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子どもは親を育てる

良く耳にする言葉。
私はやっと、意味が分かりました。

私は人より劣っているし、色々抜けているところがあります。
ですが、完璧主義者です。
他人がしていたら褒められることでも、自分がしていても褒められない、認められない人です。

例えば、家事。
私にとって当たり前のことで、やることが自分の中で義務になっています。
家事が出来なければ、自分の価値観がなくなる。
これをしてあれをして、とやっていると日が暮れます。
出来て当たり前、出来ないとダメ人間の烙印を自分で押す。
友人がしていたら、スゴいと思うし、頑張っているなと思うのに、自分にはとても厳しいのです。

色々経験してきて、私は私の感情を殺すことが多くなりました。
だから、子どもには
「自分の気持ちに正直に生きて欲しい」
そう願いながら、マタニティ期間を過ごしています。

ここで一つ気がつきました。
育児の情報を一つ知ると、
「その通りにしなきゃ」
という気持ちになり、出来ないと自分で自分を戒めます。
その行動は、自分の首を絞めることになります。

ずっとその気持ちを抱え苦しんでいました。
結果、病状は悪化。
今日1日、いつも通り半分寝ながら家事をしていました。
家事が終わりリラックスしていたら、胎動を感じ、
キックゲームをしながら、ふと考えていました。

「こんな完璧主義な私が育てたら、窮屈になるかな」
自分で思って、自分でハッとしました。
今まで思わなかったこと。
首を絞めて、目をつむっていたから気づかなかった。
自分を苦しめること=周りを苦しめること
自分を認めること=周りをもっと寛容に見られること
つまりは、子どもを苦しめてしまうことになる。

宿るまで自己を見つめられていなかったことに気がつきました。
それを知ったとき、解き放たれた感覚になりました。
宿らず、ここまで大きくならなかったら、同じことを永遠と考えていることになっていたんだと、感謝しました。

私はいつもサングラスをかけ、厚底靴を履き、長くて細い竹馬に乗って大股で歩いていました。
見えない景色もありましたし、よく転けていたのです。

私はサングラスを外し、靴を脱ぎ捨て、竹馬を壊すことにしました。

私は私の視線で、歩幅で飾りをつけずに生きていこうと心に決めました。
もちろん、霧が目の前を隠すこともあると思います。
蜃気楼に惑わされることがあると思います。
ですが、子どもや他人に対して、こうしなくてはというサングラスを捨てます。
自分に優しくすること、褒めることは許されないと思っていた自分を、優しく抱きしめてあげたいです。

「自分のため・周りの人のために、忘れたときは、またこの記事を読み直そう」
そう、誓った日。

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