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「書く」ってむずかしい

知財を身近にするメディア「Toreru Media」に、先日こちらの記事を寄稿しました。


「村上春樹と技術文書の書きかた」という、一見まったく関係ないような組みあわせをもとに、実務で活かせる文章術について書きました。読んでいただけると嬉しいです。

特許翻訳歴16年のわたしは、いままで本当にたくさんの文章(おもに特許明細書などの技術文書)を読んできました。

プライベートでは、エッセイ、小説、ビジネス書、ネット記事など、雑多に読みます。もともと「活字中毒」なので、広告、看板、食品成分表など、そこに文字があればなんでも読みます。

ちなみに「活字中毒」というのは、翻訳者には大きなアドバンテージ。文字を読むのが苦になるひとは、翻訳者には向いていないからです。

この仕事に長くたずさわり、読みやすい文章とそうでない文章があるなぁと思っていました。発明の内容が似ていても、文章を書くひとによって、できあがる文章はまったく違うからです。書き手の個性がハッキリでます。

「読みやすい文章と読みにくい文章のちがい」をより鮮明に意識するようになったのは、noteで文章を書きはじめてから。

noteをはじめてもうすぐ丸3年ですが、自分の過去記事を読み返すと「読みにくくて」しかたありません。

以前は翻訳しながら「このひとの文章はいつも読みにくいなぁ・・・」と心でブツクサ文句をいっていたのですが(嫌なヤツ)、ひとたび自分で文章を書いてみるとどうでしょう。わたしの文章のほうがはるかに読みにくい。

「書く」って思っていたよりむずかしい・・・

そう感じて、2年ほどまえから文章術についての本を読んでいます。

たくさんの方がオススメしている「20歳の自分に受けさせたい文章講義」、「新しい文章力の教室」、「書くのがしんどい」、「読みたいことを、書けばいい。」、「三行で撃つ」をはじめとして、さまざまな文章術の本を読みました。弁理士の先生たちからは、論理的に文章を書くための本も数冊教えてもらいました(まだ読んでいない)。

最近も、1冊読み終えたところ。それは、文章のテクニックというよりも「書く」心構えや姿勢などの精神論をテーマにしていて、とても印象的な本でした。

ハッとさせられる部分が多く、読んだあとに背筋がスッと伸びるような、澄みわたるような気もちになる本だったので、紹介したいと思います。


外山滋比古さんといえば、著書「思考の整理学」がベストセラーですが、そのほか「知的創造のヒント」、「知的生活習慣」、「知的な聴き方」など、とにかく「知的」という形容がピタリとはまる人物でした(2020年7月に他界)。

外山さんの平易で軽快な文章は読みやすく、ピリリとしたユーモアも効いている。ところどころに見られる自虐的な表現からは、チャーミングな一面もうかがえます。

外山さんの文章を読んでいると、自分の頭がよくなるような感じがするから不思議です。カラッと乾いた風に吹かれたような感触の残る、わたしが大好きなエッセイストの1人です。

「知的文章術~誰も教えてくれない心をつかむ書き方」に、こんな一節があります。

ことばの表現は心であって、技巧ではない。胸の思いをよりよく伝えるには技術があった方がよい。しかし、この順序を間違えないことである。(中略)つまり、文章に上達するには、心を練る必要があるということである。

射抜かれました。

読んでもらえる文章を書くためのコツや、読み手の心をつかむ文章構成などはたしかにあるけれど、なにより大切なのは文章を書く「心構え」だぞ、と。キモを忘れるな、キモを忘れたらいくら着飾ってもスカスカだぞ、と釘を刺されたような気もちです。

いまの文章は、読者に対するサービスの精神にすこし欠けているように思われる。自分の書きたいことを一方的にのべる。身勝手なのである。同じことなら、おもしろく読んでもらおうという親切心が足りない。

ドキリとしました。

外山さんがここでいう「おもしろく」は面白おかしく笑ったりすることではなく、相手の関心をひくもの、という意味。わたしの文章は身勝手ではないだろうか。読んでくれるひとたちの関心をひくように書けているだろうか、と。

今後、文章を推敲するとき、判断基準の1つにしようと思います。

つよく、美しく、クリエイティヴな日本語が育つことは誇りである。この本は、そういう観点からことばを考えたものである。(中略)よい意味での文化的なことばは、静かで、豊かで、貴族的である。われわれは、だれしも、そういうことばの貴族になることができるのである。

励まされました。

自分が好きで書いているのに、うまく書けずに投げだしたくなるときがある。ふと、なんで書いているんだろう?と自問自答してしまうことすらあります。

でも、だれもが認める100点満点の完璧な文章なんてあるのでしょうか。読むひとの好みもあるし、読まれるタイミングやシチュエーションによって、その文章の位置づけは大きく変わります。

文章の上達にゴールはない、と思っています。

文章を書くひとはすべて「ここまで来たらレース終了ですよ」というような、分かりやすいゴールのないものと対峙している。それくらい大きな見えない壁に向かいあって、孤独に書いているのです。

だから、外山さんの「われわれは、だれしも、そういうことばの貴族になることができる」というメッセージは、文章を書くひとにとって大きなエールになる。

この本を読み終え、これからも書き続けていきたいと改めて思いました。

「書く」に迷ったとき、お守りのようなことばがあれば「細く長く」でも続けられる。がむしゃらに突き進まなくても、「細く長く」続けたさきには、なにか新しい景色が見えるはずですから。

最後に。「書く」に迷っているひとへ。

外山さんの次のことばを贈ります。

文章に上達するには、平凡なようだが、とにかく書いてみる。そして上手になりたいと願いながら、努力を続けることである。そうすればいつのまにかうまくいくようになる。

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