岡義武『山県有朋』読んだ
ようやっと読んだ。
菅義偉氏が安倍晋三さんの国葬における弔事で触れたことで話題となった。安倍さんが最後に読んでいた本らしい。
著者の岡義武は著名な歴史学者であり、東大にて吉野作造に師事したという。現代と違って、まだまだ明治維新の残り香があった時代を生きた人物である。安倍さんの祖父岸信介や安倍寛の同時代人といってよかろう。
岡は日本近代史を専門としており、多数の著作がある。本書はそんな一冊で、明治大正期に隠然たる権力を築き上げた山県有朋の評伝である。もともと岩波新書だったので非常に読みやすい。
多くの人が興味を持つであろう明治維新の話はわりとあっさりしていて、奇兵隊とともに活躍した、くらいのことしか書いていない。あと西南の役において城山に立てこもる西郷隆盛に送ったとされる書簡が印象に残っている。
明治維新の後は「一介の武弁」として日本帝国陸軍の発展に寄与することとなる。山県の軍人としての絶頂期は日清戦争である。自らの作り上げた軍隊が大国清に連戦連勝を遂げるのはさぞかし痛快であったろう。
以降は政界で自らの人脈基盤を築き上げていく。慎重な性格で、徐々に人を信用するが、いったん信用した人間は重用して配慮を怠らない。自らの能力を誇示する伊藤博文とは対照的であった。
山県や伊藤には強い「権力意志」があり、その動機は自分たちが権力を握って国のためにやるべきことがあるという強烈な使命感であった。
また政治家としてはリアリストであり、それは若いときにみた黒船の衝撃、白人国家への畏怖がたぶんにあったと思われる。
西洋列強に備えるために彼がやらねばならなかったのが軍備拡張である。そのため非常に苦労して増税を繰り返すのだが、思い余って憲法停止まで覚悟していたようである。苦心惨憺して作り上げた明治憲法を停止って、、、
伊藤博文没後は元老は数少なくなてっていた。大山巌は武人であり、松方は財界人であった。軍にも政界にも睨みが効く山県の権勢は揺るぎないものとなる。
大正期になると、藩閥政治を基盤とする山県は不人気となっていく。子飼いの寺内正毅なども言うことを聞かなくなるのはワロタ。寺内になにか決めるときはまず自分に相談せよと言うと、寺内は「文句あるんやったら辞めますけど?」と返したという。政友会などからの突き上げ、山県のような老害からの突き下げもあり、誰も首相などやりたくなかった時代である。
寺内首相の時期の重大イベントは米騒動である。民衆の声が政治家にも届くようになっており、また選挙権が拡大しつつある時代であった。
明治以降の工業の隆盛はブルジョア階級を生み出し、それは同時に労働者階級も著しく成長させることになっていたのだ。
政治と軍事以外は不案内だった山県だが、米騒動などがあって経済のことも一生懸命勉強していたらしい。偉いね。
こういうのを大正デモクラシーというようだが、今風にいえばポピュリズムであり、西部邁にならえばポピュラリズムである。歴史は繰り返すのである。
そうこうしているうちに、政敵でありながらも一脈相通ずるものがあった原敬が暗殺され、ほどなくして山県も天に召されるのであった。原敬という偉大なる政治家を失い、また山県ら明治の元勲たちがいなくなり、日本は不安定で余裕のない時代に突入していくのである。
山県そのものも不安定というか非常に不人気で、国葬はガラガラだったそうな。ほぼ同じころに行われた大隈重信の国民葬が盛況だったのと正反対であった。
どうも陰険で無骨な獣みたいなイメージのある山県であるが、本書ではやたらと短歌が紹介されている。安倍さんが線を引いたとされる伊藤博文公への短歌とか。また造園にも大変な情熱を注いでいたことがしばしば述べられている。
ことに無鄰菴会議で有名な無鄰菴は良い。私は何度も行っているが、いつ見ても飽きないのである。京都観光のさいには立ち寄られることを強く推奨する。
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