いた。
情報を制する者は仕事を制する。
勿論「毒に染まりすぎない」緩衝材としての情報収集、仕事募集でもあった。
事件は解決するより起こすか起きる前に防ぐか台無しにしてしまう方が容易い。そんなわけで俺は悪党専門の殺し屋もしくは金さえ払えば相手の信条に関係なく味方してそいつらから見ての悪人ども、虫ども菌ども疫病どもを始末する必要悪なあんて存在になった。
クライムファイター……そう呼ばれることもある。
だが実際のところは実話系雑誌かコンビニコミックの噂よりしょうもない。
今回の仕事も、よくある普通の話だった。ただ一点、気に食わない点を除いては。

「――なるほど。だいぶ参ってるみたいじゃあないか。今時珍しく、混ぜ物の多い薬を流しやがって。堕落の蔓延もいい加減にしろ。で?」
「これ以上ないよ。俺が言いたいのは一つだけ。薬売りをどうにかして見つけてシメるのが今度の任務ってことだ。できるか? というか、やるのか?」
「もちろんだ」
「ああそう。俺の方の金払いはいつもの口座か金庫埋めでよろしくな」
「ただ一つだけ聞かせろ」
「何だよ」
「お前、黒卓が糸引いてるって言ってたよな。いつの間に復活した?」
「ええーっ。知らなかったの。だいぶ前からあるよ」
「だからいつだ」
「だいたい、名古屋が爆発した頃から」
「また名古屋爆発か」
俺は舌打ちをした。名古屋爆破テロ事件。俺の住む街が灰に沈むと同時に復活の契機となった事件。
その時俺は警察の試験にたまたま受かった岐阜にいて、町のおまわりさんとしてよく知らない場所なのにイベンターと組んで町おこしの何かをやっていた。サメが出たりだとか変人奇人が訳の分からんアイデアを連発するだとかなんだかメタでメタを隠した映画見たいなことが起こったりだとか……俺には向いてない仕事だったわけだ。
終わらないかなと思ったその時だった。山奥なのに火の玉が見えたのは今も記憶に残っている。アレが起こった訳だ。人もたくさん死んだそうだ。そのあおりを食らって俺は名古屋に転勤してクソ野郎を追いかけていて、奇人変人との交流のほうがマシと思ってたら俺の相棒は死んだわけで……

ああ、クソッ。
「——思い出したくもない。で? 奴らが何だって? 爆発しても残っている。むしろその前からあった?ふうん。 それなら連中はこの街の再発展とともに勢力を伸ばしてきやがったと?」
「まあそういうこと。元ポリ公に言うのもアレだけど、今のパパは裏社会を完全に掌握したいとかなんとか。街の再発展のためだーってピンハネマンは言ってたよ。アイツ俺の稼いだ金奪ってくから嫌い。まあ詐欺に限らず、ここ最近の強盗・密売・デモ運動はだいたいたどればアイツらの影がある」
最低な冗談。冗談ですらない。悪党が悪党であることで自らの立ち位置を明らかにして社会の中の大きな歯車であろうとしているのだ。おれはせいぜい、メンテナンス作業員じゃあないか。錆びちまった歯車だとか不良品だとか使いたくもない歯車をぶっ壊して回るだけなのだろう。全く笑えない。
俺は目を細めた。
「なぜ今まで黙っていた」
「お前に言うと見境なく暴れるから。気に障るかもしれないが……利用されてるんだ。このことを聞いてもまだやるのか?」
声を押し殺す。
「……昔の俺とは違う」
「ああそう。まあとにかく、薬売りをどうにかしてくるだけでいいから。それ以外は何もしなくていい」
「俺もそれ以外、何もしない」
「そうか。安心したよ。…………まったく、便利な役割になっちまったよな」
プツリ。
夜は始まったばかりだ。窓から外を覗くと、うっとおしいほどの大雨だった。
雨粒に当たらないよう歩くのも悪くはない。

コカイン、ベンゼンドリン、雷怨、海王42nd、仁minor、ボーグ煙、金色の袋に入った植物片と微粉末の混合物。これらは全てこの辺で売っているヤクの名前だ。側溝を覗けば雨に打たれてまた不気味なそいつらのパッケージが俺を睨む。俺はため息をつくことはない。やることはただ、「仕事場」へと歩くだけだ。
出勤はいささか退屈だ。側溝で見つけたドラッグのパッケージのことを考える。最初に来たのは不快感だ。
端的に言えばダサい。多分自分で使ったことがない連中がデザインしている。ネットで適当に拾ってきた画像をコラージュしてMicrosoft・Wordで整えただけのノーセンスな代物ばかりだ。
俺にはまったく、理解ができない。刹那を味わうだけのシロモノにどうして数千円だか数万円だかをこしらえて何度も何度も吸おうとするのか。
しかも今じゃ客は減る一方だ。たらふく煙と粉を肺に収めた中毒患者は大体金に困って死ぬか逃げるかしていく。全く割に合わない。
瞬間風速的に収入はあるにせよ。じわじわと稼いだ方が確実なのは誰もが知っていることだ。
俺は数十分前の電話を思い出す。ジュンの一言が頭から離れない。

「まったく、便利な役割になっちまったよな」

どうやら「やりすぎちまった問題児」を不幸な事故を装って殺させたいらしい。いいんだ。クズは一人でも多く消え失せた方がいい。いいんだよ。これで。
下を向いて歩いている。この向きはいい。猥雑な看板も、気味の悪い高層ビルも、俺の視界からは全て消え失せる。客引きの声はもはや耳に入っていない。
水たまりを踏んでネオンの光をまとった水しぶきがレインコートに撥ねた。

いよいよ名駅表だ。人も多い。ここで通り魔の一人でも現れたら災害クラスの被害が出るだろう。俺に止められないほどの。
駅口にある交番をちらりと見る。だべってやがる。昔からそうだった。ここは事件が目に見えない。自ら望んで深淵へもぐりこむ変人は存在しない。
つばを吐きかけた。
信号を待つ。目の前には高く暗い色をしたビルがそびえ、まだ灯っている明かりは不自然に浮いているようだった。近い方へ意識を向けると、隣では女子高生やら労働終わりの奴らが携帯を弄ったり中身のない話を延々としている。
一方俺は一人だ。事故防止用の信号カウントが0になり、同時に青へと変わる。。ポケットに手を突っ込み、長い横断歩道を渡っていく。真っ黒なレインコートを着たドレッドヘヤーは自分でもなんだが雑踏の中人ごみの中でも目立つのだろう。百人のうちの一人くらい、自由にさせてくれ。
ふと上を見上げる。
去年に比べたらビルの高さを高く感じる。再建の時により大きく建てたのか、俺が卑屈になっちまってそう感じているだけなのか。
対岸にたどり着く。
ビルの一階に店を構え、化粧箱みたいに奇麗な看板を並べるブランドショップの隙間に入るともうそこからは闇の世界だ。
ビルとビルの隙間は落ち着かない。またあちこちで客引きが黄色い声で叫び、その日稼いだ金をもってスーツどもは店へと吸い込まれていく。青服の警官もちらちらと周りを見ているが、違法な客引きとかそんなのは黙殺して頭の中はどうせ数時間後に飲む酒のことだけなのだろう。
腐り切っていやがる。そんなんだから、俺に見切られるのだ。

居酒屋地帯を抜けると頭上にはいつの間にか再建された高速道路がはしっている。地下鉄の駅で言えば国際センター前だ。左に曲がる。下に川があって新築された橋の上を渡る。俺の姿は水面に映らない。
この辺りもまた、いかがわしい看板が並んでいる。夜遊びに興じる連中を潜り抜ける。客引きの女につかまった。
「仕事帰りですか?」
顔を見た。透明なビニール傘をさし、身の丈に合わない化粧をしているそいつはベトナム辺りから来たのだろうか、金に困ってそうな顔をしていた。それにしても、流暢な日本語だ。
「今から仕事だ」
「そうなんですかー。そこにですねー、良いお酒飲めるところがあってー、時間潰してきませんかー?」
全く、他にマシな文句はないのか。
「そんな気分じゃない。また今度」
「お酒じゃなくても、楽しいですよ」
「仕事が待ってる」
「日本人、昔から働きすぎ」
急にたどたどしくなる。どういうつもりだ。役者の才能があるらしいが。
噂に聞いたが役者は売れるまで糊口をしのぐための仕事は「対人商売」だそうだ。相手はしなくても、看板替わりに立ってるだけで効果はあるらしい。
あくまで俺の周りの話だし、ここまで不道徳を徹底したこの街に限ったことだとは思うが。
俺は言い返す。きつい口調だと思う。
「ああそうだ。死ぬまで働くんだ」
「息抜きして。私の故郷ではみんな夜に遊んでいた」
なぜか説得力があるな。
「仕事も遊びのうちにならないか」
「ならない」
「ああそう」
俺はまた歩きだす。ベトナム人はまたほかの男に声をかける。毎晩のことだから、彼女も俺に中指を立てる気にはならないのだろう。

数ブロック歩いたあと、俺は階を確認せずにビルの中へと入っていった。外付け階段をのぼり、三階に足を踏み入れる。
日焼けサロン「RIC・HARD」。
俺の目当ての場所はここだ。なにも紫外線を浴びたいわけじゃない。ジュンペディアによれば、というより昔から睨んでいた薬の売り場所だ。八時までしか営業しないがそれは通常営業の話で、副業は夜からやっている。なんとまあ非効率的で危険な売り方とは思うが「赤信号みんなで渡れば怖くない」の理論に基づいていつまでも売っている。
だがそれも今日までだ。昼間の数百万を俺は今回のカードにするつもりだ。ヤクザが相手なら、どれだけ殺しても波風を立てるだけで無駄に終わる。
できるだけ穏便に店じまいをさせたい。

自動ドアが開く。
なんだか、湿った雰囲気だった。外より暗いのは日焼けサロンではよくあることだが、その圧迫感を差し引いても空気は湿っていた。
雨のせいだろうか。いささか湿気が高い。
特に不気味なのは誰の声もしなかったことだ。俺は辺りを見回した。日焼けマシンのブルーライトはまだ漏れている。電源の切り忘れか? まあいい。

カウンターの方へと歩く。例のハーブ類、良い香りの草扱いの真空パックがレジ横のグミみたいに置かれていた。エントリーの類だ。
ベルを悪戯で鳴らしたくなったがやめておいた。悪戯したくなるほど、この時間のカウンターには誰もいない。好都合だ。意識を失う人間が一人減った。
それで目当てはカウンター裏のドア。ピッキングの用意はある。手帳サイズの万能セットだ。ポケットの中でポケットの隙間を圧迫している。今ここで取り出し開いた。まず鍵穴の種類を見て、どのピンを使うか考える。
だがその必要はなかった。

ドアはすでに、破られていたからだ。

鍵もともとの形を変えてしまうほどはっきりとした、なにかで叩いた跡があった。繊細なピッキングではなく、こじ開けたらしい。多分プラスドライバーか何かだろう。

ドアの隙間から光も漏れている。

いよいよおかしい。

俺はメリケンサックを手に嵌める。三回深呼吸して、ドアノブに手をかけた。
軽くひねった。緩い。
後ろにドアを引く。軽い。
勢いをつけて引っ張りぬく。生暖かい空気が俺の肌を撫でる。

「こんばんは……」

ああクソッ。

ブラッドバス。そんな言葉を聞いたことがある。日本語に訳すと血の風呂か、大量殺人の現場という意味になる。
悪趣味なじゅうたんが敷かれ、液晶テレビが煌々と点いている7畳くらいの居間もとい控室はまさしくブラッドバスの言葉が似あっていた。

ある者は刀を刺されて窓の前で死にある者は刀が外された戸棚にもたれかかって頭から血を流して死にある者は顔面をマッシュされて死にまたある者は考えたくもない、一番出血が多いであろう死に方をしていた。だいたい7人くらいがまとめてここで死んでいた。
酒の瓶も割られて散乱している。
全部のドアは開いていたからすべてここで起こったのだろう。
下を向いて歩くんじゃなかった。
俺は声を漏らす。
「ああクソッ、いったい誰がやりやがったんだ!」
強制的に営業停止か。しかし誰だ。自分を亡ぼすだけなのに。
……もしや完璧に俺の仕業にするつもりなのだろうか。なるほど筋は通っている。使い勝手の悪い殺し屋が処刑されたところでナゴヤにおける影響は小さいからだ。
あれだけ憎んでいた連中に初めて哀れみを抱いた。
とにかく、ここを荒らしたアホをどうにかするのが先決の様だ。

これはもう、必要最小限の殺しじゃあない。殺しのための殺しだ。つまり俺が罰するべきものだ。

いやいやながら、捜査を始める。警察官気取りかよ。元警察官なんだから自由にすべきとは思うが。

まず死体を数える。
7体。死因は失血死か内出血かショック死かのどれかだろう。
次にホワイトボードを見る。理詰めのヤクザにとって出勤表はつきものだ。名前の面が貼ってある奴が今日出勤してきた連中と仮定すると、ここには8人いる。
残りの一人は……おそらく。あの日焼けマシンの中だ。そうに違いない。見る気もない。多分カウンターのちょっと顔のいいウンコ色した日焼け野郎だろう。そいつがあの日焼けマシンの中で死んでいる。
通りで蒸し暑かったわけだ。
この部屋は、人間の水分で蒸されていたのだ。
気味が悪い。今日で何人死んでいる? 死体掃除係が足りなくなるかもしれない。

次に現場に足を踏み入れる。竜巻の通った痕みたいにぼこぼこに荒れている。
つまりこれはプロの仕事ではない。証拠隠滅に走らないだけ褒めてやるが。
こいつがもしセミプロまで行っているにしても、殺しはプロならばやらない。割に合わない。
人間なぞ何人か殺っても組織で何かやってる連中は絶対に止まらないのだ。むしろその死んだ数人の血で床が汚れたからって言って報復とかなんとか食らって速攻で体をモップにしようとする上にそこらじゅう切り刻まれておもちゃにされた後干されて変態の胃袋の中だ。
ええっと。足跡だ。
タイル張りの床を見る。血だまりの中に辛うじて残っているのは、スニーカーと革靴とサンダルの跡。それだけ。
消去法を使う。革靴とサンダルはここの連中が履いている。だいたい半々というところだ。対してスニーカーはたった一人。これはもう確定だろう。スニーカー。
それで犯人像が絞れるわけがない。雨の中だしスニーカーを履く連中は相当いる。雨の中で靴底の血だって洗えるだろう。
つまり振出しから何も進んではいない。
このままだと新聞の一面を飾ったあと、くだらない抗争扱いにされて終わりだろう。
俺は別に新聞は嫌いじゃない。だが新聞を作る人間は大嫌いだ。だいたい起こった事をいちいち言ってどうなるんだ? 政治の話と経済の話は許すがなんで街角で起こった血みどろの惨劇を報じるんだ? 記者はハイエナと同義語だ。少なくとも俺の中では。
ポケットから禁煙ガムを取り出して噛む。タバコはやっていないがニコチンの作用は素晴らしい。熱くなった脳みそを氷でも被るみたいに覚ますからだ。
大義の為にたばこ産業へ金を落とすのも悪くない。
だんだんと周りの解像度が上がっていく。普段見落としがちなところもくっきりしてくる気がする。
まず棚だ。何かに使ったっきり放置されていた食器類。幸いガラス窓のおかげで赤く汚れずに済んでいる。右にはブラインド付きの窓で左にはさらに奥へ続くドアだ。もっとも、死体が俺の方、つまり奥から手前に向かってぶっ倒れることで空きっぱなしになっているが。
音から向こうで多分洗濯をしているのだろう。まあ完全に控室だ。
まだ見落としている場所があるはずだ。

俺はガムを噛みしだく。

本当に証拠が残っていないのか?

俺はこれまで何人も殺人野郎を塀の中へ放り込んだ。快楽にしろ社会への挑戦にしろ絶対「クセ」はあるはずだ。当たり前のことだ、殺しをしてるのは同じ人間なのだから。どれだけ魂がドブの底で彷徨ってる膿を寄せ集めてできたものでもそれを宿してるのは人の子だ。なにも山の中から生まれるわけじゃ無い。岩に雷が落ちて生まれるわけじゃあないのだ。
だから思考回路のどこかに引っかかった人間らしさってのは必ずにじみ出てくる。出てこなかったらその時はエクソシストか霊媒師に任せよう。
改めて現場を見る。ガムの味は薄い。それでも噛む。

脳細胞を働かせるイメージを持つんだ。電撃がシナプスを駆け巡るところを想像しろ。人間を相手していることを思い出せ。犯罪者も死ぬ。ヤクザも死ぬ。俺はそれを見ている。だが見落としている。絶対に見落としている。
考えろ。中学校の定期テスト五分前のあの状況を思い出せ。切羽詰まったときはどうしていた? さらにガムをかむ。なるほど。唐突なひらめきが訪れた。神経回路が見落としを発見したのだ。
人殺し。人殺しは生きている人間を死人に変えること。俺は遂に理解した。死人が出さないものを考えればいいのだ。それはウンコかゴミだ。死人は等しくゴミになるが、自分からゴミを出すことは絶対にない。
つまり最後にゴミを出した人間が一番怪しい。現場でゴミを捨てる奴はそうそう居ないだろうが、ここまで几帳面に皆殺しにして証拠もメッセージも残さずに出ていく育ちのいい人間はどこかで気が緩んで家みたいにゴミを捨てると決まっている。別にゴミを捨てる奴でなくてもゴミ箱に入った道具の指紋を調べれば、ある程度どんな奴かは絞れるはずだ。
俺は戸棚の傍にあるゴミ箱を覗いた。ただのゴミ箱だった。
だがやはり俺の予想は正しかった。ただのゴミが手掛かりを握っていたのだ。
血で濡れたメモ。ただそれだけ。大半は真っ赤に湿っていて読めないし、唯一読める一部分も「私」の一文字だ。しかもふざけるなと言いたくなるほど可愛い丸文字で。病みアカウントの手書き投稿かこの野郎。

「私」を探す。

おそらくこの「私」はメモを現場に残すのが癖なのだろう。犯行声明のようなものだ。「私」がやりましたと言って恐怖の対象になって崇められたいとかそんなところだろう。クライムファイターなら憧れることだ。
くだらない。挑戦に乗ってやる。俺は血でべたべたしたメモの切れ端を薬の袋をぶちまけてそれが入っていた真空パックにぶち込んでポケットへと押し込んだ。
なあに、言い訳するのはあとでもできる。
まずはジュンを呼ぼう。暗く悲しい雨の日でも、友達と酒でも浴びれば楽なものだ。

暗く悲しい独り言タイムは終わりを告げ、俺の後ろではパンクロックバンドがはしゃぎまわり隣にはジュンが高い丸椅子で足をぶらつかせている。
ライブハウスもといミュージックバーはいいものだ。暗い夜には特にいい。端的にまとめないと聞こえないって点も特にいい。だから俺はジュンと直接会うときにはライブハウスで一杯するのだった。
俺が酒をあおりつつ愛と恋など無関係みたいな歌詞を鼻で笑っていると人を掻き分けてジュンが隣に座った。どこ行ってたんだ。
「遅い。俺をどれだけ待たせたんだ。タクシー代くらい出せハブ」
「どこ行ってたんだ」
「来ないからヘドバンしてた。こいつらの歌詞いいよ。『ラブソングはケツから飛び出す/モッシュピットはグラグラ沸騰/ガンガン鳴らすぜ腐った耳に/犬のように食え俺のSOUL!』」
「スカムすぎやしないか」
「あっそ。CD代も上乗せな。タクシーとCD。外出たら出して」
「出すさ」
ジュンは小さくあくびをした。
「で? 何があった」
「先を越された」
「お前みたいな頭のおかしい奴が他に居たんだ、意外」
胸元で爆発しそうな薄いTシャツを着て茶髪ショートの一人称が『俺』の女に言われたくありません。お前も相当変人だぜ。
俺は薄いチューハイを氷の隙間から飲んだ。
「居た。俺より頭のおかしい奴が」
「どんな奴」
「メモ魔を知ってるか、犯行現場にメモする奴」
「猟奇殺人、学校襲って『これこれこういう事情で私は本気です』ってメモした奴がいたのは昔ニュースで聞いたけど。ただヤクザ殺しのメモ魔は聞いたことないなァ」
「別に頭のおかしい奴じゃなくても殺し屋でいないか。殺し屋殺しの奴でも。……とにかくこんなメモだ」
クスリの袋を開けて血まみれの紙を取り出した。すでに乾いて少し茶色くなっている。だが文字は読めない。奴は筆圧が相当弱いらしい。
「……読めるのは『私』だけ?メモですらないしさ、しかも何、俺より字が可愛いじゃん」
「ああ。それだけだ。これを手掛かりに俺はこいつをどうにかする」
「へえ」
「そのへえってどういう意味だ」
「人の考えることはわからないなーって意味」
「どっちの」
「両方」
いつの間にか残り少ないチューハイをジュンは飲み干していた。彼女はお代わりを要求する。ドリンクも俺持ちにするのかよ。彼女は俺の方をもう一度見て続ける。
「まあハブの考えてることは分からなくもないとして、問題はメモ魔の方だ。ほんとに理解できない。ヤクザ殺し?犯行声明もなんも読めないメモ?いやー何がしたいんだろう。それ、別の組から派遣された奴じゃなくて?今日話付けようとした連中がいたシマってもともと何処持ちだったか覚えてない?元ポリ公」
「あそこは最初から黒卓だよ、解って聞いたな?……この街が爆散してからも。また復活して気が滅入りそうなほどでっかいビルが並んでからも。やってる商売は変わらん」
「薬はやってなかった?」
「お前詐欺師だからそれくらいは知ってるだろ」
「マアネー」
お代わりのチューハイが出される。ジュンは笑顔でバーテンに会釈すると豪快に飲み出した。水が代わりに入ってるんじゃあないかと疑うくらいに。
「他。他の心当たりは」
「都市伝説」
「はあ?」
「だから、都市伝説だって。酔ってきたから思い出した」

『――オミャーラ!!!!この臭い雨!!!誰のせいか知っているな!!!俺は知っている!!「地獄から来た」奴のせいだぁぁああ!!!』
シンガーがステージを煽る。ドラマーがガシャガシャシンバルとスネアを叩き、曲へのカウントを入れた。

「これは俺がここに来る前に仕事してた大阪の話なんだけど。今から一年か二年くらい前の話」

『誰もかれもが俺たちを恨む/あの世の弁慶チンギスハン誰も彼女を止められぬ』
鋭いギターリフ。

「アジアンマフィア……つまり、日本韓国中国の連中が一緒に旗印にしてた組があってな。石切りの蝶って連中。でももう今は噂も聞こえることはなくなった」

『彼女はどぶの底から/目を瞑ってやってくる/雨で撃っても叫ばない/霧で斬っても止まらない・・・OiOiOiOiOi!!!』
暗い歌詞に反して陽気なメロディが耳へ流れ込む。湯だつほどに盛り上がりを見せていた。

「これは警察のあんたらにも知られてない……ってか噂なんだ」『彼女の名前は』「石切りの蝶は……」『地獄の女』「抗争で潰れたんじゃない。たった一人によって壊滅させられた」『決まった名前なんてない』「それも徹底的に。フロント企業から何から何まで。大阪にある関係してる場所は一晩に3件づつ。武器も持たず。ただその身一つで獣のように食って回った。これは例えなんかじゃない。食われたって言ってる人間もいるくらい」『恨み晴らさんでお於かんと』「最後には石切りの蝶を仕切ってたボスを無残にビルの上から突き落として終わったらしい」『お前を睨む』「彼女が通った後には死体が残った。惨たらしく殺された死体が」
「へえ。地獄の使者だな」
「ちゃんと聞いてた?」
「ああもちろん聞いてた。それと何の関係が?」
「噂は本当かもしれないってこと」
「何の」
「マフィア潰しが名古屋にいるって噂」
「どうして」
「マフィア潰し、最後は自分のした事が受け止めきれないのか永遠に続くと思ったからか遺書書いて海に身投げしたってところまでが噂なんだけど、その遺書の内容ってこの噂をする人によって変わるわけだ。つまり遺書が見つかってない」
「じゃあマフィア潰しは存在しないだろ」
「いや。その後ここが爆散する数か月前に全く同じ手口で残党が狩られてた。ついでに……黒卓の前身も。これはニュースにもなってる、抗争って体で。黒卓対アジアンマフィアっていう見出しで。誰が書いたかは知らんが悪趣味だな。もしかしたらそのマフィア潰しが生きていた証拠かもしれない」
「だけど名古屋は爆発して今じゃネオが付くくらいにはクソな街だ。あの爆発を生き残った人間はいないだろ。俺はそう聞いたぞ」
「もともと『人間としての勘定』つまり戸籍とかその類になかったら?」
「生きているかもしれない?」
「まあありえないことだけど」
俺もそう思います。
「むやみやたらにヤクザを殺して、何のためになるんだか。ぎりぎりまで利用してやるくらいがいいのにな。……ええっと蝶殺しか。記憶の片隅にとどめておいてやる。これタクシー代」
「もう帰るの? アンコール聴かないの?」
「言い訳をしないといけない」「もうしといたよ」「……余計なことを」「ねえ。いっつも思うんだけどさ、ハブ絶対無理してるって。今日も明日もこういう事……高尚な犯罪退治とかそんな事やらなくてもいいのは分かってるだろ」「俺へのケジメだ」「本当に犯罪と戦いたかったの?永遠に終わらないのに」「解ってる。だが俺からすべて奪った連中から奪いつくすまでは辞めん。俺が追いかける奴が虫であっても。最後はみんな俺に涙して謝るんだ。地獄でな。その為には地獄へ送らねばならん人間をどうにかする。まず俺の顔に泥を塗ったクソ野郎を叩きのめす」「ふうん」「不満そうだな」「『アタシ』の事を知らないのに『私』を追いかけまわすんだ。決定なんだね」「……ああ。興味がない」「俺の事が?」「そうだ。お前は単なる仕事仲間。それで詐欺師だ。今はまだ生かしておいてやるが命は俺が持っている」
ジュンはチューハイをテーブルへ置いた。コロンと氷が転がり欠ける音がした。
「いい意味で受け取らせてもらう。待ってるから」「死ぬなよ」「ああ」
俺はポケットから万札を取り出すと、そのまま叩きつけた。お代とタクシー代だ。
ドアを開ける。蒸し暑いライブ会場の外に出る。ビルの光が目に飛び込んで眩しい。雨粒が目で見えるほどには。

蝶殺し、か。物騒な。そいつもまた人間を虫として考えられる奴なのかもしれない。
俺とそいつの間には根本的な違いはない。ただ理性が残っているかの差だ。無意味な闘争。そう分かってる俺はまだまともだ。しかしなぜ黒卓の連中が今になって狩られている?
俺は言い訳と謝罪と忠告の為に連中が楽しそうにホテルマンごっこをしているビルへと走った。
俺の仇は俺が潰す。それ以外の奴が潰すのは許さん。そう信じて走る。

まだ夜は明けないらしい。

(続く)

コインいっこいれる