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名誉男性になれなかった私

子どもの頃、強い男の子になりたかった。

保育園で仲が良かった子のお兄ちゃんは、ケンカが強くて有名で、でもちょっと優しいところもあって、私もその子に憧れて「ドラゴンボール」の孫悟空や「聖闘士星矢」の星矢、「北斗の拳」のケンシロウみたいな強い男になりたいと思っていた。

男になりたいと思うようになった理由は、友達のお兄ちゃんの影響なのか、父と仲が良くてラーメン屋でジャンプを読んだりしていたからなのか、よくわからないけれど、ひとつにはよく男の子に間違えられていたことがあると思う。

私の名前は、「悠」と書いて「はるか」と読む。父は「茜」がいいと思ったが、母は男女どちらにも使える名前がいいと思い、文字の意味を聞いて父も「悠」に賛成したのだと聞いている。

字面だけ見ると男か女かわからないし、小さい頃はショートカットでそのうえよくズボンを履かされていたので、よく男の子に間違えられていた。

私が生まれた1983年くらいはまだ、女の子は「あや子」ちゃんみたいなわかりやすく女の子らしい名前が多かった。

そういう名前の子は、かわいらしく髪を結ったり、やっぱり見た目も女の子らしい子が多い気がする。

うちの場合は、両親や祖父母の価値観なのか、女の子は女の子らしく、みたいな考え方はあまりなかった。

それで私も高校・大学の頃まではまだ、強い男になりたいと思っていた。ところが自分は力も弱いし背も低い、運動センスもないと気づき、武闘派は諦めて、むしろ無頼派のほうに行こうとするのだけど、ここまで書いて改めて思うのは、私は「強い男になりたい」から、「父のようになりたい」に転向していたのだ。

私の父は、よくも悪くもない高校から大学に入り、役所勤めをするようになったような、よくいるタイプの凡庸な秀才だ。出世コースとは程遠いけれど、それなりに空気が読めて合理的な判断ができて、安定した仕事にありつけるタイプ。

では、私はどうか。

私は空気を読むというより、我慢できず異論をはさんだり混ぜっ返してしまうし、およそ安定した仕事を続けているとはいえない。空気を読める男、空気を読める女、どちらにもなれなかった。

空気を読んで、相手にとって都合のいいように気を配って動いたほうがいいと教えられて育ったとしても、きっとできなかっただろう。

私はそれと気づかずに、男性社会における上下関係の中でうまくやっていける名誉男性に憧れ、名誉男性になろうとして完全に失敗してしまった。

それを社会不適合者と揶揄する人もいるだろうけれど、そんなふうにマジョリティにも何者かにもなれない存在はいつの時代も存在し、それらを含め社会は機能している。

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