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特許翻訳者が長いあいだ悩んでいる、「日本語は論理的思考には向いていない」について

先日、「日本語」自体が論理的思考に向いてないんじゃない?という趣旨の記事を読みました。

特許翻訳者の私は『そうそう!それですよ、それ!』となりました。

私は特許事務所で16年間翻訳者として働き、フリーランスに転向したのですが、事務所に勤めているころから、日本語は論理的思考に向いていないなと思っていたんです。

だからこの記事を読んだとき、これは『日本語→英語』翻訳を手がける多くの翻訳者が共感するのでは、と感じました。

特許翻訳とはなにか?

特許翻訳って聞きなれないですよね。簡単に説明すると、特許権を取得するプロセスで必要になる書類を翻訳する仕事です。日本特許庁や外国特許庁に提出する書類を訳します。

代表的な書類は、特許明細書(発明の説明書のようなもの)。そのほか、審査のプロセスに応じて特許庁に随時提出する書類(補正書、情報開示陳述書など)があります。

私はそれらの書類を日本語→英語に翻訳するのがメインですが、日本語のあいまいさに泣かされたことは数知れず。

特許明細書とは発明の説明書なので、科学技術文書です。それと同時に、特許の権利範囲を画定する法律文書でもあります。

つまり、科学技術文書+法律文書、これが特許明細書です。

なぜ日本語が論理的思考に向いていないのか?

そもそも【よい英語科学技術文書は、よい論理とよい構成を持つもの】といわれていて、読んでいてスッと頭に入ってくる論理展開と文章構成がキモなんです。

英語で上手に科学技術文書を書こうと思ったら、まずは論理なんです。英語の発想で3C(Correct, Clear, Concise = 正確に、明確に、簡潔に)を満たすように書く。

ところが。

野本さんも記事で書かれているように、日本語は「明瞭に表現するのが苦手」な言語。たとえば、こんな感じです。

① 主語がないことが多い。
② 修飾語の係り受けが遠回しで複雑。
③ 一文一義(1つの文章に1つの事がらだけを書く)になっていない。
④ 文章をすべて読み終わったあとでないと内容が分からない。
⑤ 「~であろう」や「~と思われる」などの曖昧な言いまわし。
⑥ 具体的数値ではなく、「ほとんど」「比較的」「めったに~ない」などと曖昧に表現。
⑦ 「したがって」「また」「ゆえに」などの接続詞を枕詞のように使う。
⑧ 「促進する」「強化する」などの抽象的な表現が多い。

なんだか日本語をディスっているようになってしまいましたが、そういう意図はまったくありません。日本語は、曖昧さを美徳とする奥ゆかしい言語です。

でもそれこそが、『日本語』が論理的思考に向いていない所以ではないでしょうか。

曖昧な日本語が幅を利かせる特許業界

私が長年いる特許業界でも、この曖昧な日本語がドンと居座っています。

日本語の明細書だけを読むと、内容はなんとなく分かるんです。日本語って曖昧な表現があっても、読み手が想像力を働かせて読むことが暗黙の了解になっている。だから、言いたいことはなんとなくわかる、みたいに。

ところが、そんなふうに書かれた日本語をいざ英語に翻訳しようとすると、問題点が次々出てきます。

この文の主語はなに?
1文が長すぎて、このまま訳すと意味不明の英語になる。
論理接続詞の使い方、ちょっと違うのでは?

などなど。

疑問が生じたら、日本語の明細書を書いた弁理士さんに質問するのですが、予想外の議論に発展することが何度もありました。

弁理士が考える【原文に忠実に】訳す、と、翻訳者が考える【原文に忠実に】訳す、は違う

私は日本語→英語の翻訳者なので、英語として論理的に意味が通るように訳したい。ネイティブが読んで、その論理性に納得するように翻訳すべし、と思っています。

ところが、これがなかなか難しい。

なぜなら、弁理士さんや企業の知財部は【原文に忠実に】訳してほしいからです。全員がそうだというわけではないけれど、その傾向が強い。

弁理士さんやクライアントの考える【原文に忠実に】訳す、と、翻訳者である私が考える【原文に忠実に】訳す、が違うんです。

弁理士さんやクライアントの考える【原文に忠実に】は、言語に対して忠実に訳すべし、つまり、日本語1語1語をすべて英語に翻訳してほしい、という意味。

一方、私が考える【原文に忠実に】は、意味等価、つまり、論理に対して忠実に訳すべし、なんです。

この部分のすり合わせが難しく、議論が平行線のまま終わったこともありました。

完成した英語の書類は外国特許庁に提出し、審査官が審査します。審査官は元の日本語ではなく、その英語の書類だけを審査します。

だから英語として論理的であることが重要だと私は考えるのですが、弁理士さんやクライアントの意向でそうならないこともあります。

ときにはジレンマを感じますが、特許業界の長きにわたる慣習みたいなところもあるので、そう簡単には変わらないのかもしれません。

いままでは、英語に翻訳したときに論理的な文章になるような日本語で明細書を書いてほしいとリクエストしていたのですが、いまは、もうこのままでいいと思っています。

それはなぜか?

翻訳者の私が「曖昧な日本語の特許明細書のままでいい」と思った理由


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