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過ぎ去ってみて初めて分かること、分かる気もち

泣きたくなるような色の空だった。

その色を見たとき、心でなんども繰り返していた言葉をふと思いだした。

『早く、はやく向こうがわに行きたい』

まだ3人の子どもたちが幼かったころ。公園に行くと、散歩中の年配のご夫婦が子どもたち1人1人に声をかけてくれた。

「ママと一緒に公園で遊べていいね」
「すべり台、上手ね」
「お砂でなに作ってるのかな」

子どもたちが照れて笑うと、ご夫婦はバイバイと手をふり去っていった。

--- いいなぁ。わたしも早くああなりたい。はやく向こうがわに行きたい。

「ねぇねぇ、見て!ママ見て!」「ママこっち来て!ねぇってば。」「ママ、こっちが先!」

わたしをしきりに呼ぶ3人の声を聞きながら、そう思った。

まだ子どもたちが幼かったころ。1週間分の買い出しに、家族みんなでスーパーに行った。

お店に入るとすぐ、3人の子どもたちは思い思いの方向に走り出す。オットとわたしは子どもたちを追いかけ、走り回らないようにね、と言う。1人を抱っこし1人をカートに乗せているうちに、もう1人がまた走りだす。

--- あーあ、また行っちゃった。

わたしの腕のなかにいる子はグズリ出し「じぶんであるく」と言ってきかない。抱っこからおろすと、お菓子売り場へダッシュ。棚を見上げて「これがほしい」「あれがほしい」とはじまった。「そんなにたくさん買えないよ」と言うと、グズグズしだし、しまいには床にひっくり返ってわめきだした。

-- はぁ、またか。

ため息をついて子どもの横にしゃがみ込む。わたしのため息が大きかったのかもしれない。不憫に思ったのか、年配の女性が声をかけてくれた。

「どうしたの?ほしいお菓子があるのかな」

我に返った子どもはピタリと泣き止んだ。

すみません、と女性にぎこちない笑顔で会釈すると、女性は「こういうときホントに困っちゃうわよね。私もそうだったわ」と言いながら去っていった。

-- はーぁ、わたしも早くああなりたい。

思わずオットに「わたしも早く向こうがわに行きたいよ」と言った。

『向こうがわ』とは『子育て終了世代』のことだ。

そんなことがたびたびあり、『向こうがわ』へのわたしの思いは募った。

幼い3人の子どもたちを抱えながら、わたしはガシガシ働いていた。職場に迷惑をかけたくないからと育休は最短にし、0歳のころから保育園生活。

『イクメン』という言葉のない時代だったが、ありがたいことにオットは、育児も家事も積極的にしてくれるデキたオットだった。

保育園の送りはオットの担当で、お風呂も寝かしつけもしてくれた。わたしが残業になりそうなときは可能な限り仕事を調整し、保育園のお迎えも行ってくれた。

夫婦とも実家から遠くサポートが見込めないため、自分たちでなんとか工夫するしかなかった。どうしても都合がつかないときは、ベビーシッターさんにお願いすることもたびたびあった。

オットは年に何回か長期出張の時期があり、そのときには否応なくワンオペになった。いま振り返っても、どうやって生活をまわしていたのか分からないくらいの忙しさで、そのころの記憶はおぼろげだ。

毎日が戦いだった。

いかに子どもたちをなだめすかし、保育園に連れていくか。
朝のルーチンをどれだけ短時間ですませて出勤するか。
どれだけ効率的に仕事をし、保育園のお迎えに間に合わせるか。
保育園から家まで、子どもたちの機嫌をいかに損ねないようにするか。
帰ってから寝かしつけまでの約1時間半、どれだけ短時間でこなせるか。

そんなことばかりを優先させていたように思う。

来る日も来る日も戦っていて、その戦いには終わりがないように思えた。「いったいいつになったら終わるんだろう」そう嘆いた日は数えきれないほどある。

早く、少しでもはやく、この生活サイクルから抜け出したい。そんなふうに思っていた。

あのころのわたしは、1日に何回「はやくはやく!」と子どもたちを急かしただろう。

「〇分までに食べ終わろうね」
「〇分になったらお風呂ね」
「〇分には寝るよ」

朝も夜もこんな調子だった。毎日が時間との勝負で、わたしの都合ですべてをまわそうとしていた。

保育園生活は3人で合計15年だったから、少なくとも15年間はそう言い続けてたんだろう。

でも、親の思いどおりにいくわけがないのだ。子どもたちには子どもたちの意思があり、それは親の思いとかけ離れている。

今日は保育園に行きたくない気分なのに。
もっとこのオモチャで遊びたいのに。
もっと抱っこしててもらいたいのに。

そんな思いもたくさんあったにちがいない。でも当時のわたしには、そこまでくみ取ってあげられるほど、心の余裕も時間の余裕もなかった。ダメな母親だった。

だから、子どもたちとちゃんと向き合ってきたかと聞かれたら困ってしまう。そんな自信は、これっぽっちもないからだ。

子どもがグズったとき、泣き叫んだとき、床にひっくり返って駄々をこねたとき。わたしは分かりやすく大きくため息をついて、心のなかでこうつぶやいていた。

早く、はやく向こうがわに行きたい
子育てから解放されてラクになりたい

そんなふうに思う親ってどうよ?などという疑問すら、1ミリも抱くことはなかった。

できるだけ早くこの状態から抜け出して『子育て終了世代』になりたかった。その年代に、憧れすら抱いていた。

そしていま。

3人の子どもたちは大きくなり、ほとんど手もかからない。グズることもないし、床にひっくり返って駄々をこねることもない。なんなら、わたしが話しかけると面倒くさそうにする。そういう年ごろになった。

年月は流れたのだ。待ち焦がれていた、憧れすら抱いていた『子育て終了世代』に近づきつつある。

それなのに。

とてつもなく寂しく思うのだ

待ち焦がれた生活がすぐそこまでやってきているというのに。

公園で子どもを遊ばせている若いファミリーを見るたびに。スーパーで子どもたちに四苦八苦しながら買い物をする若いご夫婦をみるたびに。noteで育児奮闘中のママやパパの記事を読むたびに。

ひどく、ひどく羨ましく思うのだ。

その怒涛のさなかにいる人たちのことを。

そしてわたしはもうそこには手が届かない、そこから抜け出てしまったのだと思い知らされる。

抜け出したい、早く解放されたいとあんなに思っていたというのに、これはどういうことなんだ。

あの苦しいトンネルの中にいたときは、トンネルからおぼろげに見える出口の光がとても羨ましく思えたのに。

トンネルから抜け出したいま、振り返ってみると、濃密な時間の向こうにトンネルの入り口---子どもたちの誕生---がとても眩しく輝いて見える。

そして、あぁ、もうこんな遠くに来てしまったのかと思うのだ。わたしはもうあそこにはいないのだと。

自分勝手なわたしは、子どもたちがまだ幼かったあのころに戻りたいと思ってしまう。毎日が時間との戦いで、毎日がヘトヘトで、毎日ため息をついていたようなあのころに。

とても懐かしいあのころに。

もし、もしも戻れるのなら。

あのころ寂しい思いをしたに違いない子どもたちに、好きなだけ駄々をこねさせてあげたい。

時間なんて気にせずに、ずっと一緒に遊んであげたい。時計の針を気にせずに、もっともっと話を聞いてあげたい。

平日の夜のお散歩も連れていってあげたいし、お風呂でなんどでも歌のリクエストに応えてあげたい。

やってあげたいことはたくさんあるし、一緒にやりたいこともたくさんある。

どうしてあのころに気づけなかったのか。子育ては、ほんとにほんとに短い期間なんだって。

過ぎ去ってみないと分からないこと、分からない気持ちってある。その最たるものが子育てじゃないだろうか。そんなふうに思うことが多くなった。

泣きたくなるような色の空が広がっていた。

今月末に1番上の子は自立し、500キロも離れた土地に住む。

『子育て終了世代』へのコマがまた1つ進む。


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