筒井清忠『天皇・コロナ・ポピュリズム ――昭和史から見る現代日本』読んだ
コロナ禍におけるポピュリズム、専門家の暴走は、昭和初期の大衆や軍人のそれと相似であると多くの素人により指摘されてきたが、本職の歴史家が言うと説得力が違うね、、、というのがこの本である。
素人の霊感を一次資料で裏付けてくれるから歴史家まじ有能。しかも新書なので読みやすいです。
読みやすいのだがそれなりにボリュームはあるので、以下に要点と感想を少しだけ。
天皇渇仰
タイトルに天皇とあるのが重要で、昭和初期においては天皇を担ぐことが論敵を封じるのに都合が良かったのである。今なら天皇ではなくお命至上主義とかポリコレだろう。天皇機関説は現代人の目から見ればけっこう合理的なのだが、なぜ当時あれほど激しく攻撃されたのかはこの視点がないと理解できない。
当時は天皇の権限を優越しそうな政治的主体は「幕府的」と批判されたが、今はお命至上主義に逆らうと優生思想とレッテルを貼られるようだ。
天皇機関説よりも歴史的に重要なのは統帥権干犯問題だ。ロンドン軍縮条約、パリ不戦条約などに批准したことが天皇の統帥権を侵害していると批判されたものだ。1928年のパリ不戦条約が象徴的なのは、同年はじめて普通選挙が実施されたからである。
ポピュリズム
普通選挙は悪い意味でのポピュリズムがはびこる要因ともなった。有権者が富裕層に限られていたときは贈賄は通用しにくかったが、男子全員に選挙権があるとなれば話は別である。さらに、そもそも選挙の規模が大きく拡大したために政治に莫大な資金が必要になり、汚職の温床となったのである。
汚職は当然にもマスメディアは批判する。これに野党が結託するとしょっちゅう内閣が倒れることになる。西園寺公望もこれでは誰がなにをもって悪政と判断するのかわからず危険だと嘆いたという。
日本初の普通選挙は田中義一内閣のもとおこなわれた。田中義一は張作霖爆殺事件の責任を昭和天皇に叱責されて辞任したことで有名だが、これは正確ではない。マスメディア、軍部、官僚、宮中リベラルなど各方面から批判され、張作霖爆殺事件がとどめになったというのが正確なところである。
著者は田中義一内閣を菅義偉内閣になぞらえている。私は満州某重大事件で辞めさせられた人としか認識していなかったので、この視点は新鮮だった。(第5章菅内閣論は非常におもろいので参照されたし)
宮中リベラルについては第3章があてられている。三高の同級生だった原田熊雄・近衛文麿・木戸幸一の軌跡についてである。彼らはこの時代の青年らしく平等主義に傾倒する。この中で近衛は平等主義が発展してしまって、親英米路線と決裂する。平等を考えればそれら先発帝国主義国家とは相容れなくなるのは自然なことである。木戸幸一は内大臣まで上り詰め昭和天皇の信頼を勝ち取る。原田熊雄は新英米的な西園寺公望の秘書官となった。対米開戦前のゴタゴタは、近衛路線と木戸的な路線の対立でもあった。
大衆とエリートの接近
著者は日本がポピュリズムに飲み込まれやすい要因として、エリートと大衆の距離が近すぎることを挙げている。
軍縮期に肩身の狭い思いをしていた軍人だが、政治的腐敗、選挙干渉に大衆が倦んでくるにしたが、「清新」な軍人というイメージを得るようになる。一兵卒から幕僚に至るまで、軍人は出自でなく能力で重用されるから、そのようなイメージを持たれたのであろう。
また軍人は大衆と距離の近すぎるエリートであった。このへんはピーター・ターチンのエリート過剰生産論とも相性が良さそうだ。
もちろん軍以外でも、エリートではないがナショナリストの出自も変わってくる。明治期のナショナリストやエリートは旧士族・豪農出身が多かった。
時代が降って昭和初期になると、零落した中産階級やブルジョアから出てくる。北一輝などが典型であろう。
軍部の横車と政府の弱腰
そして大衆及びメディアの後押しもあって、満州事変以降、陸軍中堅幕僚らは横車を押しまくるようになる。
軍縮で失業が我が事になった職業軍人は少ない機会を捉えて能力を発揮し、自らの地位を固めようと汲々とすることになる。欧州に比べて下層出身が多いこともこれに拍車をかける。
性急に思惑を追求した典型例は、ノモンハンで独断専行した辻政信であり、彼についての記述も多い。
その一方で肝心の政府は弱いままだった。
総力戦体制の象徴として有名な国家総動員法はゆるゆるだったし、大政翼賛会もグダグダで終わってしまっている。それでもみんなで竹槍訓練しちゃうような結束力を産んだのである。
下からの圧力としてよく知られているのは隣組だね。このたびの疫病禍におてい出現した○○警察はその劣化版だ。贅沢は敵というスローガンも民間から出てきたものだ。政府はなにも命令しないしできないのに、みんな勝手に自粛したのと同じだ。
民間レベルにおける過剰な監視、同調圧力は日本社会の変わらぬ特徴だとしても、しかし、これらは核になんらかの建前があって形成される。この建前をつくる強力な勢力はマスメディアであり、これに政府内の突出した勢力が結合すると大変危険である。突出した部分とは、戦前においては陸海軍の中堅幕僚であった。今時においては、まあ言わなくてもわかるよね。
まとめと感想
昭和初期、アメリカとガチの戦争になったら勝ち目がないことを認識している人はたくさんいた。それでも日本人は戦争を選んだ。
ひとつには、よく言われるように、参謀本部や軍令部の中堅幕僚たちのゴリ押しがあった。
しかしそれだけで押し切れるものなのだろうか。昭和帝は対米開戦に前向きではなかったのだ。
きっと軍の強硬姿勢を大衆が支持していたのだろう。今時の疫病騒ぎにおいて、感染症の専門家と称される人々が爆走して国体を破壊したさい、大多数は彼らを支持したように。本書でそのことが確認できた(まあ自説を補強してくれる材料ばかり探してるんじゃないのかと言われれば、そうかもしれませんというしかないのだが)。
竹槍訓練とかも、当時もっとも頭のいいはずの軍人がこんなこと思いついたんだろうかと不思議だった。
そんなわけないよな。きっと、誰かの思いつきを、誰かが本気にしてしまって、Noと言えない空気が醸成されていったのだ。多くの人がこんなことして意味あるんかいなと思ってただろうけど。
人間はときとしてみんなでアホなことをしてしまう生き物らしい。
これ竹槍訓練よりアホくさいよね。
なお厚労省はこう言ってます。
お上がどうだろうと、下からの同調圧力にみなさん従ってしまう模様。
そして、マスクが熱中症の原因になるというエビデンスはない、と言い出すお医者さんが発生している模様。まあエビデンスないだろうね、そんな非人道的な人体実験するわけにはいかんから。
ところで、マスクが熱中症のリスクを高めないというエビデンスはあるのだろうか。こういう頭の悪い人たちのことで時間を浪費してもしょうがないよなと思いつつも、つい手が滑ってしまいました。
反省である。
オマケ
本書のテーマの一つとして、軍縮期に軍人が肩身が狭かったというものがある。ちょっと信じがたいのだが、私服で出勤してから軍服に着替える人もたくさんいたとか。
そういうことがあったから自分たちに風が向いてきたときに強気になりすぎたのだろう。
サポートは執筆活動に使わせていただきます。